山田町。人口18,745。世帯数7,211(平成23年10月1日現在)。東日本大震災による死者604名、行方不明156名。家屋倒壊数3,167棟(平成24年2月13日現在)
3月1日、三閉伊ウォークチームは昨日の到着地、 浄土ヶ浜を朝9時に出発しました。 今日は山田町の豊間根駅まで、およそ18kmの行程。 絶景の浄土ヶ浜に別れを告げ、宮古湾の海際の道を進みます。
どちらを向いても大きな震災の爪痕が残る町並みの中に、時々、 確かな復興の息吹を感じさせる光景にも出会います。 見るからに大きく被災した民家の軒先にはこんな文字が。
町中では一軒の仮設店舗を訪ねました。 鈴木屋酒店さん。 温かな笑顔のご主人、狩野精悦(かりの・せいえつ)さんと、奥さんの榮(さかえ)さんが 私たちを迎えてくれました。震災で創業88年の店舗を流され、 一時は悲嘆に暮れていたものの、常連のお客さんの後押しもあり、夫婦二人でお店を再開したそうです。
宮古市築地の交差点そばの路肩では休憩中の男性達に出会いました。 お話を伺うと、市内のビルの修繕のため神奈川からやってきたグループなのだそうです。 「少しでも復興のお手伝いが出来れば」そう考えて以前から数回、岩手に来ているとか。 これには私たちも大いに元気づけられました。
その中の一人の男性が、今回の三閉伊ウォークのUstream放送が見たいというので、 心優しい末田が男性のスマートフォンで見られるように設定をしてあげます。
さらに45号線を南下していくと、次々と「冠水注意」の看板が目に入ります。 地盤沈下の影響はこのあたりでもひどいようです。 そんな中駐車中のトラックの扉には力強い言葉が。感激した若林のポーズ!
一人の男性が歩道脇で大きな石を前に作業をしていました。 私たちが「こんにちは~」と声をかけつつ、通り過ぎようとすると、 返ってきたのは「ありがとうございます」との思わぬ言葉。 全員が(え?)と思って立ち止まると、 「私は目が見えないから、声をかけてもらうだけでとっても嬉しい。どうもありがとう」
佐々木平次郎さん、80歳。奥さんと二人で暮らしているそうです。 震災当日は、目の不自由なことを知っている近所の人が駆けつけ、 二人の手を引き、最後はおんぶで近くの山の上まで運んでもらい助かったそうです。 それへの感謝の意味も込め、この石を自分の墓石にしようと 作業を続けているのだそうです。これにはみんな、少ししんみりとしてしまいました。 立ち去りがたい私たちに、佐々木さんは 「声をかけてくれてありがとう、ほんとにありがとう」と何度も何度も繰り返しました。
昼休み、私たちのサポートカーが駐車場所を探していると、高浜1丁目で一軒の休業中のお店の前に広いスペースを見つけました。 素敵な外観の建物には「異人館」という名前が掲げられています。 しかしながら一階の窓とおぼしき場所にはベニヤ板が打ち付けられ、 よく見るとそのほかにも大きく被災していることがわかります。
ご主人の安倍主税(あべ・ちから)さんに車を留めさせていただけないかと伺ったところ、 「どうぞ、うちにあがってゆっくりしていきなさい」と言ってくださいました。 車の中で昼食を済まそうと思っていたわたしたちは大喜び。 なんとご主人のお母様の泰(たい)さんが全員にお味噌汁まで振る舞ってくださいました。 「異人館」は昭和63年にオープンした喫茶店で、23年の歴史があるそうです。
安倍さんはお店再開への思いを私たちののぼりに刻み付けてくださいました。
ブログ「マスター写真館2」もご覧くださいとのこと。
今日は、遠野まごころネットスタッフの桜井さんの奥様が我々と合流し、一緒に歩いてくださいました。 日頃からよく散歩されるそうで、まさに健脚の歩きっぷりでした。
さらに遠野まごころネットスタッフの黒住さんが現れ、 私たちに美味しいイチゴを差し入れてくださいました。 黒住さん、ごちそうさま!
私たちが山田町の豊間根地区に入ってすぐ、一人の男性が現れました。 菊池正浩さん。Facebookなどで以前から私たちの活動をご存知で、 今日は偶然仕事帰りの途中に私たちを見つけ、わざわざ飲み物やお菓子を買い込み、 差し入れしてくださったのです!ほんとうにありがとうございます!
今日の目的地、山田町の豊間根駅に着いたのは、陽も傾き、 吹く風も冷たくなり始めた午後4時半すぎ。 今日はたくさんの出会いがあったのでいつもより時間がかかりました。 ですが、どの出会いからも前向きに動き始めた確かな力を感じた一日でした。
さあ、明日もがんばって歩くぞ!