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「子供たちを笑顔にしたいから…」。奇抜なファッションの辻野さんを直撃

2011年6月08日  18時49分

遠野まごころネットでのボランティア活動に「シンプルで質素な服装で行わなければならない」というルールはない。とはいえ、連日被災地での地道な肉体作業に励むみなさんが寝泊まりするボランティアセンターは通常、オシャレをしたり、奇抜な格好で過ごすような場所でもない。ところが、大多数の方々が地味な服装をしている体育館の中に、周囲から明らかに浮いている1人の初老(熟年?)男性がいた。

奇抜な服装で異彩を放っていた辻野さん

辻野義博さんは62歳。兵庫・尼崎市でアクセサリーの制作・販売をされているという。ピンクのスキニーパンツにデニム生地のミニスカート。腰からは様々なアクセサリーが下がり、よく見るとアルミのボトルコーヒー缶までが、灰皿代わりにぶら下がっていた。上半身は肩から裂かれたライダースジャケット。そして極め付きはその髪型。色とりどりの麻が編みこまれた「三つ編み」なのだ。どうみてもアメリカ先住民かレゲエのおっさんだ。とても還暦をすぎた男には見えない奇抜なファッションなのに「出る杭は打たれても、出過ぎた杭は打たれない」というべきか、誰も突っ込みを入れることはなかった。「自分自身の意思表示とアメリカやオーストラリアなどの先住民へのリスペクト精神や」と関西人らしい陽気な笑顔で説明した。どうやら、その真意は「変わった服装をしている人間でも熱いハートを持っていて、やる時にはちゃんとやるのだ。大自然と共存している先住民に対する憧れ、敬意から」ということのようだった。

 辻野さんは1995年の阪神淡路大震災の時も現地でボランティア活動に参加した。友人を亡くして気が滅入っていたが、被災者の方に焼き物を作ったところ、非常に喜ばれた。「その笑顔で自分も元気になれたから、今回も自分が誰かを笑顔にしてやろうという意気込みでまごころネットに来たんや」と話した。地元で起きた震災を通して「子どもが笑えばその親や周囲にいる大人たちみんなにも笑顔の輪が広がっていく」ことを学んだ。避難所やまごころ広場に出かけては、孫のような歳の子供たちと一緒に楽しそうに遊ぶ。それが、彼のボランティア活動なのだった。昨年末までは障がいを持った方々の介護の仕事をしていた。すべてを代わりにやってあげたり、ほしいものをすぐに与えたりして「甘やかす」ことはしなかった。「車イスに乗っているだけで可哀想な人間だと思われたら不快感を感じる。だからこそ、自立して前へ進もうと。ドアの前までは一緒に行くけれど、そこから先へ進むのは彼ら自身なんやから」。それが彼なりの愛のメッセージだった。その想いが相手に伝わって、良い信頼関係・人間関係を築くことができた時、この上ない幸せを感じたという。

大槌町のまごころ広場で子供たちに編み物を教えていた辻野さん

復興作業が進むに連れて、被災地の住民にはさまざまなアプローチからのメンタルケアが必要とされていく。そうなれば辻野さんのようにアクセサリー作りなどの特殊な技能持ったボランティアは重宝されていく。「人を喜ばせる特技があるのならそれを使わない手はない。今こそ俺のようなボランティアが頑張る時だから、俺はニーズがある限りどこへでも飛んで行く。そして1人でも多くの人を笑わせたる」。にやりと笑って宣言した。「被災者もボランティアもみんな人間だから垣根はない。俺は創作することに生きがいを感じている。この手が動くうちは、息を引き取るまで創作をやめない」。辻野さんは、数日前に遠野を離れ、今は宮城県でこちらも大好きな動物の介護センターで働いている。しかし、「また、いつか帰ってこれたらいいね」。個性派ぞろいのまごころネットでも異彩を放った辻野さんが、再び遠野から被災地の人びとを元気づける日も遠くないだろう。

「陸前高田市広田町大野地区のコミュニティ施設設営事業」は 「平成23年度(復興支援)被災者支援拠点づくり活動補助事業」の 助成金の補助をいただいています。