3月2日、三閉伊ウォークチームは昨日の到着地、
豊間根駅前を朝9時過ぎに出発しました。天気はやや薄曇り。
予報では遅くなるにしたがって崩れるそうで少し心配です。
今日の目的地は「道の駅やまだ」。およそ15kmの行程。
豊間根の町に別れを告げ、45号線を南下しました。
歩き始めて間もなく、強力な助っ人が合流しました。
遠野まごころネットでボランティアとして一緒に活動しているピーターさんとリズさんです。
ピーターさんはニューヨークから昨年の9月に来日。
以来、遠野まごころネットをベースに様々な活動をしています。
日本語はペラペラで、先日は遠野の裸参りにも参加しました。
リズさんはオーストラリア人。一橋大学で日本語を学ぶため昨年10月に来日。
話せるだけでなく、とても上手に日本語を書くこともできます。2月1日から遠野まごころネットでボランティアとして活動しています。
というわけで今日の三閉伊ウォークはとても国際色豊かです。
ちなみに若林は滋賀県出身、末田は岡山出身、稲田は新潟の出身です。
この付近は歩道も無いため、道の端を一列になって慎重に歩きました。
豊間根から山田町大沢地区へぬける45号線は細い清流沿いの山道です。
歩き始めて2時間過ぎ、ついに山田湾が見えてきました。
山田湾では牡蠣の養殖が盛ん。
震災で養殖設備は壊滅状態になりましたが、
被災された漁業関係者の皆さんと、各方面の多くの支援者の方々のお力で、
今、山田湾の海上にはたくさんの養殖用ブイが浮かんでいるのを見ることができます。
この光景は、震災直後の惨状を知る人にとって、なによりも心強いものです。
11:50、チームは45号線沿いにある海鮮料理が売りの船宿 海太郎さんにスペースをお借りし、昼食をとりました。
「海太郎(かいたろう 岩手県下閉伊郡山田町船越6-94-1 0193-84-3078)」
そこに、またまた遠野から二人の仲間が駆けつけてくれました。
長崎県出身の奥村滉太郎(おくむら・こうたろう)さんと埼玉県出身の田淵一平太(たぶち・いっぺいた)さんです。
二人とも昨年の夏前から遠野まごころネットでボランティアとして活動を続けており、現在、
被災地の教育支援やコミュニティ作りを助ける活動に力をいれています。
二人は大量のうまい棒を差し入れしてくれるなど、思わず脱力するような楽しいギャグの応酬もありました。
震災からの復興プロジェクトの一環として、45号線沿いにはたくさんの花壇が作られました。
三閉伊ウォークチームの面々もそうした花壇作りに汗したメンバーです。
現在、花壇はほとんど雪に覆われていますが、暖かくなればきっとまた綺麗な花が道行く人たちの心を和ませることでしょう。
山田町の中心部に入り、一行は「浜のミサンガ 環(たまき)」の事務局を訪ねました。
「浜のミサンガ 環」は震災後、なかなか仕事を得られない浜の女性達が、自立と復興への願いを込めて、
日頃なじみ深い漁網を使って丹念に作り上げたミサンガです。
さっそくこの日同行していたリズも、新作の「さくらなでしこバージョン」を購入し手首に付けました。
続いて一軒の可愛いケーキ屋さんを発見しました。
「地産地消ケーキ かわさい」さんです。
とことん地元産の素材にこだわったケーキは絶品ぞろい!
もうみんなガマンできずに次々と店内で食べ始めてしまいました。
口の中いっぱいに広がる優しい甘さ。
ケーキは人を幸せにします。
食べた人をひとときの幸福感で包み込みます。
「かわさい」さんがオープンしたのは2010年の12月。
それからわずか3ヶ月足らずで震災に遭い、店は跡形も無く流されてしまったそうです。
ですがケーキ作りへの情熱は全く消えることなく、2011年10月、お店を再開しました。
山田駅の跡地です。
ホームだけが静かに横たわっていました。
そばの仮の待合所はバスの停留所。そこにはしっかりと「山田駅」と書かれています。
こちらは被災しながらもは頑張っている「ヘアーサロン・みなと」さん。
「三階で営業中」です。がんばってます!
午後3時、一日中曇り空ではありましたが、どうにか降られず、今日の目的地「道の駅 やまだ」に到着しました。
なんとそこでもサプライズ!
以前この山田町や釜石で一緒にボランティア活動をし、
また瓦礫撤去作業に使うたくさんの道具をまごころネットに寄贈して
頂いた大阪の三重野靖光(みえの・やすみつ)さんがわざわざ激励に
やってきてくれていたのです。
しかも、ビール1ケースと日本酒まで用意して!
ありがとう三重野さん!
もちろんこれらの品々は明日も元気に歩くための
貴重な燃料とさせていただきます!
山田町の皆さん、応援に駆け付けてくれたボランティアの皆さん、ありがとうございました。
明日もがんばって歩きます。