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被災地復興支援ボランティア活動報告(7) – 10/23

被災地復興支援ボランティア活動報告(7) - 10/23

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IT関連企業勤務 横浜在住 塚田 将
日程: 10/23(日)
場所: 岩手県遠野市
団体: 遠野まごころネット

事務局補助

10/23は、求人票で、まごころの事務局の補助員を募集していたため、申し出て事務局に入り、データ入力の作業を行いました。
5回目のレポートでお伝えした内勤スタッフが、他のボランティアスタッフへの対応等の渉内活動を主としているのに対し、事務局スタッフは、渉外活動を主としています。
外部からの問合せ対応、物資受け入れ、参加団体の管理、バスの手配、イベント設営、復興グッズ作成・販売、これらに伴うデータ入力等の作業があります。
専属のスタッフは、遠野市の方、紫波町から毎日車で通われている方、東京から長期滞在で来られている方等、様々な方々で構成されていました。


遠野・ピザ作り

この日、センター内では、まごころのではなく、遠野市社協のイベントがいくつも行われていました。
元々、このセンターの遠野市社協は、介護福祉が主要な事業であり、まごころの拠点になってからも、社協のイベントは規模を縮小して継続しています。
現在、センター内の体育館や和室は、まごころの宿泊場所として提供されているため、例年、そこを使用していた福祉バザー等の定期イベントは一時休止しています。
野市民による福祉団体の中には、この定期イベントで活動資金を調達しているところもあり、まごころの拠点になっていることによる影響が、ボランティアスタッフの意識していないところで生じているという事実があります。
現地作業の隊長やボランティアスタッフの世話役の方が、毎日のように、我々はボランティアをさせて頂いている、遠野市に感謝しなければならない、と説明する理由はここにあるのだと思います。

大関輝一氏のパーソナル・サポート研修

夕礼後、センターの会議室にて、大関氏によるパーソナル・サポート研修が行われました。
この研修では、生活困窮者福祉の基礎を題材にして、今回の震災による被災者一人ひとりに寄り添い、継続的に支援していくための知識やスキルを学ぶことが目的です。
まず始めに、必要な前提知識として、災害タイムラインの説明がありました。
これは、4回目のレポートで紹介している大関氏の論文のサマリで、発災以降、被災地、及び、被災者に見られる事象を時系列で整理したものです。
続いて、支援者に必要な視点の説明がありました。
目の前の事象だけを見て判断するのではなく、当事者の過去・現在・未来という時間軸の関係性と本人の心理を俯瞰し、また、貧困状態にも、経済的な貧困、人間関係の貧困、情報の貧困があることを認識し、即ち、問題の構造を見る必要があるとのことです。
そして、支援者に求められる役割として、当事者の生活再建を段階的に実行する見通しを立てること、当事者の周囲に様々な問題に対処できる支援の輪を作ること、当事者に選択肢を示し、共に悩むことだといいます。
今度は、支援者自身の安全確保についてです。
支援のオンオフをコントロールしてメリハリをつけないと、支援者自身が不安や悩みに押し潰されてしまい、第二の当事者になってしまいます。
これでは、継続的な支援はできなくなります。
特に、DVやアルコールが絡む支援では、支援者の身の危険が伴う可能性が高いため、決して一人では対応しないようにとのことです。
最後に、生活保護制度についての説明がありました。
日本の脆弱なセーフティネットの中にあって、唯一と言っていいほど、実行力のある制度です。
憲法第25条(生存権)を根拠に、生活保護の要件、支給基準、種類が定められています。
ただし、これらの条件を満たしても、自動的に適用されるのではなく、本人の申請が必要となります。
そして、その際には、親族・関係者への事実確認が行われるといいます。
そのため、恥や外聞を気にしてすぐには申請せず、生活水準が落ちるところまで落ちて首が回らなくなり、背に腹は代えられない状態になって、ようやく申請されることが多いようです。
こうなってしまうと、このような状態からの生活再建は難しいといいます。
病気と同じで、生活困窮も、早期発見・早期治療が肝要とのことです。
それまで安定した生活を送っていた人が、被災により、突然、生活困窮者になります。
このような被災者を支援していくためには、様々な知識やスキルが必要になります。

NHKの報道について

私が活動した前日の10/22に、NHKのニュースでまごころが取り上げられ、人手不足により支援物資の仕分けができない旨の報道がなされたそうです。

NHKニュースでのボランティア数減少に関する報道につきまして
http://tonomagokoro.net/archives/8403

全国区のメディアの影響力は大きく、放送以降、ボランティアの申し出や被災者からの物資受け取りの問い合わせがあったそうです。
思わぬ形で、復興支援に再度国民の関心が集まりはしましたが、恐らく、またすぐに、復興支援の報道は減少し、報道があっても、大きな瓦礫が片付いている様子を映すだけで、復興支援の必要性に言及するものはほとんど無いのではと想像しています。
その結果、国民の関心は減少し、現場との温度差は増大し、事態の風化が進みます。
5回目のレポートで、支援者は当事者を代弁しなければならない、という第2回構成員会議の内容を引用しましたが、私も現場に関わる者として、今後も、現場に足を運んで見たもの、聞いたもの、感じたものを、誤りの無いように注意を払い、自分の周囲の人たちに伝えていこうと思います。
そして、1日でも早く、このレポートの最終回を迎えられることを望んでいます。

本拠地の移転

私が活動した翌日の10/24に、第3回構成員会議が開催され、「冬期間のボランティア活動に向けて」というテーマで、前回同様、パネルディスカッションが行われたようです。
大槌町、大船渡市、陸前高田市、住田町のボランティアセンターで活動する方々が、パネラーとして迎えられ、各地の冬期間におけるハード、ソフト、宿泊場所に関する方針が示され、まごころの構成員内で共有されました。
また、会議の最後に、まごころの拠点移動の話があったようで、まだ本決定ではないようですが、11月中旬に、現在の社協のセンターから、遠野駅近くの市役所の浄化センターに移転するとのことです。
冬期間のボランティアスタッフの減少、社協のセンターを使用することによる影響に鑑みた判断ではないかと思います。

第3回構成員会議を開催
http://tonomagokoro.net/archives/8246

再び事務局より

事務局の窓からは、遠野市を囲む山々がよく見えます。
季節が夏から冬へと急速に進む土地ですが、山々の色付きは緩やかに進んでいるように見えました。
5月の陸前高田市では、突然失われた賑やかな街並みと、これまでと変わらない自生の藤が共存していました。
10月の三陸町では、突然失われた穏やかな湾岸風景と、これまでと変わらないサケの遡上が共存していました。
これは期待にも近い想像ですが、全てが失われるということはなく、少しでも残る日常を復興への希望とすることで、失われた日常を取り戻していくことができるのかもしれません。
災害が発生しても、人の日常を継続させること、あるいは、少しでも多くの日常を残すことが、「防災」ということではないかと思います。

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