陸前高田地区では、上長部のような地域づくり活動と足湯隊や手芸を通した見守り活動が行われている。
(注:まごころネットでは緊急雇用制度を活用して、地域づくりサポートと地域見守り(陸前高田市)の活動が行われている。)
今回は、物資を配りながら見守りを行う「見守り・物資班」のスタッフ、佐藤さんの活動に同行させていただいた。
この日の活動は小友地区。小さな仮設住宅、少ない世帯の場所をまわる。
まず初めは、三日市仮設。ここでは27世帯が住まわれており、ここの仮設の特徴は、元々同じ地区の方々が住んでいるためコミュニティがきちんと出来上がっていることだ。
そのため、物資を持って一軒ずつ訪問することをしない。宮崎県から来た大根28本が入ったダンボール箱ごと車から降ろす。すると、各家庭からお母さんがやってくる。この日のお日様と同じ、眩しいくらいの笑顔で「いつもありがとうございます」と大根を持っていく。中には数本まとめて大根を抱えるお母さんの姿もあった。「○○さんちは今留守だから・・・」。
コミュニティがきちんと出来ているからか、ご近所同士の情報共有はばっちりだ。
腰の曲がったご高齢のお母さんにも歩いて出てきてもらう。「いい運動になるから。」それが佐藤さんの考えである。外部から入っている支援者の目線とはどこかが違う。
現地雇用者で構成されているためか、物資班の方々は知り合いが多い。新しい方々ともすぐに馴染んでゆく。こうした姿勢があってこそ、住民のリアルな声を聞き取る耳や目、こころとしての役目を果たせるのかも知れない。
この仮設では、住人がバラバラの地区から入居した場合と違い、住民同士が顔見知りなので活発な交流がある。そのため、仮設を引っ越す際には新たに軋轢が生まれることもあるのかもしれないとも感じた。
続いて、柳沢仮設。現在は2世帯が仮設を出て、今は20世帯が住んでおられる。柳沢仮設は他の仮設とは少し変わった作りになっており、一般道路を挟んで棟が向かい合っている。
ここには新しく入居された方がいた。早速、聞き取りが始まる。内容は、氏名、年齢、家族の人数、仕事の有無、車の有無などである。この方は若い女性で、小さなお子さんを持つ家庭のお母さんだった。隣にはご家族のばぁちゃんが住んでいるようで、見守り案件が否かの把握もできた様子だ。
他にも県外から来て海の仕事をしている方も新しく入居しておられた。絶えず動いている人々。見守りは、通い続ける事が基本なのだと思った。
去り際に、あるお母さんから、美味しいお茶と鍋焼き(ホットケーキの様な蒸しパン?)のおもてなしを受けた。いい塩加減のお漬物もいただき、つかの間の休息となったが、こうした間も、仮設を出られたひとりのばぁちゃんの行方を気遣う佐藤さんの姿が印象的だった。
次に向かったのは在宅世帯だった。1階部分が浸水し、今なお家の修理を行っているお宅である。この方は、「物は十分に揃っているから」と受け取らなかったが、見守り・物資班との会話は続いた。ご家族と津波を乗り越え、物資班のメンバーにもなついていた愛犬が先日亡くなったこと。家、愛犬、物資…どんなことでもいい。気にかけてくれる人がいるということを、そっと心で伝えるのが見守り支援なのだと思った。
午前中の最後の活動は、先ほどのばぁちゃんの行方探しだった。
仮設は出たが、どこへ行ったのか?それを探すべく車を走らせる。佐藤さんに当てはあるのだろうか?
小友地区の高台は住宅用地に恵まれているため、ちょっとした建設ラッシュが起こっているようだ。立派な新築家屋が多く立ち並ぶ様は、陸前高田の光景としては眩しい感じもする。
「ここはまだまわってないな」と佐藤さんが車を停めた。話を伺うと、そこは探していた、ばあちゃんの新居そのものだった。お見事!新居は、息子さんが建ててくれたそうで、畑もあった。さらに雨水を屋根で集め、パイプを通じて畑のタンクに溜めるしくみまでつくられていた。高台への避難生活で水の確保に苦労してきた高田のこと。息子さんの気遣いが伺われた。
「仮設で種をつくって、この畑に植えたの」その言葉を聞いて上長部のおがさんたちが想い浮かんだ。プランターで野菜を育てる楽しみとは、単に土をいじりたいという趣味だけじゃなく、先を見据えて野菜をつくっているのではないか?と感じた。
「ありがとうね、ここまできてくれて・・・」仮設を出たからといって物資班はそこで見放さない。
「もうこのお宅は訪問しないのですか?」との問いに「あと数回は足を運んで、少しずつフェードアウトしていくよ」佐藤さんは微笑んだ。
今回のばぁちゃんのケースの様に、この時期に仮設を出られるのはとてもまれで、多くの場合、なかなか難しい。
仕事で家(仮設)にいない人の方が安心で、一人で留守番をしている高齢者が一番心配だということなのだ。買い物をするにも近くにスーパーが無い。高齢で運転ができない。ご近所は日中仕事に出かけ、誰も話し相手がいない。そういったことが重なると家からなかなか出なくなる。
物資はツール。きっかけはなんでもいい。コミュニケーションさえとれたら、楽しい話も、ご近所の話も、行政に対する愚痴もなんでも出てくる。
見守り・物資班の活動は、物資を運びながら人々とのコミュニケーションをとることだけではない。見守り・物資班のメンバー自身、被災現地の住民だから、人ごとでは済ませないのだ。日々の活動で出合う様々な人々の姿や、声を、心に刻みながら、自分たちに何ができるのかを問い続ける非常にシビアな活動だった。
佐藤さん達は、今日もハンドルを握り、独りではないという想いを運び続けている。
(文 写真:山田エリナ)