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まごころ体験記-希望を感じた一か月

<まごころ体験記⑪>

 希望を感じた一か月

 

静岡県 掛川市 筒井香織(前よりそう編集長)

 

◆ 臼澤良一さんの言葉(寺野弓道場、まごころ広場館長)

 本当にたいせつなことは物質的なことではない。人と人とが支え合う”手当て”の心。相手に手を当て、心の繋がりを感じること。たくさんのボランティア達と出逢い、彼らが被災者の方々の話を聞きながら涙する姿を見て、そのことを知った。 今、臼澤さんは自然と人とがより良い形で共存できる街造りを目指している。私は、彼の考え方に100%共感する。

 

臼澤館長

 ◆ 大槌町の一人のお母さん

 津波にのまれた車の中に夫婦がいた。男性はハンドルにうつ伏せて亡くなっていた。女性は必死で開けたような車の窓から手が出ていた。一瞬はっとしたが、亡くなっていた。きっと誰かに助けを求めていた。その手が何度もフラッシュバック(蘇ってくる)する。と泣いていた。自分を責めている。でも、周りもみんな同じ思い、又はそれ以上に辛い思いをしている人もいる。そんな話しはできない。見ず知らずのボランティアであれば話しやすい。聞いてもらえる事で少しずつ楽になっていく。だから辛いことを話してくれるのは良い事だ。そんな事に希望を感じた。話をただ聞くだけ、それが十分ボランティアなのだ。と気付いた。

 

 ◆ 大槌町、避難所の責任者の話

 震災前には地元から出ていくことばかり考えていた。でも震災後、一生懸命なおじいちゃん・おばあちゃん達の姿を見て、『働けなくても一生ここ(大槌町)にいる。』と決めた若者がいた。大切なのはお金やモノではない。という事を、身をもって知ったのだ。この避難所の責任者が、嬉しそうに語ってくれた。

 

 ◆ 長部町、コミュニティーセンターのお母さん

 震災当初から、避難所の食事を先頭にたって作っている一人のお母さん。妙子さんは避難所にいる全員を私の子供だ。と言う。震災当初は400人の子供がいた。全員分の食事をどう賄っていこう。お米を持っている近所の人達からかき集めた。24時間お米を炊いた。自衛隊が来たのは震災から1ヶ月後。ここは今でも水道が通っていない。『みんな辛い思いをしている。悲しい顔をしていられない。私が悲しい顔をしていたらみんなも悲しい顔になる。』妙子さんは今日まで笑顔を絶やさない。妙子さんの家は2度目の津波の被害を受けた。1960年のチリ地震の時と今回の東日本大震災だ。それでも周りの人達の支えになろうと笑顔でいる。震災に遭い、たくさんの人達に助けられ、支えられていることを知った。

ここに来るボランティアのみんなにも支えられ、人と人の本当の意味での繋がりを知った。見ず知らずであった人同士が出逢い、暖かい気持ちで接することから産まれる繋がりであった。辛い思いをしながらも、たくさんの笑顔を人に与えられるのは、そんな妙子さん自身の思いが心の奥にあるからだ。

 

 ◆ 陸前高田、ひまわりのお母さん

 津波で家の中がまるで田んぼのようになってしまった。家の周りは瓦礫だらけ、家の中にはもちろん入れない。大きな船がすぐそこに在る。近所の家はいくつか流されてなくなっている。自宅の上の方に近所にあったはずの倉庫のような建物がある。畑も瓦礫だらけ。異様な光景だ。平和な世界が一変してしまっていた。命は助かったものの…..。吉田さん夫妻はたくさんのモノを失った。でも、命が助かったことを心から喜んでくれる2人の息子さん、瓦礫撤去からはじまり、ひまわりの種を植えるまで出逢ったたくさんのボランティアに絆を感じてくれている。お母さんもみんなの事を子供のように思っている。涙を流して辛い体験を語った後に、美しい笑顔で、泣いている私を励ましてくれた。

ヒマワリのお母さんと

お母さんが生きていて、本当に良かった。私には、ひまわりとお母さんの顔が重なって見えた。まさに、ひまわりの様なお母さんなのだ。私に話してくれた、出逢ってくれたたくさんの人達にたくさんの希望を感じ、あたえて貰えた大きな喜びに感謝します。 まだまだ笑顔の奥に大きな悲しみを秘めてはいるが、それと同時にこの大きな震災は、大きく人々の価値観を変えた。私が想像していた以上に人々のメンタリティ(精神)は強かった。正直、テレビの報道を見たりしているよりよっぽど被災者の人達から希望を貰った。悲しく、辛い話をする被災者の人達の心の中から湧き出てくる希望、それは、モノに溢れ、情報に溢れ、急激なテクノロジーの発達と、お金中心の社会から少しずつ忘れ去られてきた本当に大切なものに気付いた人の多さ。先の生活にはもちろん大きな不安をその小さな胸いっぱいに抱えている。それでも、本当に大切なものは何なのか彼らは知っている。私は、確実にたくさんの出逢った人達から希望を感じた。    先日私は、約1ヶ月間の遠野まごころネットでのボランティア活動を終えて家に帰ってきた。あっと言う間の1ヶ月だった。今まで全くしたことのない編集の活動に始めはとても戸惑った。前の編集長から編集長を頼まれ、何をどうしていいのか解らないまま何とか毎日”よりそう”を作った。とにかく、現場の様子や、まごころネット内の生活の様子がよりリアルに伝わる新聞を作ることと、残していくことに必死だった。より幅広いたくさんの人とコミュニケーションを取ることを心がけた。その結果、たくさんの人がそれぞれの形で協力してくれた。まごころネットには、たくさんの素敵なボランティアさん達がいて、見ず知らずの他人だった人達がいつの間にかお互い助け合える素敵な関係を作れる場所だ。そういうまごころのある場所だった。    私は”よりそう”を造ることができたことにいろんな意味で心から感謝している。よりたくさんの人達と出逢うことができた。避難所のお姉様方、現場から内勤のボランティアさん達、事務局のボランティアさん達、社協さん、お掃除のお姉様方、中学校の校長先生、新聞社、日赤、NPO・JICA関係者の人達、被災者の方々、遠野の地元の人達、よりそうOB達など、幅広い人々と出逢い、関わることができた。”よりそう”を造ることは、ある意味人と人を繋げることができるボランティア活動であると感じた。これからも、”よりそう”を読むことでより多くのボランティアがここ遠野の”まごころネット”に来てくれる。と信じている。多くのボランティアが、それぞれの素敵な出逢いをここ遠野でできたら尚嬉しい。そして、この遠野の美しい花々、山々、川、夕焼け、星空、鳶、妖怪達に出逢えたことにお礼を言いたい。ありがとうございました。 

編集部員と見た遠野の朝焼け

筒井 香織 1973年4月14日 静岡県産まれ。1999年1月から2006年5月までアメリカ・ニューヨークに在住。9.11の同時多発テロの時には、ダウンタウンに住んでいた。あまりにも衝撃的な出来事だった。これをきっかけに国際協力などに興味を持つようになった。 2008年1月 ~ 2010年1月 / 2010年4月 ~ 2011年2月 青年海外協力隊としてネパールで活動。身体障害者達の為のNGOで、手工芸品の作り方・技術を教えたり、デザインをしたりして、市場に出す活動をした。まごころネットではボランティア内の壁新聞「よりそう」の編集長として奮闘。