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まごころ農園物語 -みんなの力で農園を作った-

大槌町にある「まごころの郷第2」は、「まごころ農園」として近隣の仮設住宅の住民の方に親しまれています。ゼロから始め、ここまで来た間には多くの苦労がありました。まごころ農園のこれまでの歩みをご紹介します。

〈きっかけは地元住民の提案〉

大槌町は東日本大震災により大きな被害を受けました。被災した方たちは最初は避難所、その後、仮設住宅に入居しました。沿岸部に住んでいた方々が中山間地域にある仮設住宅に住むことになりました。

このような事態に対し、元からの住民の方々から、「休耕地があるから仮設に入っている人たちに畑作業をしてもらったらいいのでは。まごころさん、そういうのを作って」とご提案をいただきました。土地の選定から地主さんの紹介まで地元の方にしていただき、大槌町小鎚の蕨打直(わらびうちな)地区の約3000平米の休耕田を借りることができました。

ここに、住民のための貸し農園を中心に、麦畑がメインの協働農園、お花畑、散歩のためのプロムナード(遊歩道)、憩いの松林、集会所をもつ、地域住民のためのスペースとしてのまごころ農園(まごころの郷第2)を作ることになりました。

〈人力で荒れ地を開墾〉

その土地は、背丈を越すススキ・灌木に埋め尽くされた荒地でした。2011年7月よりススキや灌木の切り払いから始め、10月に入り本格的に作業を再開しました。

「10月中にここをカタチにして地元大槌の方にお渡しする」という目標を持って、10月16日の開所式までに、まずはモデル区画の15m x 15mの畑を作ることにしました。人力でススキの株を掘り、葛の根を取り払い、石をどけて、畑を開墾しました。

開墾するには多くの人手が必要ですが、当時まごころネットに1日200人ほどいたボランティアの多くは被災地での瓦礫撤去作業を希望し、農園は人手が足りませんでした。私は毎日のミーティングで進行状況を説明し、参加を呼びかけ、人手を集めました。

10月下旬にはトラクターによる耕耘が出来るところまでこぎつけました。トラクターは大槌町の農家から借りることができました。しかしまごころネットにはトラクターを操作できる人がいませんでした。地元の方に相談したところ、操作の仕方を指導していただき、ボランティアが乗り方を習得してトラクターを使用できるようになりました。畑の一部には、来春の収穫を願って小麦も植えました。

人々が集えるスペースにしようと、ウッドデッキ作りも同時に進めました。これはもともとある松の木を切り倒さずにデッキに取り込んだデザインのものです。大工の棟梁の応援があり、指導を受けることができましたが、石と松の根だらけの地面に人力で土台の穴を掘るのが大変な作業でした。

  

松林の中には花壇を作り、支援のチューリップ・スカシユリの球根を植えました。

近隣の仮設住宅の方々は「春になって花がいっぱい咲いたらいいね。麦?小さいころ麦踏みをした。懐かしいね」と関心を寄せてくれました。

〈極寒の冬にも毎日農園へ〉

初めて経験する岩手の冬はまるでシベリアかと思うほどの寒さでした。秋に植えた麦も氷漬けで、麦踏みどころか生きているかどうかも分かりません。花の球根も土が凍りついて芽が出ることすら疑問でした。この時期に農作業はほとんどありません。各地から寄付していただいた農具の手入れや畑の見回りをしていました。

 

農園の前の道は近隣の仮設に入居されている方の散歩道でもありましたが、半日薪ストーブを焚いて待っていても誰一人通らない日が続きました。それでも地元の人のために、誰もいない状態にしたくなかったので、数分の見回りだけでもほぼ毎日欠かさず行いました。風がなく日差しが良い日には通りかかる人がいましたので「寄っていって」と声をかけ続けました。

この薪ストーブは、陸前高田市上長部の、津波をかぶって枯れた杉を薪として利用しています。ストーブの周りには丸太の腰掛けを置き、春や秋にも寒いときには皆でストーブを囲んで温まることができるスペースになりました。

 

〈春、家庭菜園が盛況〉

3月後半。ようやく温かくなり雪・氷が解けてきました。水はけが悪い土地で、雪が解けたら洪水です。凍って解けて、一歩一歩春めいていきます。

 

球根も芽を出しました。道を歩く人も花の芽が出ているのを見て「花が咲くのが待ち遠しい」と言ってくれました。

畑の準備も開始です。堆肥を入れ、トラクターで耕耘です。そして家庭菜園の区画割。全部で41区画を作りました。

家庭菜園の募集を行ったところ、初日で14区画の申し込みがあり、その後口コミで申込者が増え、現在満杯です。初めは住民からどれくらい応募があるのか心配しましたが、区画がすべて埋まったのでとてもうれしかったです。経験のある人も畑づくり初心者もおり、様々な野菜が見事に育っています。冬を耐えた花を見に子供たちをはじめ多くの人が集まっています。

〈水はけ対策の草地が子供の遊び場に〉

この農園で困っていたことは、水はけの悪さです。雪融けや大雨のたび冠水していました。

そこで、土地の一部を畑にせず、水を逃がす遊水地として利用してクローバー等の牧草を何種類か蒔きました。この牧草地には近所の子供たちが遊びに来てくれるようになりました。仮設住宅には子供が遊べる広いスペースが無いので、子供たちが走り回って遊べる原っぱができたことが、大変うれしいことでした。隣の地主さんの好意で排水パイプを設置し、現地、大槌に住むスタッフが状況に応じて開閉してくれるようになり、排水の問題は改善しています。牧草地は他の用途にも使うことが可能になりましたが、しばらくは原っぱを子供たちのために残したいと考えています。

〈一粒の籾流れつかずんば―安渡産大槌復興米〉

この農園の一角には水田もあります。ここで育てている稲は津波を生き抜いたたくましい稲なのです。

昨年、大槌町安渡地区に3粒の籾が、ある家の玄関先に流れ着きました。安渡には水田はありません。どこから来たのかわかりません。しかしその籾は水も肥料もない中、芽を出し、穂を付け、秋には稲穂が実りました。家の持ち主の菊池妙さんが稲穂を見つけ、大事に大事に刈り取りました。菊池さんはその稲に「平成23年度安渡産大槌復興米」と名前を付けられ「大槌の復興の証としてぜひとも増やしてほしい」と私たちに託されました。

 

籾は塩水選別もせず育苗箱で芽出しをしましたが、443粒のうち150粒が芽を出しました。2012年5月26日、復興への思いを込めてみんなで田植えをしました。一株2本づつ植えましたが見事に分蘖(ぶんけつ)をし順調に育っています。

  

 

菊池さんの同級生の臼澤さんが稲作の管理を引き受けてくれました。臼澤さんはほぼ毎日農園に通い水田の管理をする一方、まごころ農園を訪れるボランティアに農園や安渡産大槌復興米について詳しく説明してくださっています。

〈今後の夢が膨らむ〉

昨年まごころ農園の担当を任された私には農業の経験はありませんでした。多くのボランティアさん、途中から加わった地元出身のスタッフ、そして住民のみなさんの協力の結果、この農園は今では農作物が順調に育ち、子供たちが遊び、人々が交流できる場となりました。今では家庭菜園の世話が生きがいになっている住民の方もいます。今後はさらに住民の方にこの場を活用していってもらえたらと思います。

 

これからの季節は収穫が楽しみです。「収穫したらパーティーをしたい」「さらに農園を広げ、水田を増やしたい」といろいろな計画が浮かびます。

草取り等、農作業には常に人手が必要です。これからもぜひボランティアの皆様にご協力をいただきたいと思います。

 ※活動報告サイト:まごころ農園日記http://magokoronosato-nouen.jimdo.com/

 ※参考資料:壁新聞「よりそう」2011年10/3号〜10/22号より抜粋した画像   ⇒壁新聞「よりそう」

 

(大槌町コーディネーター 宮本賢治 / 記事構成・聞き取り 飯嶋朋子)