「ふれあいサッカー教室」に参加した釜石市のKRTのMF菊地泰雅君(7=釜石小3年)はこの日参加した選手ではただ1人、あの3・11の大津波で、川沿いの自宅が全壊してしまった。流出こそ免れたが「もうとても住める状態じゃないんです」とうつむきながら話す。両親と兄弟2人の家族5人で親戚の家に2カ月も居候生活。大好きなサッカーをやりたくても、チームの練習場だったグラウンドは仮設住宅の建設が始まり、仲間との全体練習はできず「とってもつらかった」と振り返る。それでも、チームでコーチを務める父・裕さん(27)とともに一生懸命にトレーニングに励み、頑張ってきた。
何とか他のグラウンドを借りて、2週間前から練習が再開。そしてこの日突然、夢にまでみたJリーガーとの対面が、実現した。千葉県の自治体が、釜石市に寄付してくれたマイクロバスに乗り、胸を躍らせて40㌔離れた遠野までやってきた。憧れの前田選手が目の前で笑っていた。この2カ月の辛い思い、悲しい出来事が忘れられた。「ちょっと信じられなかったです。楽しかったです」と心の底から喜んだ。隣でコーチの裕さんが「震災がなければ、ありえなかったイベントですが、子供たちには最高の励みになります」とうなずいていた。
泰雅君の母のマイ子さん(31)は、まったく別の理由で泣いていた。今から10年前、当時千葉で女子大生時代に、横浜マリノスの守護神だった川口選手から書いてもらった「大事な大事な宝物の直筆サイン」を今回の津波で失ってしまった。「1階の一番目立つところに置いてあって、家に来る人にいつも自慢していたんですよ。お金じゃ買えないものだから、流れちゃったと気づいた時は、すごいショックでした」と真剣に打ち明けた。事情を知った磐田の松森広報の粋な計らいで、マイ子さんはイベント終了後の帰り際に、川口選手から持参したボールにサインをしてもらった。「うれしいです。夢のようです。宝物が帰ってきました。本当にありがとうございました」。マイ子さんは、10年前の女子大生の表情に戻って、息子以上にはしゃいでいた。
川口選手の話 これまでテレビの画像でしか見ていなかった被災地の子供たちに、会えてよかったです。一緒に楽しく、ボールを追いかけることができた。つらい思いが続いたと思うけど、今日をきっかけに何とか乗り越えていってほしいですね。