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越喜来にて(1) がれきからよみがえったブランコ

大船渡市三陸町越喜来(おきらい)地区―――集落の中心部を走る県道の脇にずっと気になっていた小さな公園がある。「ここがオキライですか?ハイ、でも大好きです!」。入り口にあるユニークな手描きの看板には、津波による壮絶な被害を受けてもなお、この地をいとおしむ心の温かさが満ちあふれている。

「みんなの仲良し広場」と名付けられたこの公園は、地元で建設業を営む片山和一良さんが遊び場を失くした子供たちのためにがれきを拾い集めて整備した手作りの公園だ。かつて柱だった材木や車のタイヤ、ちぎれたベニヤ板などが片山さんの手によって、ブランコやすべり台などの遊具によみがえった。がれきと更地が混在し、集落の中心部には痛々しい津波の痕跡がそのまま残るなかで、鮮やかなペンキに彩られたこの場所からは「みんなで希望を持って生きよう」と地域全体を元気づけるエネルギーが伝わってくるようだ。

もともとこの場所はJAのガソリンスタンドで、片山さんは早朝や仕事が終わった夕方以降に公園づくりの作業を進めたのだそうだ。子供たちやボランティアの協力も加わり、7月10日にみんなの仲良し広場はオープンした。越喜来で長年暮らしてきた片山さんはどのような思いで毎日、津波によって変わり果てた町や生活のかけらを拾い集められたのだろうか。

 

ここに広場ができたいきさつは震災直後の避難所に遡る。片山さんや避難所に集まった住民の方々は越喜来地区を今後どう復興したらよいのか、毎晩のように話し合ったという。ただ、大人だけの発想では限界があるため、次の世代を担う子供たちにも越喜来の未来予想図を描いて地域の復興に参加してもらうことを考えたそうだ。幸いにもこの趣旨を理解した越喜来小学校の協力もあり、40名を超える子供達がそれぞれの思いを胸に未来の越喜来を描いてくれた。ところが地元では公共施設や店舗など多くの建物が津波で失われ、子供達の絵を展示できる場所すらなかった。

せっかく描いてもらった絵を、そして何よりも子供達の越喜来に対する思いをみんなに見て欲しい―――片山さんはかろうじて屋根だけが残ったガソリンスタンドにこれらの絵を展示することを思いついたそうだ。急ごしらえのギャラリーだったが、子供達の描いた絵を見るためにあちこちから人が集まり、住民の方々にとって貴重な情報交換や再会、憩いの場所にもなったという。その跡地に地域のみんなが気軽に集う場となるよう、願いを込めてつくられたのがみんなの仲良し広場だった。ネーミングは子供達が考えたそうだ。

 

夏にこの場所を訪れた時、大きなベニヤ板に書かれた片山さんのメッセージが広場の脇に置かれていた。とても心に残る言葉だったので、自分のメモ帳にも書きとめていた。残念ながらこのベニヤ板はもうないが、「みんなの仲良し広場」をつくられた片山さんの思いが凝縮されたメッセージだったので、原文のままご紹介させて頂きたい。

―――「みんなの仲良し広場」制作の経緯―――

被災後まもなくして避難所のテントの中で(電気復旧前)これからの越喜来をどのような形に復興していこうかと毎晩のように話し合いを持ちました。その中で「若者」や「子供達」にも一緒に復興に参加してもらおうと言う事になりました。まさか、大人たちの会議に論ずる訳にはいかず、それなら『子供達には絵に表してもらおう』という事になり、『私にとっての未来の越喜来』という題材で小・中学校に呼びかけをしたところ・・・被災直後の事もあり、学校も休校している中なのでそれはかなり難しいだろうという返事でしたのであきらめて居ました。

4月に入って小学校が幼稚園を間借りして始まった時に学校を通じて絵を書く事を呼びかけてくれました。結果、全校生徒70余名の中で、45名ほどが画用紙に絵を書いてくれたのです。それを受けて・・・(絵を)手渡されはしましたが、展示する場所がありませんでした。小学校はもちろん、公民館、役場、(いずれも使用できる状況ではなく)ほとほと困りました。そこで目を付けたのは、ガレキの中に屋根だけが残ったJAスタンドでした。約1カ月間かけてJAスタンドに子供達の絵の展示をしました。絵の展示よりも書いてくれた子供達の思いを展示したかったのです。通行中の市民はもちろん、子供達は学校帰りに大人達も徐々にたまり場、交流の場として利用するようになって行きました。

いよいよJAスタンドが5月29日頃、取りこわされる事になり、せっかくにたまり場になりかけているのに残念だなあと思います。そこで、解体と絵を取り外す作業をボランティアや子供達(15名の子供達)に呼びかけて展示場を解体したのです。その時にバックにしてあるボード(ベニヤ板)に共同で絵を書いてもらう事にしたのが、右の大きな一枚の絵です。絵もさることながら、子供達の思いを感じて下さい。さらに子供達に私の構想を提案した時におおいに一緒に賛同し、広場つくりをスタートしました。与えられた公園ではなく、一緒に参加する広場にしたいと考えています。復興にはまず、気持ちの盛り上がりが必要であり、元気が必要だと思っています。周囲に子供達の元気な笑顔があれば、波及効果的に地域も元気が出ると信じています―――

 

 越喜来の未来を描き、がれきのなかに広場をつくった経験は、3.11の津波が子供達の身のまわりにもたらした様々な記憶とともに、子供達の心に深く刻みこまれるだろう。大きなベニヤ板にみんなで絵を描いたこと、柱に色とりどりのペンキを塗ったこと、広場の名前を考えたこと、そしてみんなで力を合わせて自由に遊べる場所を完成させたこと。東日本大震災以降、被災地では学校の体育館やグラウンドが避難所や仮設住宅などに姿を変えたため、子供達はのびのびと遊んだり、体を動かすことができる活動の場を失っていた。だからこそ、みんなの仲良し広場は、子供達にとって世界でたったひとつの自慢の広場だ。いつか子供達が大人になったら、津波の怖さやつらい出来事、そこから得た教訓を語り継ぐだけではなく、「お父さん(お母さん)は小学生の時、みんなで力を合わせてがれきのなかに楽しい広場をつくったんだよ」と希望を持って生きることの大切さを次の世代の子供達に伝えられるのではないかと思う。

ちなみに子供達が描いた未来の越喜来の絵は、これまでに関西国際空港など国内4ヵ所で展示され、地元から遠く離れた場所でも多くの人々に感動を与えている。11月18~20日には栃木県那須町で開催された「世界の子供絵画展」(主催:那須町教育委員会)にも展示された。なお、これらの絵は通常は越喜来小学校に保管されているそうだ。

 

津波はかけがえのない多くのものを一瞬にして呑みこんだが、ふるさとを愛する気持ちは誰にも奪うことはできない。片山さんは「できれば町の機能をもとに戻したいという思いがある。みんな高台など別の場所に引っ越しつつあるが、いつかはまた戻ってきて欲しい」と語る。 

10月に「秋の味覚祭」のお手伝いでみんなの仲良し広場を訪れた際には、「せっかく越喜来に来たならば、ぜひ見て欲しい場所がある」と集落の背後にそびえる夏虫山(なつむしやま)にボランティアのみんなを案内してくださった。急な山道を車で上ること約30分。頂上の手前には牧場があり、牛がのんびりと草を食べていた。駐車場から少し歩いて頂上にたどり着くと、そこには越喜来地区を囲む海と山の素晴らしいパノラマが広がっていた。越喜来はまさに海の懐に抱かれているような地形だった。過去に幾度となく大きな津波の被害を受けながらも、豊饒の海とともに脈々と暮らしの営みを築いてきた歴史がここにはある。

自然と共存する集落のなかで、今回の津波が到達したとみられる場所にはねずみ色のがれきや、赤茶けた地面が露出していた。津波の痕跡が山のすそ野近くにまで及んでいる状況を見ると心が痛むが、眼の前に広がる景色は片山さんが私たちに見せたかった大切なふるさとのありのままの今の姿なのだと感じた。海に向かって津波の犠牲となられた方々のご冥福を心からお祈りするとともに、地元のみなさんが悲しみやつらい経験を乗り越えて、生活のなかに喜びや生きがいを見出し、再び笑顔を分かち合える時が来るまで私もささやかながら応援を続けていこうと思った。

 (取材・文:高崎美智子)