- 遠野まごころネット - http://tonomagokoro.net -

「手紙文庫」第一弾到着

届いた本の一部

届いた本の一部

4月22日にスタートした「手紙文庫」の第一弾が到着しました。 手紙文庫の館長に就任した臼澤(うすざわ)良一さん(62)に、日本初のまごころあふれる文庫の誕生までの経緯を聞きました。

臼澤さんはあの日、大槌町駅前本町の自宅にいた。隣の釜石市の市役所を2年前に定年退職し、ライフワークのゲンジボタルの研究や環境保全、自然保護のNPO法人活動に打ち込む充実した第二の人生を送っていた。

午後3時21分に発生した激しい揺れがやっと収まった時でもまだ、臼澤さんは冷静だった。海から自宅まで直線距離で約2㌔ある。停電となり、慌ててつけたラジオは大津波警報の発令を報じていたが、その予想の高さは3㍍。「だったら、こんなとこまで来るもんか!」とたかをくくって、倒れた仏壇を直していた。

やがて、防災無線の大音響が鳴り響き、消防署に勤める次男の岳さん(32)の上ずった声が、津波の来襲を告げ始めた。「お父さん! 大変だ!! 津波がくるよ。」玄関の外に飛び出していた妻・洋子さん(61)の大声に、慌てて窓を開けて外を見ると、海の方向からもうもうと土煙が上がっているのが目に入った。そして、すぐに約50㍍先の方から続く家並みが「バリバリ」というごう音を立てながら、ドミノ倒しのように次々と手前に倒れ始めた。

時に午後3時45分。「さっきの地震で、何で今ごろ家が倒れんだ?」と思ってから、やっと気付いた。「津波だ!!」。次男の嫁と1歳の孫と、玄関前にいた洋子さんが、再び絶叫した。「お父さん! タロをお願い!」。

臼澤さんは、柴犬のタロ(10)のいた2階に駆け上がった。クローゼットの片隅でうずくまっていた愛犬を抱き上げた瞬間、どす黒い水が階段から噴き上げた。「このままじゃ死ぬ」と2階の窓から1階の屋根に飛び降りた時、辺り一面はもう泥の海と化していた。周囲の家がギシギシときしみながら流れていた。火の付いたプロパンガスが「ボン!」「ボン!」と水上で爆発しながら回転していた。そして、至るところから「助けてくれ~」という悲鳴が聞こえた。 やがて、自宅もゆっくりと浮かび上がり、ボートのように300㍍も進んだ。

いつの間にか、燃え上がる隣の家の火が移り、2階の窓ガラスが高熱で吹き飛んだ。「もうここにはいられない」。覚悟を決めて、右手で流れてきた直径5㌢の高圧電線をつかみ、左腕に愛犬を抱え、がれきを伝って近くのコンクリートの家の2階ベランダに飛び移り、中に逃げ込んだ。しかし、水かさはさらに増してきた。凍える冷たさの水に浸かりながらも家具の上によじ登りつま先立ちしすると、もう天井が目の前だった。

思わず右手の拳で天井板を殴った。中指の骨が折れ、血だらけになったころ、繋ぎ目がずれて空気穴が空いた。水遁の術を使った忍者のような格好で耐えること10分、やっと水が引いてきた。先ほどのベランダに出ると、今度は無数の自動車が炎上しながら浮かんでいた。しかし、もうどこからも人の声は聞こえなかった。

津波で破壊された大槌町

津波で破壊された大槌町

氷点下の寒さの中、瓦礫の上をびしょ濡れの体で靴もなく歩き通し、また別の家の屋根に逃げてから、震える犬と一緒に消防団員に救助された。そこから高台の山道を2㌔歩き、公民館で家族と再会した。

先に逃げた妻たちは、水没し、シーソーのように揺れる横断歩道の上で、胸まで水に浸かりながら生き延びていたという。消防署で当直だった次男は、先に屋上に出た2人の同僚が波にさらわれてしまったが、自分は階段の手すりにつかまって助かったという。大槻町役場勤務の長男・洋喜さん(34)も無事だった。「どんな時でも絶対に泣いたことのない妻がわんわん泣いていた」。2人で抱き合って泣き続けた。

流された自宅は全焼し、すべてを失った。家財道具はもちろん、小川に放流するため20数年前から大事に大事に人工飼育を続けてきたゲンジボタルの幼虫300匹、過去の写真やデータ、趣味のトロンボーン3つ、ジャズのCD数百枚も消えてしまった。それでも避難所には、夫や妻、子どもを亡くした近所の住民の涙、おえつの声があふれていた。「どうして、われわれだけは家族全員助かったのか?」。命が助かったうれしさよりも、財産を失った悲しさよりも、どうしようもない「申し訳なさ」が、胸を締めつけた。「神様からいただいた命、そして、こうやって生かされたこの命を残された被災者のために捧げたい」。そう決意し、自分を納得させた。

津波で破壊された大槌町

津波で破壊された大槌町

「遠野まごころネット」の多田副代表と話し合いを重ね、「手紙文庫」をスタートさせた。東京でのPR活動や、ホームページでの広報が実を結び、この日初めて、段ボール2箱(128冊)の本と7通の手紙が、事務局に届いた。「津波で本を流されてしまった子供たちに生きる希望を与えるような本を与えたいんです。感受性の一番強い時代に読んだ本、いただいた励ましのお便りが、彼らの心の灯火になるように…」。

集まった本を避難所や小中学校に運び、希望者に手紙のコピーとともに配る。そんな運動の「館長」として、これから南三陸を歩き回るつもりだ。 津波でゲンジボタルの住む清流の多くも、壊滅状態となってしまった。しかし、臼澤さんがこの20年以上、幼虫を放流し続けた釜石市内の山間にある最大の生息地は無事だった。「もう一度、最初からホタルも育ててみようと思います」。今年も6月下旬から7月始めにかけて、被災地の山間に無数の命の灯火が乱舞することだろう。