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まごころ体験記-本当のまごころネット

2011年6月12日  16時35分

<まごころ体験記⑩>

本当のまごころネット

静岡県牧之原市 大石健司

4月下旬から、遠野まごころネットのホームページの原稿を書いてきました。未曽有の大震災の惨状や復興にかける被災者の方々の奮闘ぶり、そして柳田國男の「遠野物語」刊行からちょうど1世紀後に誕生した日本初の災害被災地「後方支援民間ボランティア組織」の魅力と挑戦を、これでもかとばかりに書き連ね、1人でも多くのあらたなボランティア志望者をこの地に呼び寄せることに全身全霊を傾けてきました。

震災から3カ月たった今も、悲惨な被災地の光景

事務局の全員で「いつなんどき、どんなボランティアさんも受け入れる!」というアントニオ猪木もびっくりのポリシーをメディアにも繰り返し訴えたことも功を奏し、スタート当初は80人程度だったボランティアの数はうなぎ上りに増加。ゴールデンウイーク中に576人を記録したのを最高に、現在でも連日300人前後の志高い老若男女がボランティアとして活動してくださるまでになりました。全世界に散らばった数多くのまごころOB、OGのみなさんが、それぞれの地域や職場で、熱心な広報活動を展開してくださったおかげでもあると感謝しています。そして、3・11の悲劇から3カ月の節目を機に、一定の満足感と一抹の寂しさを胸に、故郷に帰ることを決めました。

被災地を想う気持ちは誰も同じ

この春まで、とあるスポーツ新聞社で、取材記者として約20年間働いていました。家庭の事情で3月末での退社を決意し、第2の人生を模索し始めた矢先に、あの大震災が起こりました。30年以上も前から東海大地震が予告され、大津波の襲来がささやかれる浜辺からたった1㌔の海抜5㍍の家、原発から15㌔の町に住む者として、今回の大惨事はとても人ごとには思えませんでした。4月上旬までの家業の手伝いが一息つくと、後先も考えず妻子を説得。静岡県ボランティア協会の無給スタッフに採用されるや、とりあえず2カ月間をメドに遠野にやってきました。支援物資倉庫の整理や初代サンマ隊員などを経験したのちに、経験を買われて事務局の広報隊長に就任。筆舌に尽くしがたい被災地の現状、涙なしには聞けない被災者の体験談を写真とともに、自分の判断で好きなだけ伝えることのできる日々の任務は、これまでの記者人生でもっとも充実したやりがいのあるものでした。遠野まごころネットは、恐ろしいまでに自由で、バイタリティーに満ちあふれた熱い人たちの集団です。事務局のスタッフは、それぞれが固い信念を持って、ある意味好き勝手に突き進んでいます。官庁や大企業ではありえない意思決定の速さ、フットワークの軽さ、そして誰でも受け入れる懐の広さは、この組織の最大の魅力です(危うさでもありますが…)。しかし本当は、かくいう私こそ、こうやって私見に満ち満ちた原稿を他者の校閲なしでアップし続けた〝最高権力者〟だったことを付け加えておきましょう。

奇跡の紙面に大喜び

一昨日、遠野駅近くの居酒屋「ちから」で開催していただいた送別会で、うれしい事件が起こりました。額に入れられた1995年11月の新聞の切り抜き。サッカー記者時代の私が書いた遠野生まれのスーパースター兄弟・GK菊池新吉、DF利三(ともにヴェルディ川崎=当時)の「兄弟Jリーグ制覇」の渾身の大原稿が、ユニフォームと一緒に店内に飾られていたのです。「これは奇跡ですよ。奇跡! この店に1枚しか飾ってない新聞記事なんだから!」と興奮するマスターにせがまれ、額の裏にサインまで書くはめになりました。縁もゆかりもないと思っていた北の地に、遠い昔の自分の記事を大切に飾っていてくれた人がいた。遠野滞在の最後の最後に、訪れた不思議な出来事に胸がいっぱいになりました。人間っていいですね。見知らぬ者同士が、文章を通じて知り合い、わかり合い、手を取り合って助け合える。 あなたも、遠野でまごころネットに記事を書いてみませんか?

遠野市宮守にかかるめがね橋を渡る電車

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◆大石健司(おおいし・けんじ)1965年7月2日、静岡県生まれ。早大時代には「第1回世界青年の船のスペイン語通訳」を務める。92年に某スポーツ新聞社入社後は、サッカーでドーハの悲劇などを取材。格闘技、ゴルフ担当などを歴任後、09年から故郷の静岡支局に勤務していた。家族は妻と2男1犬

9 Responses to “まごころ体験記-本当のまごころネット”

  1. 大石さんお疲れさまでした!って、今日はじめてこのページにたどり着いた、私。「がんばっぺ!茨城」のページで「まけない、岩手」の缶バッチを発見、ホントは?「まけないぞ!岩手」なんですね。…茨城でも道はぐちゃぐちゃ、余震はつづくよどこまでも。…お世話になった岩手に一刻もはやく行きたいと思いつつなかなか県境を超えられないでいます。…遠野に行きたい。と、記事を拝見しながら思いました。

  2. sasa |

    大石様

    長期にわたるボランティア活動ご苦労様でした。

    私は、5/15(日)~21(土),6/12(日)~14(火)に、主として出身地である大槌町を中心に遠野まごころネット主催のボランティア活動に参加しました。2回目のボランティア活動を終え、帰宅してから遠野まごころネットのホームページを見ると、大石様の体験記の1枚目の写真が目に留まりました。というのも、私はこの写真が撮影された(に違いない)大槌町安渡地区の出身だからです。この写真は、安渡三丁目に存在した児童公園から通称”古学校”方向を撮影したもので、左側のクリーム色の建物は”大安事務所”、打上げられた船は”第五萬栄丸”、奥に見える家屋は”古学校”地区のなかでもより高い位置に存在したため倒壊を免れたものです。ちなみに、母の実家は1枚目の写真の見切れている右側にあり、安渡地区の新港町に住んでいた両親は、そこに避難し難を逃れました。

    既に静岡に帰られていると思いますが、遠野まごころネットがカバーしている大槌町~釜石市~大船渡市~陸前高田市にとどまらず、ご支援よろしくお願いします。

    話は変わって、元日本代表GK菊池新吉ですが、延べ10日間にボランティア期間中に”菊池新吉”を知っているボランティアさんにお会いすることはできませんでした。昼食時などに「カズが来た」、「岡田監督が来た」などサッカーの話題も出ましたので、ベルディ川崎(当時)の黄金期(1993-1995)をカズ、武田修宏、ラモス瑠偉、北澤豪、ペレイラ、柱谷哲二、ビスマルク、石川康、中村忠らとともにレギュラーとして支えた”菊池新吉”が遠野出身であることを伝えても、あまりにも地味キャラのためか、残念ながらご存じないとのことでした(利三はレギュラーの地位を掴めなかったのでしょうがないとは思いますが・・・)。Wikipediaによると、二年連続(1994年、1995年)でJリーグベストイレブンに選ばれた唯一のゴールキーパーなんですけど・・・。

  3. 徳野 博子 |

    大石さん、2ヶ月もの長い間、お疲れ様でした。

    5月5日のサンマ回収最終日を終えて、遠野をあとにしてから一月以上になりますが、あれから片時も岩手沿岸部のことが頭から離れない想いです。
    『今、どうしているだろう…』そう思って、ほぼ毎日、まごころのHPをチェックしていました。
    大石さんの取材記事のおかげで、復興の進み具合やボランティアの新たな取り組みがわかり、沿岸部を心配する者として有り難く思っていました。他のボランティアOBも同じ想いでいると思います。
    思えば、ネット上でボランティア募集情報を探していて、偶然巡り会ったときのまごころHPは、まだ正直出来たてのようで実際の様子はなかなか掴めませんでした。『ちょっと、よく分からないけど、とりあえず行ってみよう!』そう思って単身遠野に向かいました。
    けれど、今のHPの充実ぶりには眼を見張るものがあります。ボランティアしたい人達にも どんな活動があるのか、自分でも出来そうなものが果たしてあるのかどうか判断材料もあるし、実際に現地までは来れないけど、東北を心配している人たちにも状況を伝え、加えて離れていても出来ることも提案されています。この一月あまりの間に格段の進化を遂げてきたのは他ならぬ裏方さん、ボランティアを支える縁の下の力持ちが継続して頑張ってくれたからだと思っています。
    ありがとうございました!
    私は今月終わりにかけて、また遠野にボランティアに出かける予定です。

    大石さん、ひさしぶりに ゆっくり休んでくださいね!

  4. はしもとひでこ |

    震災後、日赤に義援金を送りましたが、被災された方々に配分されるのに数ヶ月かかるとニュースで知り、もっと他にお手伝い出来ることがないか探していました。偶然いきあたった遠野まごころネットのHPの文章が好きになり、毎日アクセスするようになって、ついに自分も遠野に行こうと決心。先週、泥出し作業に参加させていただきました。むかし旅行したことのある岩手への懐かしさだけでは、決心できなかったと思います。大石さんの文章が、私を関西から引っ張り出してくれたのです。帰阪してから、勤務先などで遠野まごころネットの活動について伝えています。これからも続く支援活動のために、私も微力ながらお手伝いしたいと思います。ひとまず、3ヶ月間本当におつかれさまでした!

  5. 静岡・ためいきおじさん |

    同じ静岡県民として、大きな拍手を送ります。ゴールデンウィークに大型バスに仲間40人とともに静岡から夜通し走って参加した、陸前高田市気仙町での”さんま作戦”。津波に襲われた現地の状況を見て、聞いて、そして経験したことが・・・私のこれまでの60年の考えを一変させました。あれ以来、マスコミで報道される場面に接するたびに涙する回数が増えてます。何とかしなくては…という人が増えること、期待してます。

  6. 鈴木茂樹 |

    本当にお疲れさまでした。遠野で知り合った若い人たちが、また、何人か連れて
    行くと言ってます。うれしいですね。こんな繋がりを作ってくれたスタッフのみなさんに感謝します。今までではあり得ないものを感じる時代です。経験した事のない災害ですが、経験した事のない社会の繋がりが始まろうとしていることも、また、感じています。日本は変わろうとしていると思います。

  7. 東賢太郎 |

    大石さん、3ヶ月間お疲れ様でした。私が4月に遠野に行こうと決めたのは正にこのサイトを見たからです。
    「まごころネット」の名称そのままの内容を感じました。
    しばらく一緒に仕事させてもらいましたが、大石さんの明るさ、気さくさに助けられ幾つかの仕事を完結し、今後もこの災害を忘れる事なく、このボランティアセンターに関わり続けようと思いました。
    早く大石さんのポリシーに近い次の広報記者が見つかるといいですね。
    静岡に帰郷されましたらしばらく身体を休め、又大石さんの頭脳と機動力を活かして、お仕事に、そして社会貢献に驀進して下さい。
    又一献、二献、三献、やりましょう。楽しみにしてるぜ〜〜(^-^)/

  8. みなみ |

    大石さん、毎日渾身の記事、ありがとうございました。

    遠野まごころネットの記事は、どんなマスコミの記事より、タイムリーに”「後方支援民間ボランティア組織」の魅力と挑戦”を伝え、一歩踏み出すことを迷うボランティア志望者の背中を押してくれました。私もその一人です。

    事務局には取材と文章力に長けた素晴しい方がいらっしゃるのだな、と思っていましたが、本職の方だったのですね。本当にありがとうございました。

  9. 加倉井誠 |

    大石さん
    ボランティアから自宅にもどって以来、毎日あなたの記事が更新されていないか、確認するのが何よりも楽しみでした。
    プロが書く記事は読み応えがあり、新たにボランティアに行く友人にはこのサイトを読むように伝え、パソコンが使えない年配の方にはプリントしたものを配ったりもしました。

    遠野の夜の出来事は、神様からのご褒美だったと思います。
    また静岡からも投稿してください。楽しみにしております。
    本当にお疲れさまでした。

「陸前高田市広田町大野地区のコミュニティ施設設営事業」は 「平成23年度(復興支援)被災者支援拠点づくり活動補助事業」の 助成金の補助をいただいています。