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1人のボランティアとして伝えたかった!

2011年5月10日  20時53分

<まごころ体験記⑤> 1人のボランティアとして伝えたかった

大阪市  西 靖

出発前に神妙に説明を聞く

私は大阪の毎日放送でアナウンサーをしています。阪神淡路大震災を経験した土地のメディアに身を置くものとして「被災地を取材し、伝えたい!」という思いは、ずっとあったのですが、地震直後の混乱期に「関西から土地鑑もないのに押しかけてもご迷惑になるだけだ」と自制していました。救援物資が届くか? 飲み水は? ガソリンはあるか? という切羽詰まった時期に、被災地の貴重な食料を私が消費してしまうことがいいこととは思えなかったし、阪神淡路大震災の時には、私自身も東京から来た取材陣の態度にイライラさせられた経験もありました。もちろん、被災地が必要としていることを、被災地以外の方に広く知っていただくためにも「取材は必要だ」とは感じでいました。お役に立ちたい一方で、物理的にも精神的にもできるだけご迷惑をおかけしたくない。どうすれば両立させられるのか? そのやり方と時期を3月11日以来、ずっと模索していたのです。

グラウンドを埋めた泥を除去する

グラウンドを埋めた泥を除去する

そんなときに遠野まごころネットの活動を知りました。被災地から少し離れたところに 拠点を作るやり方は被災地への負荷も軽減できるし、ボランティア参加者の安全も確保しやすくなります。構想としては「後方支援ボランティア」という言葉はありますが、それを実践しているケースは過去にはそう多くはないと思いました。そしてまず、その取り組みを取材したいと思いました。また、ここであれば、ボランティアに従事しながら、ボランティアの活動そのものを取材させていただくことで被災地への負荷を少なくした形の報道ができるのではないか? そんなふうにも思いました。そんな私のわがままなお願いを、まごころネットは快く受け入れてくださいました。 4月30日の夜に遠野市総合福祉センターに到着し、5月3日までお世話になりました。そのうちボランティアに従事したのは2日間。それ以外の時間は、まごころネットの取材に充てました。ボランティア初日は、陸前高田市の小学校の校庭の瓦礫撤去作業でした。一見瓦礫などなさそうな校庭ですが、震災当日は一面大津波に浸っていました。クワやスコップで少し表面を削ると、とがった木片やガラスの破片などが出てきます。この瓦礫混じりの表土をはがし、撤去するという肉体的にきつい作業でした。 2日目は、他の方も書かれている「サンマ作戦」でした。被災した水産会社の冷凍倉庫からサンマ、サケ、イクラといった水産物が周辺一帯に散乱したものを人海戦術で拾い集めるというものです。我々が参加した時には、地震からすでに50日が過ぎていて、山手から海に向かって進んだ作業は、かつては集落が建っていた瓦礫の中にさしかかっていました。

強烈な悪臭を放つ腐敗したサケを回収するボランティア

現場に到着すると、痛んだ干物のような臭いが周囲を包んでいました。津波で押し流されたものが折り重なっているような場所では、瓦礫を動かすとその下から大量に流れ着いたサンマやサケが出てくる。ほとんど真っ黒な液状になるほど腐敗が進んでいるものもあって、見た目もかなりきついのですが、何にも増して強烈なのは臭いです。これほど強烈な腐敗臭は正直、人生で初めてでした。しかも、事前に装備として渡された火ばし、トングでは腐敗しきった大サケを持ち上げることなどできるはずもなく…私も含め、みなさんがゴム手袋をした手でドロドロになった魚体を持ち上げ、無言でカゴに放り込んでいきました。目を覆いたくなるほどのウジが湧いている場合もありました。何人もの参加者がその場で嘔吐していました。私自身も喉まで戻しそうになりながら、歯を食いしばって作業しました。これほどに厳しい現場はちょっと想像していませんでした。衣服や髪にもその匂いが染み付き、取材、ボランティアを終えて大阪に戻った今でも、こうして当時のことを書いているだけで吐き気が襲ってきます。あのとき同じ班でがんばった皆さんも、きっと同じような状況だろうと思います。その後、この水産物回収の現場はとりあえずの目処が立ち、作業終了となったと聞きました。大勢の人が大変な思いをしての結果です。みなさんの努力に心から敬意を表したいと思います。

1人のボランティアとして必死に作業する西さん

ボランティアに参加される方はみなさん、被災者のお役に立ちたいと思って現地に入 られます。その思いはとても尊いものです。地の利はあるとはいえ、遠野からボランティアのみなさんの思いをできるだけロスなく、被災地にパワーとして届けるのは大変なことです。ボランティア登録や仕事の割り振り、安全や宿泊所の確保、トイレやシャワーなどのボランティアの生活環境の整備…。組織や参加者の規模が大きくなればなるほど、支援ボランティアへの支援という仕事は肥大化していきます。しかもその仕事もまたボランティアの方がされていました。被災地の現場と同様に、遠野で慣れない作業をされている方も多いと思いますが、そんなみなさんのおかげで関西の視聴者に有益な情報を届けることができたと自負しています。 私自身もスコップを握り、クワを振るわねば理解できなかったことがありました。その機会を与えてくださった遠野まごころネットのみなさんに心から感謝申し上げます。

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終了後、あまりの強烈体験に苦笑い

◆西靖(にし・やすし)1971年(昭46)7月8日、岡山県生まれ。大阪大法学部から94年にアナウンサーとして毎日放送に入社。99年10月に始まった同局の超人気情報バラエティー番組『ちちんぷいぷい』に同年11月から火曜日にレギュラー出演。06年から水~金曜日のメーン司会を担当。学生時代は陸上部で棒高跳びが専門。趣味はウクレレ、バドミントン、フライフィッシングなどと多彩。独身。

5 Responses to “1人のボランティアとして伝えたかった!”

  1. 加藤 |

    2日の日、高田小学校の校庭での泥除去作業で、同じあたりで作業をしていたものです。
    なんどか、番組は拝見しているはずなのですが、想像もしなかったので、全然気づかず、いろいろとお願いをしていたような気がします。
    私も、一緒にいた嫁もいろいろと考えさせられた数日でしたが、そこで感じたことをなかなか発信することはできないので、西さんのようにメディアの方々が実際にボランティアをされる中で、いろいろと気づいたこと、感じたことを、ぜひ発信していっていただけることを期待しております。
    きっと、少しずつ変わっていく中で、継続的なボランティア等々、必要になっていくと思いますので。
    私自身は、神戸で被災しましたが、そのとき受けた恩は返すべく、次回の長期休みに、また夫婦でいければ、と考えております。

  2. 星野 |

    私も西さんと同じ日同じ期間、遠野にいました。陸前高田のさんま隊にも1日に参加させていただきました。2日目は小学校の通学路の掃除、3日目は足湯隊として、少しでもお役に立てればと思っていました。今も毎日、気になって、ここへやってきます。今日は、ボランティアさんたちに使っていただこうと雑巾を縫っていました。来週には発送するつもりです。私もまた遠野へ伺います。

  3. yuri kikuti |

    西さん、いつもちちんぷいぷい見ています。奈良在住です。
    遠野にいらしていたんですね。私も30日にボランティアに参加して陸前高田市でサンマ回収をしました。言葉にできないほどの光景を目の当たりにして、ただただ立ちすくすしかできませんでした。
    奈良の嫁を受け入れてくれた遠野の人達と大好きな岩手に少しでも力になれればと思っています。ちちんぷいぷいでも、もっともっと、岩手、東北の現実を発信してください!またまごころネットに絶対参加しますよ!

  4. coba |

    「ゴム手袋をした手でドロドロになった魚体を持ち上げ、無言でカゴに放り込んでいきました。目を覆いたくなるほどのウジが湧いている場合もありました。何人もの参加者がその場で嘔吐していました」
    ボランティアの活動はきれいごとだけではない。時にホコリも日常にはないレベル。
    「嘔吐」とはっきりと書かれてありがたい。感謝。

  5. Mitsuhiro Suzuki |

    西さん遠くから来て頂いての支援活動ありがとうございました。
    どうか今回の惨状と遠野での活動をみなさんに伝えて下さい。
    決して今回の被災は日本人として他人事ではなくいつどこに住んでいても起こり得る事態と考えます。(起きて欲しくはないですが)
    そんな時に備え少しでも素早く適格に対応すべく、何が必要でどんな行動を起こさなければならないのか是非西さんの目で見て感じた事を日本全国の人たちに伝える語り部役になって欲しいと思います。   本当にご苦労さまでした。
    今度は私たち地元住民が頑張ります!   

「陸前高田市広田町大野地区のコミュニティ施設設営事業」は 「平成23年度(復興支援)被災者支援拠点づくり活動補助事業」の 助成金の補助をいただいています。