11月9日(土)に開催された「まごころ収穫祭2013」。たくさんの人でにぎわうその会場で、メモリアルなひとときがありました。 写真のお二人は大槌町にお住まいの菊池妙さんと臼澤康弘さん。 手にしているのは「安渡産大槌復興米」を炊いたご飯で作られたおにぎりです。
東日本大震災で被災し、辛い毎日を過ごしていた菊池妙さんが、2011年の10月、大槌町安渡地区の、津波で流され基礎ばかりとなった自宅玄関跡で雑草の中から偶然発見した3株の稲。か弱いながらもしっかりと根づいて立つその姿に胸を打たれ、妙さんはとても勇気づけられたそうです。妙さんがこの3株の稲に宛てて書いた当時の手紙があります。
「安渡(あんど)産大槌復興米」。
3株の稲はそう名付けられ、稲穂から穫れた籾の一部は遠野まごころネットのスタッフの手を経て、同じ町内の被災者でもある臼沢康弘さんに預けられました。偶然にも臼澤さんは妙さんの中学時代の同級生。預かった籾を慎重に管理し、2012年の春には見事な苗へと育て上げました。
2012年5月、まごころ農園の片隅に魚の形を模した小さな水田が作られ、田植えが行われました。やっと育った小さな苗を愛おしむ妙さんの姿と、ボランティアや関係者がにぎやかに田植えをする姿に目を細めている臼澤さんの姿が印象的でした。
「安渡産大槌復興米」のかわいらしい田んぼはその後、臼澤さんが毎日水の管理や草取りなど、つきっきりで世話を続けました。おかげで、梅雨の長雨や台風も乗り越え、見事秋には収穫を迎えることができました。
2011年の秋、3株の稲穂から穫れた稲づくりは、2012年秋、5.4kgの籾へと姿を変えました。この全ての籾が翌年、2013年の稲づくりに向けて大事に保存されました。
2013年春、5.4kgの籾は前の年使われた小さな田んぼに準備された苗代に撒かれ、再び臼澤さんの手によって苗へと育て上げられました。
1年経って何倍にも増えた苗は、新たにまごころ農園そばにお借りした用地に田起こしや代かきなど充分に準備した上で植えられました。
2013年の5月・6月は日照りが続いて水不足。7月から8月にかけては一転して梅雨の長雨、豪雨、日照不足など、稲作りには厳しい気候状況が続きました。しかしその後、連日炎天下での雑草抜きや水底の泥掻き作業など、たくさんのボランティア、スタッフの頑張りにより「安渡産大槌復興米」は無事秋を迎えることができました。
2013年9月24日、台風や秋雨前線の大雨の狭間に「晴れ」の天気予報が出たその日、稲刈りが行われました。たくさんのボランティアや隣接する仮設住宅にお住まいの被災者の方も参加し、とてもにぎやかな稲刈りに。刈られた稲はすぐにはせがけにされました。1年前は5人がやっと並ぶぐらいの幅の小さなはせがけでしたが、今年はご覧のとおり、田んぼの幅いっぱいにおよそ3列のはせがけが堂々と並び、天日乾燥されました。
およそ20日後の10月半ば、乾燥させた稲の脱穀作業が行われました。その結果、387.5kgの収穫となったことが判りました。 春に植えた5.4kgの籾が387.5kgに。なんと70倍以上に増えたことになります。
このうち150kgぶんの籾は来季の植付け用に保管し、残りの237.5kgを食用とすることになりました。遠野市内で精米したところ、221kgのお米になりました。
たくさんのみなさんの手を経て、2年越しで初めて姿を見せた「安渡産大槌復興米」。白く美しいお米です。
こうして、先日の収穫祭で「安渡産大槌復興米」は初めて炊き上げられ、来場されたみなさんに提供されました。そのおにぎりを手にした発見者であり、名付け親の菊池妙さんと、育ての親の臼澤康弘さん。胸中どんな思いでおにぎりを手にし、味わったことでしょう。 お二人のその胸のうちは後日紹介いたします。
今後「安渡産大槌復興米」は、大槌町の地元農家の方に育てて頂き、ブランド米となることを目指して、大切に育てあげていきたいと考えています。プロジェクトの今後にご期待ください。また、これまで「安渡産大槌復興米」作りに関わって頂いたたくさんのみなさんに感謝申し上げます。これからもご支援・ご声援をよろしくお願いいたします。