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5・11 よみがえれ!ブドウ園

陸前高田市米崎町にある老舗ブドウ園「神田葡萄園」で今、遠野まごころネットのボランティアが連日10人態勢で、懸命の復旧作業に従事している。明治38年(1905)創業のブドウ園は、3・11の大津波で2㌶のブドウ畑の約半分が浸水。年間20万本近く生産していた看板商品の「マスカットサイダー」など、約50種類の果汁加工品をつくる工場の機械も水浸しになり壊れてしまった。なによりも倉庫前に山積みされていた約2万本もの製品と空ビンが敷地外に流出。周辺の田畑の泥の中に散乱。逆に、ブドウ畑には瓦礫やわらくず、古タイヤまでが押し寄せて、大部分が埋まってしまった。

津波で流れ込んだワラを集めるまごころネットのボランティア

周囲の田んぼに散乱する空ビンを集める

周囲の田んぼに散乱する空ビンを集める

約3㌔も先の海岸からゆるやかに続く上り坂の途中にある同園の被害総額は、少なく見積もっても5000万円。「これまで1回も津波なんか来たことがなかった。どんなデカいのが来ても、ここだけは大丈夫だと思ってたから、火災保険しか入ってなかった。津波の被害は地震保険でないと保障されないんですよ」と5代目の熊谷和司社長(67)が無念の表情で振り返る。当初は「廃業」も頭をよぎったが「幸い、私には自宅も工場も残った。比較的損害の軽いウチが、事業継続をあきらめては、畑や工場が跡形もなくなった他のみなさんにもうしわけない」と再建を決断。6代目の晃弘専務(27)ら従業員6人と一緒になって、瓦礫の撤去やビンの回収から再起の道を歩みだした。

すっかりきれいになったブドウ畑

しかし、あまりの被害の大きさに、復旧作業は5月に入っても遅々として進まなかった。そんな時、陸前高田の名産の「マスカットサイダーが大好きな」まごころネットのメンバーが同園の惨状を見つけて熊谷社長に援助を申し出ると、すぐ翌日からボランティアを派遣。畑の瓦礫撤去から、ビン拾い。そして、高さ1㍍の津波に浸かった工場内の清掃などを、大人数で効率的に作業を進めた。「ボランティアのみなさんのおかげで、この4、5日で一気にはかどりましたね。本当にありがたいです。人の優しさが身にしみます」と熊谷社長は声を震わせて喜んだ。これから水道が復旧し次第、津波の被害を免れた倉庫に残っている果汁の原液を使って、ジュース類の製造を再開できる見通しがついた。

伸び始めたブドウの新芽を見て、大喜びの熊谷和司社長(右)

ここ数日の陽気に誘われ、瓦礫のすっかり片付いたブドウ畑では、一時は全滅も噂されたブドウの木から、待望の新芽が伸びてきた。「ほっとしました。心配したけどもう大丈夫ですね。」(熊谷社長)。6月末には花が咲く。そして、9月中旬にはきっと、復興する陸前高田を象徴するような、立派なブドウが収穫されることだろう。