■全体を俯瞰した支援のマッチングが必要
私たちも自分の身のまわりに関してはこういう支援があれば助かるというものはわかるが、全体として必要な支援はなかなか把握できない。もしかしたらそのような全体のニーズをコーディネートして支援できるような受け皿があれば助かるのではないか。例えばある別の組織ができてそこでいろいろな支援をまとめてもらい、組織のほうでそういう情報をみんなに開示してもらう。高田のみんなはそれを見てまさに今自分たちが必要としているものがあれば、それをうまくつないでもらう。今はみんなが個々でいろいろなことを考えているが、それがうまく連携できていない状態だと思うので、そのようなコーディネートができる団体があればよいと思う。その部分はおそらく私たち被災地の住民だけではできない部分かもしれない。私たちには生活を取り戻さなければならないという側面もあるので、そこまで踏み込むことができない。だから全体の支援についてのコーディネートをやってもらえるNPO法人のような団体などができれば助かると思う。
地域の社会福祉協議会はボランティアを受け付けて振り分けるだけでも大変な状態だ。もっと広い範囲で、例えば東京のある団体はこのような形で手話のボランティアが可能だとか、こうような体制で対応できるなど、より具体的な支援の情報を集めて仮設住宅の自治会長さんなどが(それらの情報を集積したサイトを)見ることで、「こういうものをうちの仮設住宅で取り組めたらいいな」と具体的に思えるような仕組みができればよいのではないかと思う。いわばニーズのつなぎ役。今はどこがどういう支援をしているのかお互いによくわからない。こちら側からもどういう支援を申し込むことができるのかを知りたい。どちら側からの要望にも沿った形(での情報の双方向性)が求められていると思う。
■大津波がもたらした教訓を後世に
今、なぜ陸前高田市がこれだけ注目されているのか。それは世界一ひどい津波の被害を受けた街で、世界中から多くの人がボランティアに入ってきてくれたからだ。このことは今後の震災のあり方に対して警鐘を鳴らすチャンスだと思う。今回の大震災で失ったものは多いが、陸前高田市の復興ビジョンの一環として、津波の被害に対する警鐘を鳴らし続けて後世に伝えていくことも必要ではないかと思う。
私も津波を知らない世代だった。高田の街のあちこちにチリ地震の時に津波がここまで来たという石碑などがあったが、全然リアリティがなかった。今回の津波についても、テレビなどの映像はあくまでも映像であって、どのように街が壊れていくかについてはリアリティがない。私としては陸前高田市の国道45号線から海岸沿いの地区を今回の震災の悲劇や津波のすさまじさを全世界に伝える場所として残したいと考えている。津波を知らない子供たちが高田の街に来て実際に状況を見ることで、例えば津波の破壊力がいかに怖いかとか、大きな地震が起きたら高台にいちもくさんに逃げなければならないなど、津波の教訓を学ぶことができる。
今回の大震災で私たちは大切な命や財産、多くのものを失ったが、(津波がもたらしたものは)必ずしもマイナスの側面だけではなかった。なんとかみんなで生きようと一致団結して避難所運営に取り組んだことや、被災していない人が毛布や服を被災した人に配って助けあったこと、人と人との絆や温かさを本来、人間は持っているということ、これまで日本人の心の中にあった良識や、困った時は助け合うという素晴らしさが伝えられる。今回の大震災の教訓をここに生きた私たちの世代は必ず後世に受け継いでいく。陸前高田は津波の怖さを伝える街、今後このような震災での被害を絶対に起こさないことを訴えかける街となる一方で、(人間としての本当の)心のあり方を伝えられる街にもなれるだろう。これは住民の意思がまとまれば出来る事だと思う。
もうひとつ忘れてはならないのが、これまで私たち現代人の生活にどれだけ驕り(おごり)があったかということ。電気ひとつ止まるだけで何もできなくなり、みんながパニックになる。本当は電気がなくてもみんなで集まれば何とかなるのに、どれだけ今までの生活で依存していたかを目の当たりにした。そういう生活全般を見直すきっかけにもなった。よく戦後の人が貧しい生活を送ったと聞くが、実際に体験してみるとこれまでどれだけ我々が裕福な生活をしていたかかがよくわかる。そういうことを子供たちにも伝えていきたい。
現在、陸前高田にある被災した構造物を将来に向けた津波資料館の収蔵物とするために残したいという活動を始めている。津波資料館ができるまでの間、これらを保管できるような用地やテントが必要で何とか確保したいと考えている。しかし、先ほど話したように、陸前高田には土地がない。だから、県外などでどこか広い場所があれば一時的に(3年間ほど)、これらの貴重な歴史的財産にもなりえる建造物や構造物を保管させて頂けたらと思っている。
私の自宅も被災したが、津波で壊された自宅や車を撤去しないで欲しいとお願いをしている。津波のパワーを伝えるような電信柱などもたくさんあるが、それらはゴミとして撤去されようとしている。しかし、本当はゴミなんかじゃない。今後の研究材料にもなりうる貴重なものだと私は思っている。それらをゴミにすることなく、後世に残すことも大切だ。これまで津波の被害はあったが、そのような形で残されたものはなかった。今回はそれができる機会だと捉えており、そういう取り組みができればと思う。
(聞き手:高橋和氣、まとめ:高崎美智子)
~おわり~
画像の引用:高橋さん作成資料「陸前高田市の今」2011.8.5 AIDS文化フォーラム in 横浜 オープニングにて