【2015ネパール地震】現地視察リポートとご支援のお願い(1)から続く
【そして多田が向かったのは、ジョロング(Jholunge)。インドラワティ川沿いの、地図にものらない小さな村です。首都・カトマンズから舗装道路4時間+オフロード2時間の6時間という、交通の便が極めてきびしいところにあります。人口は500名。村の90軒のうち89軒が崩壊し、10名が亡くなりました。交通の便が悪く、小さな村であるため、国際的支援がまったく入っていません。東日本大震災の時にも見られた「支援の格差」が、ここにもあります。以下、多田のリポートです】
蚊よけネット等の支援物資をインド製のピックアップトラックに積んで、私たちはジョロングへ出発しました。
バクタプールなど数々の瓦礫だらけの町を通り過ぎ、走ること4時間、まずは地元の人御用達の食堂で昼食としました。見たところ、この辺の食堂は一種の支援バブルのようです。UNやUNICEF、セイブ・ザ・チルドレン等名だたる団体の車が停まっていました。
舗装道路から外れて走ること更に2時間、石を敷き詰めた凸凹の道路が続きます。
天井に頭をぶつけるほどの道路です。この車が通れる道路は、2年前に出来ました。村人が必死に作ったのです。
約30分走ると突然村が現れます。
そこには小学校があり、この近所の村から子どもたちが通っています。ジョロングからも、片道2時間、往復4時間をかけて通っています。激しい雨期もあって、通い続けることはとても困難です。
さらに走ること1時間。
本来は、山の麓に写真の様に小さくて綺麗な村が見えてくるはずですが、今は見ることができません。90軒のうち89軒が崩壊してしまったからです。死亡者は10名。もし医師がいたらあと数人は助かっていたかもしれません。
村に入ると同時に綺麗な棚田や畑が広がり、日本の原風景のような景色にも見えます。村の入り口は、川です。
川の中に道があり、村人が出迎えて、道先水先案内をしてくれます。低い所に石を並べて簡易補修をしながら。雨期には当然渡れません。そこを越えると次は急な坂道です。
この坂道も村人が鍬で道を直しながら、時には車を押しながら進みます。
その先に、小学校が無事に建っていました。
村人と 地元の団体・Educating Nepalの若者達が作ったものです。
出迎えてくれたのは、写真左の小柄な人物・バルバート氏です。
この人が村のリーダーで、ただ一人高校を卒業した人です。彼の父親は雨の日も風の日も我が子を学ばせるために片道2時間の道を学校まで送り迎えをしたのです。村人も協力を惜しみません。彼は高校を卒業すると、村のために生きると決めたのです。彼は最愛の父をこの地震で亡くし、白い服を着て喪に服しています。彼の村人を守る、おもてなしの外交姿勢には感動しました。この村の人々とEducating Nepalの若者達の信頼関係は、揺るぎないものです。現在130人の小学生がここにいます。
石と泥で固めた家は、地震により瓦礫と化していました。
人々は大切な家畜の屋根を作り、そして寝る場所を作りました。かつての村の綺麗な姿は、今は想像もできません。このまま雨期になったら、と考えると、やることは山積みです。しかし村に重機はもとより機械や車両がまったくなく、支援の手はEducating Nepalの若者達しかいないのです。物資や食料の支援も同じです。
普段は徒歩で村外と行き来する若者達が、車を借りて運んだのです。
小学校は、まさにこの村のコミュニティの中心でした。
会議も物資配布も、何でもここでやります。我々の寝床もここです。「カズさん、今日は村の復興の計画を会議しますので参加して下さい」ってことで、私も会議に参加しました。
皆意見を自由に言い合います。リーダーのバルバートさんは最後に言いました。「決して消極的に考えないで下さい。家に帰り、家族でもう一度話し合って下さい。そしてまた集まりましょう」。私は「これが民主主義じゃないのか、俺たち日本人は忘れていないか!」と頭を殴られた気がしました。どうだったと聞かれてもグレイト以外に言葉はありません。
村人は大人も子どもも良く働きます。会議をしている最中も、荷を担いだ人が横を通り過ぎます。
夜中は途中の山で眠り、朝4時半頃に荷を背負い、村にたどり着く人もいます。朝5時には皆が細い鍬を一丁担いで、畑に出ます。土が堅いから刃が細い鍬でなければ歯が立ちません。耕耘機等の機械類は、一切ありません。
この広大な農地で、全員が協力して、鍬一丁と鎌一丁ですべての作業をこなします。日の出と同時に始まり、日の出とともに終わります。
小さい子の面倒を見て、この女の子も働いています。
この生後間もない子は、この震災で孤児になってしまいました。この子は石の下敷きになったのですが、4時間かけてバルバートさん達が掘って助けたのです。お爺さんが、守るように抱っこして息絶えていたそうです。今はバルバートさん達が育てています。女の子は、この子のお守りがお仕事です。
このイケメン男子3人は、私たちの帰りの車にトマトを山ほど積んで、マーケットに売りに行きます。
左から25歳、20歳、16歳です。彼らは少しだけ英語を話せます。Educating Nepalの学校の優等生達ですが、今は村の大事な働き手です。私は彼らが町の人に負けないで商いできたかどうか、気がかりなのです。
若い男性が少ないことに気がつきます。皆サウジアラビアかインドに、過酷労働者として働きに出ているそうです。小学校を卒業しない彼らには、それ以外の仕事はほとんどないに等しいのです。特にサウジアラビアでは10畳ほどのスペースに15人が寝泊まりしながら働きます。毎朝、亡くなって目をさまさない人が必ずいるそうです。Educating Nepalの代表は言います。「勉強する機会を作り、少しでも良い仕事についてもらいたい」と。
ジョロングとEducating Nepalの課題と問題
・ 地域の復旧復興に先立ち、土地の測量、用途設計デザイン、造成工事が必要
(道具も技術もない)
・ 応急仮設住宅建設のため、設計、建築資材や資金が必要
(資金や資材が不足しているため紙を使って壁を造る等の工夫もする。モデルハウスもつくる)
・ 教育のため、教師の給料補填 ( 4,200ネパールルピー/月/人=約6,500円) と住まいが必要
(手持ち資金は震災支援に使用した)
・ 小学校校舎の2階部分の建設資金が不足している
・ 国や地方行政から村や人に対する支援はまったくなかった。これからもないだろう
・ もうすぐ雨期に突入する
・ 重機等の機械や車両はまったくない。復旧復興のための活動はすべて手作業で進めている。
そこで遠野まごころネットはジョロングとEducating Nepalを支援するために、皆様に募金のご協力をお願いします。使途は以下の図の通りです。私たちは東日本大震災において世界中の人々からご支援を頂きました。感謝の心を伝える時だと考えます。どうぞ宜しくお願いします。
支援金受付口座
銀行支店: 岩手銀行 遠野支店
口座番号: 普通2057977
口座名義: トクヒ)トオノマゴコロネット