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被災地復興支援ボランティア活動報告(6) – 10/9,10

被災地復興支援ボランティア活動報告(6) - 10/9,10

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IT関連企業勤務 横浜在住 塚田 将
日程: 10/9(日)、10(月)
場所: 岩手県遠野市、大船渡市三陸町
団体: 遠野まごころネット

ハード面の支援

現地での支援活動は、2種類に大別されます。
1つは、瓦礫撤去、泥かき、家屋整理等、被災地の復旧・復興のための力仕事を行うハード面の支援です。
復旧・復興の歩みが地域で異なることは、前回までのレポートでお伝えしている通りです。
大きな瓦礫が片付いていない地域、整理・片付けが進んでいない家屋、塩害、ヘドロ、危険物で汚れている土地・田畑、引き潮による街の瓦礫で汚れている漁場・養殖場等、重機や人手を必要とする地域がまだ多くあります。
なお、まごころでは、被災者の生産活動とコミュニティ形成の場を提供するために、原野を整地し、田畑を復耕する活動も行っています。

ソフト面の支援

もう1つの支援活動は、足湯、仮設カフェ、お絵かき教室、イベント、レク等、被災者に寄り添い心身のケアを図るソフト面の支援です。
被災者一人ひとりの心身をケアすると共に、ハード同様、コミュニティ形成の場を提供しています。
力作業ではないため、女性の支援者が多いです。
現在、心のケアが重要なフェーズに移行していますが、現地活動をご一緒させて頂くことが多いメンタルケアのプロの方曰く、女性は、母性により、相手のちょっとした変化にも気づくことができるといいます。
心のケアには、被災者に求められることを察知することが必要になりますので、女性による支援が一層求められています。
このように、発災から7ヶ月が経過した現在、ハード・ソフト両面の支援が必要とされています。

ボランティアに行く!>活動紹介
http://tonomagokoro.net/lets-volunteer/activity

柏木平レイクリゾートのレクリエーション

遠野市には、まごころ副代表の多田一彦氏が代表を務める、「柏木平レイクリゾート」というリゾート地があります。
被災地の子供たちは、今、屋外でも屋内でも遊ぶ場所を失っています。
そこで、豊かな自然が広がるこのリゾート地に子供たちを招待して、思いっきり走り回って、沢山汗をかいて、皆で大きな声で笑ってもらうためのレクリエーションを行っています。
これは、「遠野市レクリエーション協会」が主催するイベントで、まごころはこのお手伝いをするのですが、10/9には、私を含め、8名のスタッフが参加しました。
この日、陸前高田市の気仙小学校から、子供たち6名、親御さん2名が遊びに来てくれました。
遠野レク協の方からは、父親が行方不明の家族もいると聞きました。

遠野・屋内レクの説明

AMは、屋内で、参加者全員で、レクをしました。
さすがレクの専門家が企画しただけあり、一人ひとりが楽しめるだけではなく、共同作業により進めていくゲームが多く、少しずつ交流の輪が広がり、最終的には参加者全員とのコミュニケーションが達成されるという、秀逸なものでした。
一例を示すと、後出しじゃんけん、手を叩いて集合、どんぐりころころ、どすこいじゃんけん、ジェスチャーゲーム等があり、子供にも分かりやすく、大人も子供と一緒に楽しむことができ、参加者全員と触れ合うことができるものでした。
自分の子供が大きくなって、お友達ができたら、教えてあげたいと思いました。
お昼には、ピザ作りを体験してもらい、自分達の作ったピザをその場でランチとして楽しんでもらいました。

遠野・屋外レクの様子

PMは、児童向けの屋外レクと保護者向けの屋内レクに分かれました。
外には水の綺麗な河が流れていまして、河沿いで遊ぶことができるようになっていますが、流れが少し速く、低学年の子もいることから、遠野レク協からは、児童を河に近づけないよう言われていました。
もっともなことで、すんなりと分かったつもりでしたが、少し考えてみると、陸前高田市は、津波という未曾有の水難事故にみまわれた場所であり、その被災者の心身をケアするこの場所で、万が一にも、第二の水難事故を引き起こしてはならないという思いがあったのかもしれません。
ゲームにしても安全管理にしても、一見単純に思えるものでも、実は非常によく熟慮されたものなのだと思いました。
被災者に寄り添うとは、こういうことなのかもしれないと気付かされました。
児童向けの屋外レクは、フリスビーを使ったストラックアウト、バンブーダンス、大縄跳び、輪投げ等、7種のゲームから成り、クリアするとシールがもらえます。
そして、5枚のシールを集めると、レクの最後に、くじ引きができるというものでした。
私は、男性ということもあり、大縄を回す係を担当しました。
子供たちは、学校で大縄跳びをやっていたのか、皆上手で、あっという間にクリアされてしまいました。
ゲームが一通り終わった後は、敷地内のアスレチックや松ぼっくりのパチンコで遊んだり、とんぼを捕まえたりしました。

保護者向けの屋内レクは、遠野レク協代表の藤村正子氏が担当され、遠野の民話・民謡を聞かせたり、お裁縫を教えたりされたそうですが、保護者同士の会話が増え、また、子供たちの前では中々口に出せない不安や苦労を話したりすることができ、お互いに打ち解けることができたようです。
実は、このお二人は、仮設住宅のお隣さんだったことに、このとき初めて気づいたそうです。
この話を聞き、コミュニティの形成が実際に難しいことを実感したと同時に、保護者向けのプログラムの必要性、重要性を知りました。

遠野・お見送り

レクの最後に、子供たちのくじ引きをして、景品を渡し、参加者全員で、ギターの伴奏に合わせて、手話を交えて、「ありがとう、あなたとの出会い~」という出だしの歌を歌いました。
これも、2人、3人と相手を増やしていけるもので、最後には全員で一つの輪ができました。
この気配り、気遣いにも、思わずうなってしまいました。 そして、子供たちと親御さんたちは、バスに乗って、陸前高田市に帰って行きました。

その後、スタッフで館内の清掃を行い、皆で集まって反省会をしました。 そこで、藤村氏が、私を含め、県外からのスタッフの労をねぎらい、遠野の昔話を、まるで本物の語り部のように、披露してくれました。 柳田国男の「遠野物語」は、私も学生時代に何度も読み、遠野市の夏と冬を歩きましたが、現地の語り部から話を聞くのは初めてのことでした。

柏木平レイクリゾート
http://www.kashiwagidaira.jp/

秋の味覚祭

三陸町・みんなの仲良し広場

翌日10/10は、大船渡市三陸町の越喜来(おきらい)地区で開催する「秋の味覚祭」の運営スタッフとして参加してきました。
会場は、「みんなの仲良し広場」というところですが、ここは、地元の建設業者が、整地し、瓦礫から遊具を作った公園です。
すべり台も、ブランコも、砂場もあります。
しかし、地面にはまだ、ガラス、陶器等の危険物が落ちており、子供たちが転んだりしたときに手や足を切ってしまうと危ないので、AMの始めは、このような小さな瓦礫拾いをしました。

その後、ベンチ作りの資材が到着したので、日よけのテントを組み立て、遊びに来てくれた子供たちと一緒に、電動工具を使って、ベンチ作りを行いました。
設計図を見ながら、木材の組み立て方を教え、ネジ穴の位置に印をつけ、工具で穴をあけ、ネジを締め、木製のベンチを作る体験を子供たちにしてもらいました。
皆、呑み込みが早く、始めのうちは工具の扱いが不慣れでしたが、すぐに加減の仕方を覚えて、ネジ締めは大人と変わらないくらい、上手くなりました。

三陸町・秋の味覚祭の様子1

あっという間にお昼になり、広場で振る舞われたサンマやイカの網焼きを食べました。
ふと見ると、AMにベンチを一緒に作った小学2年生の男の子が、一人でご飯を食べていました。
私は、その子のところに行き、一緒にご飯を食べました。
その子は、イカを食べるのは、震災後初めてだと言いました。
それまでは、親戚の方から自宅にイカが送られてきていたそうですが、震災後には、送られてこなくなったそうです。
漁場や船が使えなくなってしまったためか、経済的に困窮しているためか、もしくは、亡くなってしまったためかは分かりません。
私は、子供に関心のある話題を見つけようと、最近のゲームのことはあまりよく分からないながらも、ポケモンの話を聞いてみました。
その子は、ポケモンが好きで、3年近くも自分のモンスターを育てていたそうです。
「レシラム」という白いモンスターをレベル100まで育てたんだけど「ザブーン」になった、と言いました。
ザブーンというのはモンスターの名前かと聞くと、違うよ、津波だよと言いました。
津波によりデータが消えてしまったそうです。
他にも、50体ほど、レベル100のモンスターがいたそうです。
子供にとって、震災とは、このような形で記憶に残るのかもしれません。
私がこの子くらいの頃には、ファミコンとスーパーマリオがあったことを話すと、それらを知っていて、父親が持っていたものを見たことがあるとのことでした。
確かに、この子の親御さんは、私と同世代でもおかしくありません。
家庭を持つ、自分と同世代の方が、震災の被害に合われているのだと改めて認識し、一刻も早く、何とかしなければという気持ちが強くなりました。
この子の自宅は、津波の被害に合い、今は仮設住宅で暮らしているそうです。
自宅の畑は健在で、収穫が終わったら、そこを整地して、新しい家を建てるのだそうです。
津波の被害に合ってもなお、そこで暮らしを立て直すことを考えているのです。
釜石市仮宿で家屋整理をしたお宅のご主人もそうでしたが、自分の暮らした場所への思いがあるからこそなのだと思います。

まごころの他の部隊が野球やサッカーの道具を持ってきていました。
私は会社の野球部なので、これから少年野球に入りたいという小学4年生の子に、キャッチボールや守備の仕方を教えました。
そのうち、他の子たちも集まってきて、皆で交代でキャッチボールをしました。
その後、狭い路地で、皆でサッカーをしました。
その子たちの小学校は、海岸に面しており、津波で破壊されています。
このように、皆でボール遊びをして、走り回って、汗をかいたのは久しぶりだったのかもしれません。

三陸町・ベンチ作り

最後は、AMに作ったベンチに、ペンキでお絵かきをしました。
男の子は、モンスターの絵、昆虫の絵、魚の絵を、女の子は、お花の絵、虹の絵を描いていました。
キャッチボールをした男の子は、近くを流れる河に戻ってくるサケの絵を描いていました。
また、女の子は、そのベンチに恋人同士で座ってもらうために、女の子が男の子に想いを寄せる様子を絵に描いていました。
小学生の創造力とはすごいものだと思いました。

大船渡越喜来で「秋の味覚祭」を開催
http://tonomagokoro.net/archives/7683

三陸町越喜来地区の現状

三陸町・浜のミサンガ

さて、ここ三陸町越喜来地区の現状は、道路は開通され、車は移動できるものの、重機が大きな瓦礫を除去している最中で、7か月前の姿を残しているところも少なくありません。
小学校、公民館は片付けが進まず、破損したままで、河に架かる橋のガードレールは、引き潮に押し倒されたままです。
そのような中でも、復興への確かな希望があります。
「三陸に仕事を!プロジェクト」では、三陸の女性たちが、津波で使えなくなった漁網からミサンガを作って、「浜のミサンガ 環(たまき)」という名の商品として、全国に販売しています。
私も家族用に3つ買いました。
前回のレポートにもある村井雅清氏の著作「災害ボランティアの心構え」によると、このように災害時に被災者が自ら復興に携わり、なおかつ収入を得る仕組みを、海外では「キャッシュ・フォー・ワーク」と呼ぶそうです。
私は、ITソリューションの開発・保守・運用で、このキャッシュ・フォー・ワークを実現したいと考えています。
倒れたガードレールから、河を覗き込んでみると、ベンチにサケの絵を描いていた男の子が話していた通り、何匹もの大きなサケが上流に向かって河を上っていました。
震災で、海が汚れ、河が氾濫しても、今年も、三陸町にサケが戻ってきているのです。

三陸に仕事を!プロジェクト 浜のミサンガ 環
http://www.sanriku-shigoto-project.com/index.html

釜石市市内の現状

三陸町から遠野への帰り道、釜石市市内を見て回りました。
ここも、三陸町と同様、7ヶ月前のままの姿を残しています。
道路には車が走っていますが、信号はまだ点いておらず、誘導員もいません。
ローソン、スポーツ用品店等、一部の商店は営業をしているため、恐らく、在宅被災者がいると思われます。
港に行くと、小型船は転倒し、大型貨物船は今も防波堤に乗り上げたままです。

【震災後】天神町・浜町・東前・新浜町・魚河岸・只越町・大只越町・大町・大渡町
http://picasaweb.google.com/105265716555025562551/edtxJF?authkey=Gv1sRgCIiIsuHfudjMnAE&feat=embedwebsite#

ITのキャッシュ・フォー・ワーク

前回のレポートで伝えている通り、復興支援のIT活用と被災者の雇用創出のために、IT関連企業である自社とNPO法人とが連携をして、防災・復興支援のITソリューションの開発・保守・運用のキャッシュ・フォー・ワークを実現したいと考えています。
ITソリューションの開発・保守・運用には、様々な役割が必要となります。
自社はこの環境を提供するものとし、必要とされる機能を設計する方、設計された機能をプログラミングする方、プログラムをテストする方、プログラムに必要なデータを入力する方、プログラムが動作するシステムを運用する方、事務作業をする方、これらの作業を管理する方、プログラムの使い方を教える方、プログラムの存在を伝える方等を被災者から募ります。
グローバルマインド、リーダーシップ等のヒューマンスキルを持つ方は、自社でも特に必要とされています。
その後、グループ全体が雇用の受け皿となり、被災者の正規雇用につなげます。
このスキームを完成させ、実現させることが、私の大きな目標であり、日本を災害に強い社会にしていくために必要であると考えています。

冬を向かえるにあたり

遠野は、3週間前に比べて、気温が一気に下がりました。
遠野市在住の親族曰く、遠野には秋が来ないうちに冬が来て、ドカ雪が降るとのことです。
被災地の仮設住宅は、冬は寒くなる構造であり、田畑等の屋外での生産活動も限られるため、心身のケア等、ソフト面での支援が一層求められます。
しかし、遠野から40km以上離れた被災地に向かうためには、車で峠を越えなければなりません。
雪道、アイスバーンと化した峠では、徐行運転が必要となり、今まで以上に移動時間がかかることになりますので、これまでのやり方では、現地での作業時間が減少してしまいます。
車の装備も考えなければなりません。
また、ボランティアのスタッフの多くは、県外から来ており、雪道、アイスバーンの運転に不慣れであると考えられるため、移動中の事故も懸念されます。
一人ひとりの体調管理も然りです。
東北の本格的な冬の到来を前に、支援体制、支援方法の検討が急務となっています。