陸前高田市気仙町上長部地区で、遂に上長部公民館の竣工祭が行われた。公民館にはこの日を待ちわびた約100名が集まり、初の完成お披露目になった。
そして今月12月9日(日)、上長部は風が強く、空の色も薄暗い。前日に準備を終えたお父さんたちは肌寒さに身を震わせ「いよいよだな。天気大丈夫かな?」と、そわそわした様子。ドラム缶ストーブの前で暖を取る。お母さんたちは、前日から仕込んでいたお赤飯や鮭汁などのお祝いのごちそうの仕上げに取り掛かる。
竣工祭が始まった。月山神社による神事が執り行われると、さっきまで冗談を言い合っていたお父さん、お母さんたちの顔つきが神妙な面持ちに変わる。上長部で採れた新鮮な白菜や大根を神様にお供えし、一同、末永い繁栄をお祈りした。
上長部区長さんがドイツ語で「グーテンターク!(こんにちは)、グーテンモルゲン!(おはようございます)」とドイツ語の挨拶に参列者一同はビックリ。区長さんは今日を迎えるまでいただいてきたご支援、そして上長部を訪れた延べ2万人のボランティアへ感謝の意を表した。「人は前を向いて歩き、手を取り合えば何かが出来ると教えられた」と話し、亡くなられた方々への追悼の意を込め、後世に繋げる固い決意をした。「失われた尊い命に捧げる」という言葉には上長部地区のみならず、他地域でも復興を進めていく希望になっていくよう祈りが込められている。
ベルリン独日協会の竹谷様は公民館に名づけられた「ベルリンハウス」という名称を「ベルリンの友人たちのことをいつも思い出してくれる。心がここにあることを許してくれている」とお話しになった。
絆ベルリンの鶴岡様がフランク・ブローゼ副会長様のお手紙を代読された。上長部地区のお父さん、お母さんが失われた「故郷を取り戻そうとする希望」を強く持ち続けていたことを知り、手を差し伸べてくださった。絆ベルリン様は幾度も上長部に足を運び、ボランティア活動、今年10月には、リンゴの木のご支援もいただき、(ドイツには『明日世界がなくなるかもしれないと思っても、今日私はリンゴの木を植えるだろう』という言葉があり、自ら希望の芽を摘むことはせず辛くとも前に進めば必ずその芽は実を結ぶ、という意味を持つ)記念植樹を行った。絆ベルリン様は上長部のことをとても気にかけてくださり、そうした中で少しずつ、二か国間の絆が深まっていった。
手作りのくす玉には、かんなで削った薄い木材を張り付けた。くす玉を割ると「祝 公民館竣工」の文字が。くす玉の周りや、中身にまでかんな屑を使用しており、モノづくりに対する深いこだわりを感じる。そして、地酒「酔仙」を使用し、威勢よく鏡開きも行った。
あたたかい部屋で、あったか~い料理を食べる。震災当時、失われた「当たり前」を取り戻した。
一方、外ではピザ窯でピザが焼かれ、出来立てホヤホヤの本格的なピザ作りが行われていた。子どもたちには鮭汁よりもピザの方が口に合うのか、ピザ窯のまわりで焼き上がりを待ち、「まだ食べてない人~!ピザどうぞ~!」と、公民館までデリバリーしてくれた。公民館の中で楽しそうに騒いでいる大人たちを見て、彼らは何を思っただろう。
上長部は復興が早いのではなく、お父さん、お母さんたちが「このままでは自分たちの故郷がなくなってしまう…」と自分たちの足で立ち上がったからここまで歩んできた。
公民館33坪分の内外装は上長部で津波を被った立ち枯れ杉を使用。上長部更生会が切り倒し、製材、加工した木材でつくられており、木の伐採から建設まで全て上長部のお父さんたちの手でつくりあげた。慣れない製材機の操作や、細かな木材の加工では作業がスムーズに進まず頭を抱えることもあった。「素晴らしい公民館を作ろう」という想いからお父さんとグッチョウさんの間でちょっとした衝突が生まれたこともあった。そんな経緯もありながら、公民館は沢山の人の手、沢山の人の想いによってつくられた。
お父さんたちは「いや~グッチョウさんやドイツの方々との関わりは、新鮮だったなぁ~」と話してくれた。グッチョウさんも「働き者が大好きです!お父さんたち、お母さんたち、みなさんが大好きです」と話してくれた。支援から始まる、海を越えた友好の幕開けだ!
「ダンケシェーン!」上長部は感謝の気持ちを胸に、明日を築いていく。
(取材班 山田エリナ)