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5・30 遠野物語の柳田國男の義娘・冨美子さんがボランティア有志を「伝承館」に招待

連日の悪天候により、まごころネット史上初めて被災地でのボランティア活動が3日連続で中止となった5月30日、「民話のふるさと」にあこがれて遠野にやってきた読書好きのボランティアを歓喜させる出来事が起こりました。遠野を全世界に知らしめた「遠野物語」の著者で日本の民俗学の創始者・柳田國男(1875~1962)の長男、故・為正氏(元お茶の女子大名誉教授)の夫人・冨美子さん(91)が、まごころネットの関係者を通じ「ボランティアのみなさんは、夜には狭い体育館でマグロのように寝ていらっしゃるんですって? 雨の一日中、そこに閉じ込められるのなら、私の家で新緑を眺めてゆっくりなさるように、おいでくださいませんか?」と、遠野市松崎町にある「柳田國男伝承館」に希望者を招待してくださったのです。老若男女の遠野物語ファンは、大喜び。車に乗り合わせ、お弁当持参で同館を訪れて、昭和初期からの貴重なお話を伺ったというわけです。

柳田國男ファンのボランティアとの記念写真に応じる冨美子さん

柳田國男ファンのボランティアとの記念写真に応じる冨美子さん

柳田國男伝承館とは、東京・世田谷区成城にあった旧柳田邸の半分を、國男ゆかりの遠野にそっくりそのまま移築したもので、今も東京でご長男一家と在住の冨美子さんが遠野に滞在の際は、お1人で居住されています。「私、若い人と話すのが大好きだし、おせっかいばかり焼いているのよ」と優しい笑みで20人のボランティア一行を出迎えてくださいました。冨美子さんは、戦争が始まった昭和16年12月に為正氏と学士会館でご結婚、そして新婚旅行中だった静岡・伊豆下田で日本海軍の真珠湾攻撃による太平洋戦争開戦を知ったそうです。「すぐに船旅は中止。木炭バスで天城越えとなり、急な坂では乗客みんなで(降りて)押しましたのよ」と楽しそうにお話でした。

東京から移設された柳田邸

戦争と同時に始まった柳田家での波乱万丈の生活をユーモアたっぷりに振り返えられると、一行はうなずきながら聞き入っていました。「戦時中、終戦直後は、本当に食料がなくて大変でした。今回の災害には胸がつぶれる思いがいたしますが、全国から食べ物が届いているし、みなさんのようなボランティアさんもいっぱいきてくださっている。日本は現代化してダメになったと思っていましたけど、近代化していいこともあるのね。とにかく、こんな時代になるなんて夢にも思いませんでした」と話されました。

優しく語りかける冨美子さん

これまでも、折に触れて「遠野物語の時代から、いつも強いものに黙ってついていきたがる日本人」の生き方に警鐘を鳴らしてこられたというが、今回の震災を機にその思いがさらに強まったそうです。「私は、若い人には『今こそ政治に興味を持ちなさい』と言っているの。今の外交はからっきしダメね。きっかけというには、ひどすぎる震災ですけど、何年かかっても日本が立ち直って、いつかインターナショナルな面で地位を確立できるようになってほしいです」。義父・國男から学んだことを尋ねられると「父は旅行に行った時に、日記を書いていました。それだけで1つの民俗史になったと思います。みなさんには、日記を書きなさいと言いたいです。自分の目でよく見ること。自分の耳でよく聞くこと。それから自分の頭で考えること。自分の言葉で、自分の考えを表現できる人になってください。どなたかが『新・遠野物語』を書ける時代になるとよいと思います」。6月には92歳を迎えられる冨美子さんは、背筋を伸ばし、目をはっきり輝かせて力強く語られると、その場の全員は、ただただ感服するばかりでした。

63年、米国在住時代(右は故・為正氏)