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「復興支援検証会議」で論戦、開かれた検証へのキックオフ

3月31日、「復興支援検証会議」が日本財団ビル1階のバウルーム(東京都港区赤坂)で開催されました。当日は約200人が来場。個人ボランティアのほか、NPOやNGOなどの関連団体、行政や企業、研究機関の関係者など東日本大震災における支援活動や今後の検証に関心を寄せる多くの顔ぶれが集まりました。

この会議のテーマは「支援の原点」を見つめ直すこと。8時間にわたる会議の冒頭挨拶では、遠野まごころネットの荒川栄悦顧問が「これまで被災地で行われてきた支援活動はきちんと検証されなければならない。課題を浮き彫りにすることで遠野まごころネットやみなさんの問題意識を共有し、次の行動につながる原動力にしよう。今日はそのスタートの日だ」と語りました。

午前10時30分に始まったこの会議では、震災直後から現地で支援活動に奮闘されてきた方々を中心に総勢20人を超えるパネリストやコーディネーターが登壇。来場者とともに、この1年を振り返りつつ、様々な角度から率直な議論を交わしました。被災地で迅速かつ、円滑な支援活動を行うにあたって障壁となったものは何なのか、機能したもの・機能できなかったものは何か、そもそも何のため、誰のための支援なのか、改善すべき問題点や現場から得た教訓を洗い出すとともにみんなで当事者意識を共有し、今後の支援のあり方を真剣に考えた意義深い1日となりました(各セッションの内容は別途記事を掲載します)。

復興支援検証会議

 第1部の議題は「NPO・ボランティアの役割とその検証」です。ここでは今回の震災直後の支援活動における初動の話を絡めながら、現地における適切な支援のネックとなったものや、支援にあたっての現地組織の機能の検証、災害ボランティアとしての立ち位置や地域と各団体の連携などについての意見が交わされました。

白熱した議論のなかで第1部が終了し、休憩時にはシンガーソングライターのタマルさんによるミニライブが開催されました。タマルさんのお母様は大船渡出身で、タマルさんご自身も被災地と深いつながりがあり、歌う時にはいつも幼い頃から見ていた沿岸部の風景や思い出が頭に浮かぶのだそうです。今回のライブでは5曲を披露。「歩き出そう 未来へ」は、大槌小学校の作詞プロジェクトチームが作った歌詞にタマルさんがメロディを付けてアレンジされたもので、まごころネットの多田代表の提案がきっかけで生まれた曲だそうです。ライブを聴きながらタマルさんの澄んだ素敵な歌声と想いが詰まった言葉に目頭が熱くなった方も多かったのではないかと思います。ここにタマルさんからのメッセージの要約をご紹介します。

―――タマルさんからのメッセージ

今日はささやかな祈りを込めて歌います。私の家族も被災しました。目にした景色をどう説明したらいいかわからない、悲しみにも蓋をされたような思いでした。少しずつ冷静に考えられるようになった時、本当に東京にいる自分もたくさんの応援や人の心に支えられているおかげで今こうして生きているのだと感じます。「歩き出そう 未来へ」は多田さんから提案を頂いて作曲しました。大槌を訪ねた一人として、学校の生徒のみなさんの顔も忘れられなくて何か力になれたらと思ってトライしました。被災地に早く春が来るといいな。早く暖かくなるといいな。小さな願いで世界中が守られたらいいな。希望や愛、絆とか(を言葉に出したり信じること)が大人になるほど恥ずかしくない自分でいたいと思います。生きることをあきらめたくない。前向きな気持ちになる曲をこれからもたくさん届けていきたいです。

 

今日流した涙をそっと明日の希望に変えて どんな時もくじけない

きっと必ずこの悲しみも 僕らは強く乗り越える

忘れないあの時の友を 忘れないあの時の絆を

夢中になって光もとめ 未来へ歩き出そう ※「歩き出そう 未来へ」より一部抜粋

タマル オフィシャルサイト

 

第2部は「変化する現地・現在の課題とアクター」と題し、被災地で実際に支援を受け入れた側の視点から現地の実情や課題について考えました。このセッションでは岩手や宮城、福島出身の地元の方々がパネリストとして登壇。現地からのナマの声を聞く貴重な機会だけに真剣に聞き入る来場者の姿が目立ちました。既存の法律やシステムの枠組みのなかでの復興支援や地域再生の難しさ、働きたくても地元に雇用の場がないこと、住民と行政の軋轢、同じ被災地のなかでも支援の広がりに地域格差が生じていること・・・。殊に今回のパネリストで福島県浪江町出身の原田雄一さんが語ってくださった厳しい避難生活の現実には胸が痛むとともに、地域による支援格差の問題について深く考えさせられました。

―――原田雄一さん(まちづくりNPO新町なみえ)

福島の場合、原発事故でコミュニティが完全に壊されてしまい、避難させられたことが他の被災地と一番異なる部分だ。住民がばらばらになり、避難先の自治体の受け入れにも温度差がある。東京に避難してきたおばあちゃんは浪江の方言をしゃべることができない。4月からの浪江高校の新入生はゼロ。浪江というアイデンティティまでもが失われかねない。今、やらなければならないのは絆に特化する支援だ。今回の事故の一番の被害者は子供たち。原発だけでなく、いわれのない誹謗中傷や差別からも子供たちを守っていかなければならない。

第3部は「企業の役割、新たなるアクターとボランティアの連携」がテーマです。企業が震災後の支援活動でどのようなアクションを起こしたか。いくつかの実例を挙げながら、企業ならでは支援、やりたくてもできなかった支援、企業や業種の枠を超えて個人の専門的 なスキルを生かした協働の取り組み、今後の課題などを討議しました。「企業も危機管理の当事者意識を持つことが経営上のリスク管理にもつながる」、「被災した企業は補正予算の対象だが、地元で新規ビジネスを立ち上げた企業には補助金が出ない」、「NPO法人にもビジネス感覚が必要」など様々な意見が飛び交いました。

第4部の徹底討論ではパネリスト全員が登壇しました。「支援にあたっての枠や垣根をどう取り外せばよいか」、「支援のウィキペディアのようなものを構築できないか」、「人材のミスマッチの解消のために、海外の事例を参考にしたアイデアリストがあってもよいのでは」、「与える支援から痛みを分かち合う支援にシフトするべき」など活発な議論となり、予定時間を30分延長することに。ファシリテーターを務めた松永秀樹さんのまとめと、多田代表の挨拶でしめくくりました。

―――松永秀樹さん(ジャパン・プラットフォーム)

もちろん支援は続けなければいけない。津波によって起きた問題と、その前から存在していた問題とがある。例えば三陸の産業の衰退や高齢化の問題は以前からあったことで、福島の放射能は人類史上、新たな問題であること。今回の震災はイシューがあまりにも複雑かつ、広範囲にわたって幾層にも重なっているのでまとめることが難しい。みんなの叡智を集めて解決の方向に向けた仕組みと意識をどうするか。すぐに結論は出ないと思うが検証し、フィードバックするべき。

―――多田一彦代表の挨拶

今を検証することは絶対に大事だ。将来に向けてどんどん提案していきたい。今の問題は被災地・被災者の問題ではない。国や構造の問題。これは解決しなければならないし、解決する力が私たちにはあると考えている。みんなでそこに向かっていくべき。どんどん意見を言えるネットワーク、いいことはやる、悪いことは変える。組織もネットワークもその状況や人、何のためにできたのかによって変わるべき。だから固執して考える必要はない。今は日本自体に出口がない状態。もしかしたら東日本から出口をつくることができるかもしれないし、つくらなければならない。今日はキックオフ。さらに提案して(今回のような検証会議を)続けるべきだと思う。今日はありがとうございました。

全てのセッションが終了したのは午後7時。長時間の会議にもかかわらず、途中退出者は少なく、参加者それぞれがあらためて当事者意識や様々な課題を共有できたのではないでしょうか。日本は過去に幾度も大きな災害に見舞われ、そのたびに多くのNPOやNGOなどが緊急支援や現地のサポートに奔走してきました。しかし、各団体の活動期間や支援からの撤退時期はバラバラで、これまで現場で様々な支援活動に携わった関係者による情報の共有やアーカイブ化、事実に基づく徹底的な検証はなされていないというのが実態でした。このことが今回の復興支援検証会議を開催した背景にあります。遠野まごころネットの多田代表は「良い検証から良いビジョンが生まれ、良いビジョンから良い制度が生まれる。自己ためではなく、世の為に検証を進めるべきだ」と指摘します。今回の震災を徹底的に検証することで、今後起こりうる災害対応に備えたノウハウや情報を共有し、後世に伝えていくことは今の時代を生きる私たちの責務といえるでしょう。検証に向けた取り組みはまだ始まったばかりですが、今後も継続的にこのような復興支援検証会議が開催されることを期待します。

(取材・文:高崎美智子)

 

参考資料PDF

復興支援検証会議のお知らせ