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「まごころ」という名のタスキ

<まごころ体験記⑦>

「まごころ」という名のタスキ

富山県魚津市 大久保実

ゴールデンウィーク(以下GW)をはさんだ前後1週の計3週間を私はここ遠野で過ごした。決して短くはないこの期間中、実際に被災地での活動を行ったのは、わずか数回。活動初日の釜石市での「廃棄物搬出」、大槌町での「家屋整理」、陸前高田市での「ブドウ園の清掃」(2回)、そして、分かち合い隊として訪れた「上浜田構造改善センター」での炊き出しの計5回だけである。では、それ以外の日はいったい何を行っていたのかというと、いわゆる「内勤」業務であった。この場を借りて、災害ボランティア活動の知られざるその「裏方業」について触れてみたいと思う。

武蔵さん(左)と。少し緊張した表情の大久保さん(中央)

<遠野へのきっかけ>

私は、特別に東北に対して思い入れがあるわけではなかった。身内がいるわけでも土地鑑があるわけでもない。日本中の多くの方々と同じく、テレビに映し出された映像に心を締め付けられながらも、哀しさと無力さを感じることしか出来ないでいた。当時はフリーランスであり、期間的な自由度はあったものの行動に移れずにいたのは、宿泊手段の確保がネックとなっていたからだ。そんなとき遠野まごころネットでのボランティア受け入れ態勢の情報を耳にしたことで行動を決断した。今の自分に何が出来るかも分からぬままに…

 

<活動初日>

これまでボランティア活動の経験のない私は、廃棄物搬出や家屋整理などの「肉体労働」だけを想像していた。普段から積極的にスポーツに取り組んでいたこともあって、体力には自信もあった。活動初日、念願かなって釜石市での廃棄物搬出班に加わる。だが、意外にも手こずった。海水を含んだ座布団や畳は本来の重さをはるかに凌駕していた。またどの家屋も2階にまで浸水しており、窓の幅や高さから畳を外へ投じるのは、大の男が2人がかりでも大変な作業であった。作業中はたくさんの汗をかく一方で、休憩に入ると今度は冷たい外気にさらされ体温が奪われていく。「次回からは着替えを用意せねば」と心に留めたが時すでに遅し。遠野に戻った頃にはノドの調子がおかしい。あっさり風邪を引いてしまったのだった。

ボランティア活動出発前の仲間たちと大久保さん(左)

<事務局との接触>

翌朝目を覚ますも、ノドが腫れ体はだるい。見事なる風邪引きであった。(だが、後にこれが幸いすることになるから、人生もボランティア活動も分からない) そんな体調では野外での活動など出来るはずもなく、その日はおとなしく活動を自粛しようと判断した。このころはまだボランティア活動者数は1日に50名ほどで、受付など内勤の必要性などは見出せない状況にあった。ボーと宿泊場に寝ていてもやることがない。手持ち無沙汰だったので、忙しそうな人がいた事務局へご挨拶に伺い、自己紹介の中で自分の職能について説明してみた。私はIT系コンサルティング、簡単に言うとSEを生業としている。これがきっかけで事務局の平井さんから、当時のまごころネットが抱えていた切実な悩みを聞くこととなったのだ。

 

<GW直前>

正直言って話を聞いて驚いた。その悩みとは「人手が足りないためボランティア登録の情報管理が追いついていない」と言うものだった(これって公表してよかったのかな?(汗))。それゆえ、たとえば明日何名のボランティアがやってくるとか、何名が宿泊するのか、何台が駐車するのか、といった予測が出来ない状況にあったのだ。ボランティアが大挙するであろうGWは目前に迫っている。それまでにおおよその予測を出せなければ、各ボランティアセンターからの要望に応えられる人数や手配すべきバスの台数などの計算ができない。何とかせねばならない。SEとしての本能が目覚めた。 まず検討したのは、管理上の制約で紙媒体でしか存在しないボランティア登録カード(FAXやExcelの印刷物)を電子データ化する方法だ。現状では担当者が紙媒体1枚あたり10数項目を読み取り、Excelへの手入力を行っていた。これをより効率的に行えるよう改善を行いExcel標準関数を組み合わせた日別集計ワークシートを作成した。システムは出来た。残るは肝心のデータ入力。これには相当のマンパワーが必要となる。しかし、センターには多くの戦力が溢れていた。最大8名体制での入力作業により、これまで未処理であった2000件を超える紙媒体は、数日で電子データ化された。これで、ある程度の事前予測が可能となった。

少し鼻の下が伸び伸びの大久保さん(中央)

<内勤活動>

ボランティア参加者が増えるほどに需要が高まるのが内勤活動。滞在期間の長さにかかわらず 滞在=生活 となる。快適な生活を送るには清掃や整理整頓などにより、衣食住を一定レベルに保つ必要がある。復興を支援するボランティアのポテンシャルを最大限に引き出すためには、後方支援も必要だということを自分なりに理解していった。それもボランティア活動の一つである。内勤という同じ選択をした者たちが、お互いにサポートしながら活動する様は野外のそれと違いはない。 具体例を挙げると、

・駐車場への車両誘導

・ボランティア登録の当日受付

・踏み抜き防止用インソール着用の呼び掛け(安全確保のための装備確認)

・宿泊手続および宿泊場所の案内(ピーク時には松崎地区センター以外にも上郷地区や青笹地区も使用)

・清掃(就寝場所、トイレ、シャワー室、出入り口など)

・ボランティア登録カード情報の日次入力作業

・手書きの新聞「よりそう」の編集および出版

 (のちにPDF化してサイト上のボランティアフォーラムへUPする作業も追加)

といったものがある。 GWのような繁忙期は上記の車両誘導や受付などおよそ震災とは結びつかない事柄に対してもボランティアのサポートなしでは運用が成り立たなくなる。「収容能力を超えた受け入れは制限すれば良い」との考え方もあるが、ここ遠野まごころネットはそれを選ばず「できうる限りその志を持った者を受け入れ、復興を目指す方々にその気持を届けたい」という事務局全体の共通認識のもとに受け入れ態勢を構築していった。そして、日本全国、全世界から最大656人ものボランティアが集結したGWを、われわれは無事乗り切ったのであった。

仲間を見送りに遠野駅まで。名残惜しそうな大久保さん(右)

<総括>

私がここでなし得たことはなんだったのか。復興地にて肉体労働に汗を流したこと、事務局に詰めてシステムを設計し開発したこと、受付係として新規ボランティアを誘導したこと、ボランティアのための生活環境を整備したこと、多種多様なその1つ1つ、その全てが、復興地への支援へとつながっていくのだと信じる。しかしながら、そう言ってはみたものの、1人の力には限界がある。またボランティアである以上、活動できる期間には制限が伴う。 タスキをつなぐ駅伝ランナーのようにある期間に力を発揮し、次のランナーに想いを託す。その積み重ねこそが困難を克服する大きな力と成り得るのではないか。このボランティアの底ヂカラ、その可能性を私は心から信じている。そして私もまたいつか「まごころ」という名のタスキをつなぐ次のランナーとして戻ってくるつもりだ。 これからも長く続くであろう東北への復興支援。それを必要としなくなる時代を少しでも早めるため、我々は再び、遠野に集う。

 

 ※まごころ【真心】 他人のために尽くそうという純粋な気持ち。偽りや飾りのない心。誠意。

 

◆スペシャルサンクス◆

 遠野まごころネット事務局 :大石健司さん、平井大三さん、本多俊貴さん、佐々木ゆきさん、荒川Jr.さん、他

 遠野市社会福祉協議会 :菊池さん(女性)、他 松崎町地区センター :菊池さん(男性)

 JICA :歴代ボス(築添さん、坪池さん、日比野さん)

 KSVN かながわ東日本大震災ボランティアステーション :金子和巨さん、吉田さん、他

 個人ボランティア :歴代世話役(三平さん、三好さん、菅原邦久さん、チョッキ馬場さん、杉山貴章さん、畑中直美さん、岩辺(兄)さん、アフロ森さん) :籾井裕さん、PC入力班に加わった30名以上のみなさん、他大勢

 みんな~、愛してるぜ~!!

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◆大久保実(おおくぼ・みのる)1971年(昭46)8月29日、富山県生まれ。大学卒業後、地元の金融系ソフトウエア会社に入社。近年独立しIT請負屋ツールボックスとして「方法よりも目的」をモットーに人に優しいITシステムの提案を行っている。趣味は映画鑑賞とスポーツ。学生時代はラグビー、現在はバレーボールに取り組んでいる。

登録データ集計システムを開発中の大久保さん