高校生ボランティア、[のんのん]こと 清野 秀人さん、[だらい]こと 山本 凌成さん。
高校生ボランティア、[のんのん]こと 清野 秀人さん、[だらい]こと 山本 凌成さん。
大槌町、釜石市、陸前高田市で展開している瓦礫撤去等のハード活動。
年末年始期間中一時休止していましたが、年明け6日、満を持して再開いたしました!
遠野市は岩手県沿岸部から少し内陸に入ったところにあり、山々に囲まれ、自然豊かな美しい景色をもつ町である。今回私たちを受け入れてくださったJA部に所属する農家のみなさんは、パワフルで本当に明るく笑顔の絶えない方たちばかりだった。それぞれの農家さんの持つ広大な土地には、水稲に限らず、色とりどりのお花やホウレン草、サツマイモ、大根、ワサビ、ピーナッツ、トウモロコシ、人参、大豆、時には牛など、数え切れないほど豊富な作物・家畜が育てられていた。農家ではこれらの作物を育て販売することで生活を営み、同時に収穫したものを近所の家々におすそ分けしている。
どこに行ってもみんな知り合いで、道で会えばちょっとした会話を弾ませ、近所の畑を覗いてみては畑作業を手伝ってくれる。そんな地域付き合いのおかげで、みんなで支え合える強いつながりがあり、遠野の町にはいつも笑顔があふれている。土まみれになった農作業、採れたての野菜の甘い味、家族のような遠野の人の温かさ。3月11日以前には、被災地にもこうした豊かな生活があったのだ。
私たちRINCは、「遠野まごころネット」の沿岸部ボランティア活動に参加し、釜石市箱崎町での瓦礫撤去作業と仮設住宅や在宅の被災者への訪問などに携わった。箱崎町は地盤沈下で復興計画が立たず、行政にも見放されている状態だ。それゆえ、被災6カ月を経た今、若い世代は町を離れ、高齢者のみが残されている。復興の手が進められにくく、未だ3.11のままの状態で残されている家屋もあった。 (さらに…)
12月17日、千代田区飯田橋の東京ボランティアセンターで「行ってきたよ!遠野まごころネット 初めての災害ボランティア体験報告会」が開催されました。東京での体験報告会はこれで12回目となります。今回は約30名の参加者のうち、約8割をまごころネットの活動経験者が占めたことが特徴です。被災地が厳しい冬を迎えたことに加えて、12月4日よりまごころネットの活動拠点が遠野市総合福祉センターから浄化センターにすべて移転したため、少しでも現地の詳しい情報を入手したいという理由で出席された方が多く、真剣に耳を傾けていらっしゃる姿が目立ちました。
釜石市箱崎町。
町というよりは漁村というにふさわしいこの町に箱崎神社はあります。
52段の石段を上がった社殿の床までも大津波は到達しました。
多くの住人が親族の誰かを失ってしまったことで、喪が明ける来年までは鳥居をくぐることが出来ない状況に。
まごころネット箱崎隊は境内のみならず、神社の前を通る道路脇の清掃や草刈り作業にあたってきました。
その道路から社殿への参道は2つ。
1つは緩々と登る坂道。
もう一つは52段の石段から。
前者は津波によって中途で崩落し、後者は地震に伴った地盤沈下によって石段の一部がズレたり崩れたりで、乗ると危険な状態にありました。
奥田さん、「石工でもないボランティアが手を出すモノじゃねえことは分かるが、このままじゃあ悲しいよな。いっちょやってみっか?」
私、「はい、じゃあ、やってみますか。」
と始まってはみたものの、思いの外の重量に手こずり、ヘタすると簡単に指や足を潰してしまう
危険と緊張の連続でした。
2011年9月30日、10月1日の2日間、釜石市箱崎の釜石東漁港に、ワカメの養殖棚を固定するための錘の作成のお手伝いに伺いました。
例年3月にワカメは収穫されますが、今年はいざ収穫という時に、ワカメも養殖棚も道具もすべて津波に流されてしまったとのことです。
ワカメの養殖棚に使用される錘は、本来は10年に一度くらいの頻度で少しずつ交換していけばよいものです。ところが今回の震災で、すべて流されてしまったために、漁協で協力して錘を作成しています。計画では、9月上旬までに錘を2万袋作成しなければならないのですが、砂利などの資材は、道路の補修にも使用されるために、それらが優先されてしまい、入手が難しくなっていることも遅れの原因です。