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0806-07 うごく七夕まつり~体験レポート~(陸前高田市)

陸前高田市の「うごく七夕」は、6日に前夜祭を迎え、7日に本祭が行われた。

 

 大石・森の前祭組、大町・松原祭組、長砂・沼田祭組、川原祭組、中央祭組、鳴石祭組、和野祭組、駅前祭組、荒町祭組(ミニ山車)と全部で9つの山車が用意され、12祭組がそれぞれの形で運行された。12祭組ごと山車の装飾、太鼓・笛の音色が違い、それぞれの特色を出し、祭を盛り上げた。

     

もともと「うごく七夕」は、先祖の霊を慰めるために始まり、山車作りにみんなで汗をかき、太鼓・笛の練習に力を込める。練習を重ねるうちに次第に指が固くなってくる―――「いよいよ本番だ!!!」

当日は森の前祭組のみんなと大石祭組と合同という形で、大石の山車を一緒に引かせてもらった。森の前祭組は津波で山車が流された。土台だけ残った大石祭組と合同で山車を出すことになった。山車が市街地に入ると、一緒に引いていた地元の20代の男性が、「あそこに自分の家があった」と教えてくれた。ホントに家があったのか?というぐらい何もない。何も言い返せなかった。

昼の部が終わり、夜の部へ入る前、先程話した男性とは別の20代の男性と少し話をした。彼自身は住田の方で、奥さんが高田出身。森の前祭組だという。震災で奥さんのお父さんが亡くなった。「もっと話していればよかった。そのお父さんがやっていた「うごく七夕(森の前祭組)」をなくしたくない、残したい」と話してくれた。

大石祭組の女性からも話を聞いた。もともと子どもの数が減っていた大石祭組。震災後は仮設住宅や少し距離のある場所に引越し、さらに減少した。毎年山車に乗っていた2名が震災で亡くなった。

「その子たちのために続けていくことが大切」また、「見に来たことがきっかけで話が出来る。理想は昔みたいにみんなで集まれるようになること」と話した。

今回初めて「うごく七夕」に参加させてもらい、たくさんの感動、驚き、気付きがあった。普段は温厚な方が太鼓を叩き出すとガラリと変わり、「ヨイヤサー」と大声で掛け声をし、汗びっしょりになって太鼓を叩く。本当に活き活きとした顔であった。なぜ高田に住む地元の方が、「七夕だ七夕だ」と楽しみにしているのか理由がわかった。「うごく七夕」は、生きること・地域の絆(コミュニティ)を取り戻し、復興へ向けての原動力であるのだと確信した。

     

今年は大石祭組と合同と言う形で山車を引かせてもらったが、来年は若い世代が集まり、森の前祭組、いや12基すべての山車が動くことを願う。

 

(陸前高田地区担当スタッフ 小林幸三郎)