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おさべ 冬日記 – 初冬編 –

2012年1月18日  17時30分

緑のライン

 10月中旬、皆で手分けして蒔き終えた小麦はみごとに発芽してくれました。私は今、谷に沿ってのびやかに走る緑のラインを眺めながら、見渡す限りの瓦礫やサンマをひたすら拾い続けた、延べ1万人を超える人々の7ヶ月間を思い起こしています。
 4月。陸前高田市全域がどこもかしこもそうだったように、上長部の谷も、自動車や船、破砕された家屋などの瓦礫で埋め尽くされていました。その絶望するしかないような光景のさなかで、懸命に生き続けようとする人々と出会いました。
 そこで必死に暮らし続け、村を取り戻そうとする人々の、神々しいまでの姿勢にすっかり魅せられてしまい、時のたつのも忘れて、「日々を生きる」ことをひたすら教わり続けている、といった感じです。


谷の冬支度

 今年は、集落がありません。夜ともなれば、鹿や猪、ハクビシンなどの野生動物が山から降りてきます。小麦も早速の食害を受けました。
 村の人々から、作物の相談を受けたときから予想されていたことでしたので、小麦畑・菜種畑の周囲にソーラーパネルをおき、電気柵を敷設しました。
 表土を奪われた谷は恵みも減っているので、動物たちには少々申し訳ない気もしますが、これで食害は何とか防げそうです。
 11月。重機による瓦礫撤去や分別処理が進み、それまで豊富だった薪の調達が難しくなってきました。一方、仮設等に引きこもりがちな冬期間こそ、外でのイベントが重要となってきます。そこで冬支度の一環として、薪づくりを始めることにしました。
立ち枯れ杉や流木など4tユニック車数台分の原木が運び込まれた広場では、山仕事に慣れた親爺達のチェーンソー4台がうなりをあげ、みるみるうちに薪の長さに切り分けられていきます。
 その後は、全国の皆さんから寄せられた斧・くさび・ハンマーなどを使って、慣れない手つきのボランティアが薪割りに挑戦しました。
 その日始めて斧を手にした人も、斧の構え方や材の見立て(斧を入れる向き)など、親爺達の指導を受けて奮闘するうち、何とか様になってきます。連日通う人も現れ、親爺達と一緒に小屋の周囲を薪で満たしてくれました。
 できあがった薪は、長部地区でのイベントはもちろん、大船渡のお茶っこ、大槌のまごころの郷や、まごころ広場 臼澤のコロッケ屋さんでも活用されるとのことです。


おさべ製材所

 立ち枯れ杉を伐り出して「つどいの小屋」を作ってからというもの、上長部の親爺達はここに集まるのが日課のようになりました。
 ドラム缶を半割にした炉には、いつも薪がくべられ、お湯も沸かされています。そこで語られる様々な話や冗談、希望のなかから、薪割りや道具小屋の増築など、いくつかのことが段取りされ、実行に移されました。
 今、旬の話題は、親爺達の製材所を作ること。気仙杉で知られる陸前高田市は、元々林業の盛んな土地です。上長部の親爺達のなかにも、山仕事に覚えのある方々は幾人もおられます。自分たちで、山の木々を伐りだし、製材できるようになれば、板材が得られます。棟梁もいるから、家だって建てられそうです。仮設で一人暮らししている高齢者のために、木造のグループホームを作ることができれば、「もうどこへも行かなくていい」と言ってやれるんじゃないか。

 そんな折、木工機材は要らないか? という話が舞い込んできました。どこまでやるのか、どこまでできるのかはわからないけれど、とにかく欲しいと、親爺達もすっかり乗り気です。11月25日、ユーロドーム代表の杉浦泰二さん自らが運転するトラックで、帯鋸盤・パネルソー・ほぞ切機・集塵機などが広場に搬送されて来ました。これで「おさべ製材所」の実現に一歩近づきました。
ちなみに杉浦さんは、3月下旬のまごころネットに駆けつけ、大槌の桜木町で始めて行われた家屋整理作業に参加されたボランティアでした。また吉里吉里の避難所にお風呂用のドームテントを寄付された方でもあります。

気仙町復興祭

 12月4日、アメリカのバプテスト教会・東北ケアさんからプレハブの建物を寄贈していただきました。電気と水道も敷設され、今後は上長部地区だけでなく、気仙町全域の方々のための地域づくりの拠点として使わせていただくことになります。
 この建物のお披露目を兼ね、12月10日には気仙町復興祭も開かれました。
場所は、10月のお祭りと同じく、親爺達が丸太小屋を建てた「ふれあい広場」と長部小学校グラウンドです。
 今回は、気仙町全域を対象として地域づくりを始めるお祭りなので、事前の準備として、仮設住宅の方々だけでなく、あちこちに点在する在宅の方々を1件1件お訪ねしてチラシを配ることにしました。
 これまでの気仙町の活動では、上長部地区でのサンマや瓦礫撤去には通っていても、他の地区や在宅の方々をお訪ねするところまでなかなか手がまわりませんでした(陸前高田市の瓦礫撤去作業は、気仙町以外の地域でも平行して行われてきました)。上長部地区の整備作業が進むにつれ、「まごころは上長部だけなの」という声も聞こえるようになりました。支援活動が地域間格差を生んでしまうと胸が痛みました。
 しかし一方では、ひとつの村を復興させるモデルをかたちにしなければならないと思いました。福島から岩手、青森まで続く被災現地の村々の復興には、重機による瓦礫撤去だけでは足らない。海や川、農地を復興し、現地の人々とともに村をつくり始めることで、この地に生きる人々の暮らしを取り戻すための課題を浮き彫りにしなければならない。そのためのひとつをやりきる。そこまでやれば、帰る郷を持たない人々へのかすかな希望になれないか。そこまでやれば、他の地域で似たような動きが出ては来ないか。
 発災後10ヶ月もかかってしまったけれど、今回、気仙町域の在宅の皆さんをお訪ねできるようになったことには、これまでの長い間お訪ねできなかった申し訳なさとともに、やっと皆さんと地域づくりを始めていけるところまで漕ぎ着けられたことの喜びが入り交じっていました。
 チラシ配りに出かけたボランティアさんには充分な時間は割けませんでしたが、それでも「(家に)上がってけ」と言われたり、つい長話になったりと、歓待していただけたようで、報告を受ける身としても胸をなで下ろす心境でした。
 今回の祭りでは、上長部の婦人会の方々も気仙町の方々をもてなす側にまわってくださいました。「つどいの畑」で採れた大根や白菜などを総出で収穫し、気仙川で採れたシャケとあわせて、シャケ鍋を振る舞ってくださることになり、前日からボランティアの女性陣も一緒に手伝い、400人前の仕込みを行いました。
 当日は黙祷から始まりました。続いて東北ケアさんから上長部の区長さんにプレハブ棟の贈呈が行われました。後援の陸前高田市はじめ来賓の方々からの祝辞を頂戴した後は、遠野市から応援に駆けつけてくれた平倉神楽によるお清めも受けました。演目は、打鳴と権現舞。御神事を見守りながら、村の再建を心の中で誓われた方も多かったのではないでしょうか。
 恒例となった「くす玉割り」・「餅蒔き」に続き、東北ケアさんの演奏を背景に、子どもたちからおじいちゃん、おばあちゃんまで、賛美歌を歌って、クリスマスのお祝いもしました。
 昼からは、長部小学校グランドがメイン会場となりました。寒い季節です。円形に配された催しのテント毎にドラム缶が並べられ、上長部で作られた薪が焚かれます。祭り会場一帯からもうもうと立ち上る煙は、あたかも気仙町復活の狼煙のようでした。その脇には9本のクリスマスツリーが置かれ、お絵かき隊と一緒に子どもたちが書いた願い事カードも飾り付けられました(これらのツリーは、祭りの後、気仙町9カ所の仮設住宅にプレゼントされました)。
 暖かい食べ物も用意されました。上長部地区婦人会の方々が思いを込めたシャケ鍋、まごころボランティアの焼き芋、スカウトたい焼き隊によるたい焼き、東北ケアさんのハンバーガーなどが振る舞われ、長い長い行列ができました。お菓子や玩具などのクリスマス・プレゼントも配られました(東北ケア / おおさかパル・コープ提供)。

   飲食系・バザー系のテントの他にも、足湯や、お絵かき隊、神奈川ボランティア協会による「金太郎マップ(陸前高田市の新店舗情報地図)」の展示用のテントが設けられました。
 集まった方々は最終的に400人を少し上回る程度でしたが、中央に設けられたカフェ・ベンチや、切り倒した杉で作られたベンチなどに腰掛け、めいめい食事や会話を楽しんでおられるようでした。
 祭りの締めは、やはり芸能です。
 上長部に隣接する今泉地区には、「けんか七夕」という祭りが伝承されており、そのお囃子「けんか太鼓」は陸前高田市指定の無形民俗文化財となっておりました。
しかし3月の津波で、今泉地区は集落消滅に近い被害を受けてしまいます。太鼓の保存会は続いておられるようですが、1年は喪に服すとのことで出演はかないませんでした。

 代わりに今回は、陸前高田市や住田町を中心に創作太鼓の演奏を展開しておられる氷上共鳴会(通称氷上太鼓)の皆さんにご協力いただきました。このグループも、津波で会員を失っています。仮設暮らしの中から演奏を再開し、他の仮設や村々をまわっている方々です。
 太鼓が打ち鳴らされると、その響きは谷にこだまし、聴き入る者めいめいの腹にぐっとしみていきます。生き続けなければならない日常の中で、必死にこらえてきたものを揺り動かします。曲目はやがて軽やかなものへとうつり、めいめいの、様々な想いを包み込んで宙に舞いました。村に祭りが戻ってきた一瞬でした。
 終わって「みんな、いきたったか(生きてたかい)」という挨拶がありました。命からがら生き残って、今も必死に生き続けている、沿岸被災地の方々の挨拶だそうです。どんなに寄りそっても、私たちボランティアには実感できない感情かもしれませんが、懸命に生きる姿勢だけはひしひしと伝わってくるお話しでした。
 次は、遠野市小友地区から駆けつけてくれた獅子踊り。復興が一歩進んだとはいえ、依然として津波にさらわれたままガランとした谷です。その真ん中で繰り広げられる獅子踊りと、それを取り巻く村人。私には、大きな自然の中で生きるしかない人間の小ささと、何とか調和して生きようとする人間の、けなげな生き方の道を見せられたように思えました。

 村の復興は、ここから始まる。
 そして、ここから始める。

 始まったばかりの「地域づくり」です。これからも、皆さんのご支援、応援をよろしくお願い致します。



(文責:まごころネット事務局 齋藤正宏)

「陸前高田市広田町大野地区のコミュニティ施設設営事業」は 「平成23年度(復興支援)被災者支援拠点づくり活動補助事業」の 助成金の補助をいただいています。