< 復興祈願 『釜石ラグビッグドリーム2011』 >
◇6日◇釜石市陸上競技場◇13時開始◇40分ハーフ◇観衆1500人◇
ヤマハ発動機ジュビロ 76 (前半 36 - 0) 5 釜石シーウェイブスRFC
(トップリーグ) (後半 40 - 5) (トップイースト)
3・11の大津波で甚大な被害を受けた釜石市の〝象徴〟であるラグビーの名門・釜石シーウェイブス(トップイースト)が6日、トップリーグのヤマハ発動機を迎え、復興を祈願の特別試合を入場無料で行った。格上のヤマハの猛攻の前に終始防戦一方になり、5-76で大敗したが、全員が最後までひたむきに戦い続ける姿に、駆けつけた1500人の釜石市民は熱い声援を送り続けた。
実力差は明白だった。だが、釜石フィフティーンは最後まで必死で、相手にぶち当たり、楕円球を追いかけた。開始1分で右サイドを突破され、先制トライを許すなど、前半10分までに0-19と突き放された。それでも、フランカー佐伯悠主将(26)を中心に、徐々に態勢を立て直し、踏ん張った。前半30分すぎからは素早いパス回しと、大漁旗を振って応援する地元サポーターの大声援を背に、ヤマハ陣内に深く侵入。トライまであと一歩まで攻め込んだ。そして、ついに後半3分、センターライン付近でのマイボールラックから、FBピエイ・マフィレオ(25)が抜け出してロックのスコット・ファーディー(26)にパス。最後は再びマフィレオがボールを持って、左隅に飛び込んで待望のトライを決めて、一矢報いた。残念ながら、そこからはまたも総合力に勝るヤマハの独壇場となって大差がついたが、釜石も最後まで動き回わり、目の肥えた地元ファンを楽しませた。
チーム存続の危機を乗り越えて、4月15日に活動を再開してから51日。数々の苦難と試練を乗り越えて、たどり着いた晴れ舞台だった。震災後初の地元戦に関係各所も全面協力。市内無料の路線バスが10分間隔で運行され、会場には無料の炊き出しテントの出店がずらりとグラウンドを取り囲んだ。スタンドには、前身の新日鉄釜石ラグビー部の黄金時代を支えた松尾雄治氏(57)ら歴代OBの姿もあった。ノーサイドの瞬間、悔しさからか、それとも感動からか、釜石フィフティーンの目には涙がにじんでいた。「僕たちは、いろんな人に支えられてラグビーができているんだなと、あらためて感じました。これからも一生懸命練習し、もっともっと強くなって(来季は)トップリーグに昇格したい」。佐伯主将が全員の気持ちを力強く代弁した。
<ヤマハ発動機>
「釜石の復興を支援したい!」という熱い思いをプレーに込めた。どんなに点差が開いても、決して手を緩めることなくトライの山を築いて見せた。この日の午前中には全選手、スタッフが、地元の静岡・磐田市を通じて三陸の3自治体に寄贈した30台の電動アシスト自転車」を持って、大槌町の漁港を訪れた。壊滅的被害を受けた海岸線をチーム全員で目撃し、言葉を失った。「みんなであの光景を見たからこそ、最後まで集中力の切れない素晴らしい試合ができたと思う。本当に来てよかった。シーズンの最後には『あの時、釜石に行ったから、われわれは強くなった』と言いたいですね」と清宮克幸監督(43)は、かみしめるように話した。FB五郎丸歩副将(25)は「想像を絶する景色を見て、ラグビーを通じて僕らが被災された方々に何ができるかを考えました。今日のことを来られなかったメンバーや友人に伝えていきたいですね」と神妙に誓った。