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長崎・壱岐活き応援団!~陸前高田~

2012年5月28日  17時46分

長崎と対馬の中間、玄界灘に浮かぶ壱岐島からバスで片道36時間(!)、「壱岐活き応援団」様が上長部にボランティアに来てくださいました。
遙かな地から寄せられた想いと意気込みを感じました。


「壱岐活き応援団」は、壱岐市が派遣する東日本大震災支援ボランティア部です。
これまでの派遣先は宮城県松島市と南三陸町。4回目の派遣にあたる今回、昨年5月にまごころのボランティア活動に参加された辻樹夫さんを隊長とし、壱岐土地改良区の男性、58歳から72歳まで総勢15名を率いての参加となりました。
がっしりとした体つきとキビキビとした身のこなし、長旅にもかかわらず、疲れた風も見せず爽やかに笑う九州男児たちの姿が印象的でした。

この日の活動は、じゃがいも畑の土寄せとマルチ掛け(うねにビニールを張ること)。


「南のじゃがいもは、北のじゃがいもと育て方が違う。南では、種芋を3つくらいに切って穴を掘って入れるんだ。」作業をしながら、いろいろと気づきがあるようです。


「今の時期にマルチはいらないんじゃないか?」「すぐそばまで鹿の足跡があるからネットを張って対策をした方がいい。」、「追肥を急いだ方がいい。」、「もう間引きをしないと。」……。矢継ぎ早に提案をいただきました。それもそのはず、長崎はじゃがいもの生産量が全国第2位だそうです。農業経験の乏しい私は、ただひたすらメモを取るばかりでした。


上長部のおがさんたちとの会話も盛り上がりました。
「壱岐?遠くから、まぁ~。ご苦労様です。」というおがさんの声に、九州男児らしく微笑みます。日頃、農業に携わっている者同士、話題にも事欠かないようで、私にはついていけませんでしたが、ポンポン飛び交う気仙語()と、壱岐の素朴な九州弁が織りなす会話は、なんとも地方色豊かで面白かったです。きっと土の中の種芋たちもクスクスと笑っていたことでしょう。

)気仙語とは、陸前高田市・大船渡市・住田町・宮城県の気仙沼市などで使われている方言で、この地域にいた蝦夷(えみし)の影響を受けた言葉とされる。カ行・タ行が濁音化する・ガ行の鼻濁音化するなどの特徴をもつ。
参考:http://pctopia.s17.xrea.com/hidari/index.html


こうした会話がなされる間も、誰も手を止めません。「休みをとるような作業じゃない。」と、手間のかかる作業も数分で片付けていきます。予定していた作業もほどなく終わり、


ビニールハウス予定地の整地作業や、薪割りまでお手伝いいただくこととなりました。

仕事の手際というのでしょうか、壱岐の方々にはそうしたものを教えられた気がしました。壱岐には行ったことがありませんが、島で生きることは決して楽なことではないと思います。応援団の方々の身のこなしを見ていると、そこには島で働き、村を営み、生きてこられた皆さんの生き様や術、歴史といったものが全て刻み込まれているような気がしました。そしてこのことは、この陸前高田市で生きようとしているお父さん・おがさん達の姿にも重なるように思えました。

この日はまた、農地の表土入れ替え工事も始まっていました。しかし、ビニールハウスを建てるための整地作業をお願いした場所が、その日の工事場所だったというハプニングがあり、地域全体で進行している事柄と、団体を受け入れての作業との調整がうまくできていなかったことに気づきました。私自身の作業段取りへの理解が不十分だった点と、改善すべき点を壱岐の方々は教えてくださいました。

「焦らない。焦らない。」そこには壱岐の方々の笑顔がありました。

「ここ(上長部)もいいところだけど、壱岐もすごくいいところだよ。あなたが来たら島中を案内するよ。」
ふっと、気持ちが楽になりました。


「自分たちが死んだら孫の代も来させるよ。」
そう言い残して応援団は壱岐へと戻られました。

  私は今、上長部で懸命に生きようとしている人々に魅了されています。
壱岐の人々にも、同じ種類の魅かれるものを感じます。
きっと、素敵な島なのでしょうね。

「いつか、行ってみたい」

そう思いました。

(文 写真 山田エリナ)

「陸前高田市広田町大野地区のコミュニティ施設設営事業」は 「平成23年度(復興支援)被災者支援拠点づくり活動補助事業」の 助成金の補助をいただいています。