がれき・サンマ隊に続き、心のケア、まごころネットOB・OG、関係団体などいずれも内容が充実した活動報告でした。すべてを掲載できないのが残念ですが、ここでは第1セッションで発表されたの活動報告の要旨をご紹介します。
*菊池新一さん(NPO法人遠野まごころネット副代表)
まごころネットは3月28日に結成したが、3月17日の段階ですでに有志が集まり会議をしていた。(中略)まさにこれからが正念場。昔から遠野は宿命的な後方支援の場所であり、私たちは必要な人に必要な物を必要な時に届け続ける。これから何年かかるかわからないが協力して支援をしていこう。
*高宏竜太郎さん(さんま・がれき部隊 隊長)
上長部のサンマの撤去は4月中旬から現在までまだ続いている。今もまだ約2割のサンマががれきの下に眠っている。(撤去作業が)終わるまで必ずやるのでご安心ください。そしてがれきの跡地に小学校の校庭を作りたい。来年の報告会ではがれきや匂いがなくなった、うじ虫やハエとの闘いがなくなったという報告ができればと思う。
*齋藤正宏さん(事務局・農援隊 )
4月3日にまごころネットに来た。4日からがれきの町を歩きまわったが、陸前高田は本当に何もなくて、大槌は空襲のあとのようだった。そうやって避難所やがれきの中に残っている民家などを訪ねたがよそ者なので言葉が違うし、信じてもらえない。何度も通って地元の人たちと馴染むのに1カ月ぐらいかかった。250人ぐらいのある避難所は水がないから風呂に入れない。そこで水を探して軽トラックで走り続けて辿り着いたのが長部地区だった。がれきの現場で活動することは、最初から寄り添うということ。どんなことに人が苦しんでいるのか、そのことに寄り添いながらみんなで力を合わせてできる形で現場の活動を仕上げる。ただ、がれきがあらかた片付いた時、これで終わるのかという疑問が出てくる。村のお母さんたちと話をしていたら、片付けが終わったところに花の種でもまこうか。作物にならないけれど(という話題が出た)。体を動かすこと、風景が変わること、何かが変えられること、何かしないと心が折れてしまう。
ひまわりの種をまく準備を始めたら土のなかはがれきだらけだった。一枚の田んぼをきれいにするには最低でも10日はかかる。(中略)表面上は戻ったように見えても人がそこで自然と一緒に寄り添って暮らすにはまだ全く復興していない。東京ならばビルや道路ができれば復興かもしれないが、東北の人たちは第1次産業が中心だから自然や命に寄り添わないと食べていけない。命の復興は突貫工事ではできない。まだまだ片付けにしても種まきにしても人手がいる。それから多くのボランティアさんが来ているがそのうちの約3割はフリーターや、仕事をやめたり退職した人たちだ。しかし、生き残ったおじいちゃんやおばあちゃんから(ありがとうと)手を合わされると人間としてよみがえる。アルバイトをしたり貯金を崩して、リピーターとして来る。そういう人たちが作っている長部は(本当の)ふるさとかもしれない。災害地は人を育てている。
もうひとつ、僕らがやっているのはコミュニティの活動だ。仮設住宅はいずれ出なければならない。暮らしていく場や暮らしていく人たちの絆を取り戻さなければならない。災害から2ヵ月が経った頃に行政も立ち直って福祉サービスも少し始まったがやはり手が行き届かない。家族や隣近所などの助け合いの基盤がなくなると全く立ちいかない。土地の人たちが暮らすための既存の仕事や、土地の人たちの仕事の土台となる生態系や自然の全てを寄り添う形で取り戻していかなければならない。現地で早く立ち直った人が他の方のケアができるように寄り添うことがハード面もソフト面も含めた我々の仕事だ。そのためにはまだまだ人手が必要で、心が必要。寄り添いも必要だ。最近のテレビではそういうことは報道しない。しかし、私はそういうことをやっていきたいし、みなさんの力を貸して欲しい。
*増島智子さん(被災地NGO恊働センター、心のケア活動について)
3月26日から現地入りし、その翌日からソフト面での活動として足湯やまけないゾウ作りに取り組んできた。震災から半年がたち、被災地では支援内容がソフト面に移行しつつある。お盆を境に避難所から仮設住宅に被災者の方が移られ、岩手県内で13984戸、被災地全体では約10万戸の仮設住宅やみなし仮設に被災者の方々は生活している。仮設に入っても集会所がなく隣近所のコミュニティが形成されていないところもある。阪神淡路大震災の教訓から孤独死の前には孤独な生がある。いかにその孤独な生を回避するか、もっと生活に生きがいやはりあいがあればもう少し前向きに暮らせるのではないかということでまけないゾウ作りの活動を展開してきた。(中略)ある仲間が「忘却は最大の敵」という言葉を教えてくれた。一人一人が震災のことを忘れずに語り続けることが何より被災者の方の励みになる。
*吉田慶さん(まごころネットOB・OG)
4月中旬にまごころネットに来た当時は体育館に20人ぐらいしか宿泊していなくて、まだ決まりも何もなかった。そのなかでミーティングを始めて、体育館のルールやボランティアの心構えなどをみんなで意見をぶつけあって現在の土台ができてきた。当時はサンマ隊や家屋整理、避難所の手伝いなどをして過ごした。最初は1カ月で帰るつもりだったが、自分の目で見た生の被災地の光景があまりにも衝撃が強くて(自分の)1年や2年ぐらい使って支援してもいいと思った。被災地に来ることができなくても、遠くからでもできる支援の形をこれからも考えていきたい。
*大関輝一さん(NPO法人自立生活サポートセンター・もやい)
実は昨年12月に父をがんで亡くした。その1年前に告知を受けたが、がんという病が自分に1年という気持ちを整理する時間をくれた。ところが、被災地は違った。地震や津波は何の前ぶれもなく突然やってきた。町も人もなくなってしまった。朝、一緒に会話を交わした人が午後にはいない。風景も変わってしまった。(震災から)半年経って仮設住宅に移り、現在は緊急時から生活再建期に入って復興の話になってきているが、まだそれについていけない人もいる。そういう人たちをおいてきぼりにしないで欲しい。仮設に入って生活が落ち着くといやでも考えざるを得ない時間ができてしまう。今まであった出来事をこれから本格的に整理する時期が来る。すぐには立ちあがれない人もいる。3ヵ月や6ヵ月経ったからと区切ることはできない。確かに自立することは大事だが、何をもって自立というのか。人は機械ではなく、感情や思いがある。どうか信じて待っていて欲しい。誰ひとり置き去りになることなく、生活を再建し復興できれば、そして我々もその一助となれればと思う。
(取材・文:高崎美智子)