遠野まごころネット

遠野被災地支援ボランティアネットワーク遠野まごころネット

6・11 大震災から3カ月…大槌・まごころ広場の1日

2011年6月12日  10時18分

東日本大震災から3カ月。大津波で壊滅的被害を受けた大槌町で、被災された方々の憩いの場として連日大賑わいを見せている「まごころ広場うすざわ」では、地域住民とボランティアが明るく、そして厳粛に、決して風化させてはならないあの日を思う、区切りの1日を迎えました。

震災から3カ月がたった被災地


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遠野まごころネットが結んだ23年ぶりの家族の絆

2011年6月11日  11時13分

北海道・利尻島でIT関連会社に勤める澤田冬海さん(29)は5日から、実に23年ぶりに遠野市に滞在している。幼いころに両親が離婚。社会に出るまで、母かおるさん(53)と暮らしてきたこともあり、遠野市在住の父方の祖父・三平敦夲(みひら・たいと)さん(82)とは、小学2年生の時から会えずにいた。

23年ぶりに遠野を訪れた澤田冬海さん

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「天空の城」と電話機前から眺めたボランティア活動

2011年6月10日  19時30分

<まごころ体験記⑨>

「天空の城」と電話機前から眺めたボランティア活動

  青森市 神 歴(じん・あきら)

目覚めると、自宅のベッドの上だった。天井が高い。 ルーフテントでの生活とクルマのドア開閉音のしない朝は、なんと平和なことでしょうか。 遠野まごころネットのボランティア事務局を、短期間だけお手伝いするという「誰にでもできるボランティア」をしたにすぎなかったのですが、帰宅してみるとその重みがじっくりと身体のあちこちから滲み出しています。

自慢の「天空の城」を搭載した愛車の前で笑顔を見せる

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まごころ体験記-私にもできた!伝えたいこと

2011年5月30日  10時27分

<まごころ体験記⑧>

私にもできた! 伝えたいこと

東京都小平市  角田 幸

5月中旬に、遠野まごころネットに参加しました。 元々は、このことについて誰かに話すつもりはありませんでした。わざわざ触れ回るようなことではないと思っていたからです。でも、短期間ですが現地で活動して強く思ったのは…「伝えたい!」「つなげたい、ということでした。現地では、まだまだ色々な種類の支援が長期的に必要だということ。そして…私のようにボランティア経験がなくても、アウトドアが苦手でも、女性でも、1人でも、「遠野まごころネットでは大丈夫なことが多い」と感じたことです。 (さらに…)


「まごころ」という名のタスキ

2011年5月21日  08時45分

<まごころ体験記⑦>

「まごころ」という名のタスキ

富山県魚津市 大久保実

ゴールデンウィーク(以下GW)をはさんだ前後1週の計3週間を私はここ遠野で過ごした。決して短くはないこの期間中、実際に被災地での活動を行ったのは、わずか数回。活動初日の釜石市での「廃棄物搬出」、大槌町での「家屋整理」、陸前高田市での「ブドウ園の清掃」(2回)、そして、分かち合い隊として訪れた「上浜田構造改善センター」での炊き出しの計5回だけである。では、それ以外の日はいったい何を行っていたのかというと、いわゆる「内勤」業務であった。この場を借りて、災害ボランティア活動の知られざるその「裏方業」について触れてみたいと思う。

武蔵さん(左)と。少し緊張した表情の大久保さん(中央)

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情報発信も大切なボランティア活動

2011年5月17日  14時08分

<まごころ体験記⑥>

「情報発信も大切なボランティア活動」

東京都  安齋由紀

1.はじめに

遠野の五百羅漢にて

遠野の五百羅漢にて

私は静岡の伊豆半島の出身です。少なくともここ30年間、静岡県で育った子どもたちは「東海大地震は明日発生してもおかしくない」と教え込まれています。小中学校の避難訓練の回数は他県に比べて多かったように思いますし、実際に伊豆大島の噴火や伊豆半島沖群発地震など、定期的に発生する地震に、生活を脅かされてもきました。そうやって育つと、地震に対する恐怖が澱(おり)のように心の片隅に溜まっていく気がしていました。

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1人のボランティアとして伝えたかった!

2011年5月10日  20時53分

<まごころ体験記⑤> 1人のボランティアとして伝えたかった

大阪市  西 靖

出発前に神妙に説明を聞く

私は大阪の毎日放送でアナウンサーをしています。阪神淡路大震災を経験した土地のメディアに身を置くものとして「被災地を取材し、伝えたい!」という思いは、ずっとあったのですが、地震直後の混乱期に「関西から土地鑑もないのに押しかけてもご迷惑になるだけだ」と自制していました。救援物資が届くか? 飲み水は? ガソリンはあるか? という切羽詰まった時期に、被災地の貴重な食料を私が消費してしまうことがいいこととは思えなかったし、阪神淡路大震災の時には、私自身も東京から来た取材陣の態度にイライラさせられた経験もありました。もちろん、被災地が必要としていることを、被災地以外の方に広く知っていただくためにも「取材は必要だ」とは感じでいました。お役に立ちたい一方で、物理的にも精神的にもできるだけご迷惑をおかけしたくない。どうすれば両立させられるのか? そのやり方と時期を3月11日以来、ずっと模索していたのです。 (さらに…)


心の扉を開いてもらえた…神戸大

2011年5月09日  13時11分

こんにちは! 神戸大学のボランティアグループです。

われわれは4月26日から一部のメンバーが遠野入りし、5月2日から最大30人以上で、物資の搬入や片付け作業、そして「足湯」などのボランティア活動をさせていただきました。

足湯をしながらおばあちゃんとの会話がはずむ

陸前高田市の各避難所では、前日に足湯などを担当して避難されている方々のニーズをうかがったメンバーからの報告を受けて、翌日に別のメンバーが必要な物資をお届けした際には「まさか、昨日の今日で持ってきてもらえるなんて…今日は拝んで寝なきゃ」と大変喜んでいただきました。 (さらに…)


故郷で知ったボランティアの使命

2011年5月07日  19時18分

<まごころ体験記④>

故郷で知ったボランティアの使命

福岡市 小野寺淳哉

ボランティアに参加する人たちは「少しでも被災地の力になりたい」という思いで来ていると思う。もちろん、私自身もこの例に漏れないが、最大の動機は、故郷・岩手や東北の方々に対しての「後ろめたさ」「申しわけなさ」からだった。

2週間前の陸前高田の様子

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「陸前高田市広田町大野地区のコミュニティ施設設営事業」は 「平成23年度(復興支援)被災者支援拠点づくり活動補助事業」の 助成金の補助をいただいています。