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これからが復興の正念場(3):東京で「支援活動報告会」を開催(3)

2011年9月13日  17時51分

総合司会の三神さん

第2セッションのファシリテーター東さん

第2セッション前半:「被災者の声」

第2セッション前半のテーマは「被災者の声」についてです。ここでは、東日本大震災で甚大な被害を受けた大槌町から届いた2つのビデオレターを上映。大槌北小学校2年生の子供たちと、吉里吉里で「復活の薪」プロジェクトを手掛ける芳賀正彦さんからのメッセージを伝えました。「復活の薪」とは、がれきの木を集めて避難所の方々に温かいお風呂に入ってもらおうという発想から生まれたもので、ボランティアのなかから「この薪を売ったらどうだろうか?」と話が出たことがきっかけで活動が始まりました。被災者の方々の自立支援や生きがいづくりの点でも興味深いプロジェクトです。続いて「まごころ広場うすざわ」の臼澤良一さんが壇上に登場。会場のみなさんにご自身が被災された時の状況やメッセージを直接語ってくださいました。以下はこれらのメッセージの要旨です。

*大槌北小学校2年生からのビデオレター

なおちゃん:(大きくなったら)保育園の先生になりたい。ごみが減ってきれいな地球になって欲しい。

よしたか君:漁師になって魚をいっぱいとりたい。(大槌町が将来)きれいな町になって欲しい。

 

*芳賀正彦さん(吉里吉里国・復活の薪)からのビデオレター

避難所で何もしないでじっとしているよりは、自分たちで何とか自立したいと思って(復活の薪を)立ち上げた。津波で犠牲になった人たちに恥ずかしくない生き方をしたい。犠牲者に教えられた。そこからすべてが始まった。津波の前の三陸のきれいな海を復活させたい。そのために山に登って間伐をする。間伐をすると太陽の光が地表にふりそそぐ。「神は我を見捨てたもう、いや、神は我を創りたもう」。その言葉を私は一生忘れない。がれきの上に仁王立ちしようという力を私たちに与えてくれた。ボランティアの人たちは8月の炎天下での薪割りや廃材の運搬など何も不平不満を言わずにもくもくとやってくれる。そういうボランティアの人たちの後ろ姿によって我々被災者は海をつくろうとする力、山に登る勇気を与えられた。ボランティアという一人一人の神様が、笑顔が今も私たちをつくり続けている。

 

*臼澤良一さん(まごころ広場うすざわ)

大槌駅近くの自宅で被災。とてつもなく大きくて長い揺れを感じた。まさかここまで津波は来ないと思っていたら自宅の2階まで泥水が押し寄せてきた。屋根に上ったら周りのものが何もかも流されている。助けてくれという悲鳴もあちこちで聞こえ、プロパンガスは爆発して燃えている。自分の家も300メートルぐらい流された。命からがら別の家に飛び移って逃げたが、そこに次の津波がやってきた。天井やぶって逃げようとしたが、逃げられない。ところが、あごの部分まで水がきたところで(水が増えるのが)止まった。偶然が重なり、神様に生かされた。3.11を境に自分の価値観が変わってしまった。

 (中略)形のあるものよりも形のないもの。人の心に寄り添うことが生きていくうえで大事なこと。形のないものはいくらお金を出しても手に入らない。避難所では大切な家族を亡くした方がたくさんいて、昼間は笑っていても夜になると片隅で泣いている。精神的にもまいっている。そういう人たちを実際にたくさん見た。津波で一瞬のうちにすべてを失くして、命だけが助かった、本当に生きるということを真剣に考えた。私は医者ではないが、苦しんでいる人たちに手をあてて苦しみを分かちあうことならできるのではないかと考えて、多田さん(まごころネット副代表)と相談してまごころ広場を5月2日にオープンした。まごころ広場はお茶やコーヒーをいつでも飲める場所。管理運営については地元の被災者の方々が中心となっていてボランティアはあくまで黒子だ。いつも誰かがいることで気軽に立ち寄れる。まごころ広場は午前10時から午後4時までだが、2ヵ月ほど前の夕方にある70代の女性が「臼澤さん、まだですか」と聞いてきた。被災者から「ここに来ると気持ちがリラックスできる」といわれてこれまでの疲れも吹き飛んだ。誰かがそこにいる、ずっと立ち続ける、気軽に立ち寄れることが大切なのだとその出来事で確信した。避難所から仮設住宅に移ると活動のやりかたも変わってくる。最近は臼澤ガールズ(という地元の女性たち)が主体となって、仮設のニーズ調査や地域の交流の場を作ろうとしている。

仮設入居者の現状の課題としては、以下の5つがある。

①  被災地の雇用の場の消失

②  仮設入居者の買物難民の増加

③  仮設入居者の孤立化

④  コミュニティの崩壊

⑤  農業・漁業者の困窮

被災者には様々な支えが必要だ。今後もまごころ広場の活動にご支援やご協力をお願いします。

 

 

第2セッション後半:「行政との協力」

第2セッション後半のテーマは「行政との協力」についてです。ボランティアと被災者、そして行政との連携が円滑でなければ復興支援はなかなか前に進みません。ここでは、岩手県復興局と陸前高田市の青年会議所、大槌町の社会福祉協議会の現場担当者が震災からの半年間を振り返りながらこれまでの取り組みや現状の課題、復興への思いなどを語りました。

 

*鈴木一史さん(岩手県復興局生活再建課)

岩手県では平成23年から30年までの8年間で「安全の確保」、「暮らしの再建」、「なりわいの再生」を柱とする復興計画をまとめた。8月26日の時点で13984戸の仮設が完成した。仮設の空室については地域の方が使えるような集会所や談話室などの活用を考えている。被災者に寄り添う相談体制として、県内沿岸部の4地区に被災者相談支援センターを設置した。県内では8月末でほぼ全ての避難所が閉鎖された。これからは仮設入居者の支援や見守りが重要になる。県内全体で101人の特別支援相談員を配置している。

(中略)今日で震災から6ヵ月。テレビや新聞では半年の節目で特集が組まれているようだが、1週間前まではどうだったのか。普段はマスコミで取り上げられることも少なくなり、風化が進んでいるように思う。復興には時間が必要で、気持ちのケアなども必要。楽な道のりではない。ただ、1歩でも1メートルでも前に進まないと復興にはつながらない。今日参加されたみなさんも、ぜひこれからも被災地のことを思い出し、気にかけながら長期的・継続的な支援をして頂ければありがたいと思う。

 

*高橋勇樹さん(陸前高田青年会議所)よりビデオレター

こちらは別途、インタビュー形式の記事を掲載しますのでそちらをご参照ください。

 

*川端伸哉さん(大槌町社会福祉協議会)

(今回の津波によって)大槌社協でも会長や事務局長、総務課長が亡くなられた。組織体制がぜい弱で被災から6ヵ月間、自分の正直な気持ちとしては疲れた。長かった。苦しかったし、悲しいこともいっぱいあった。3月22日に他県の社協や多田さん(まごころネット副代表)が応援に来てくれた。3月26日にボランティアセンターを立ち上げたが、カメラもパソコンもなくて記録も残せなかった。携帯電話1つで活動を始めたが、最初はいったい何からやればいいのかわからなかった。とりあえずやってみるということから始めた。

困った時は何でもまごころネットに頼んでいる。お茶っ子隊や外出支援、物資の搬入などもその例だ。まごころネットは組織力が大きく継続的で、人や物やお金が集まる。瞬発性や対応力にもすぐれていて何でもノーと言わない姿勢なのでとても安心して頼める。(中略)子供も家族もいなくなって自分だけになってしまったという友達が3人ぐらいいる。(それなのに自分は)何も返せない。そういう人たちのために少しでも何か力になりたい。今、頑張ってくれている人たちがいて、例えば消防や警察、自衛隊、ボランティアさんもそうだ。ボランティアさんにもいろいろな人がいて、就職が決まっていたのにそれをけってきてくれた人や、自分の会社の経営が傾いていてもボランティアを続ける人。なぜそこまでできるのか?そういう人にちゃんと(自分は)応えているのか?これからも応えられるように、(自分も)胸をはって対応できるように頑張っている。

あと、次世代の子供たちのため、次に生まれてくる子供たちために。お父さんやお母さんを亡くした子供たちもいる。子供たちは子供たち同士で助け合っている。そういう状況を見ると、自分も協力したいと思う。(中略)たくさんの人たちに支えられて助けてもらったおかげで今まで続けることができた。ボランティアセンターを立ち上げた頃は何をしたらいいのかわからなくて、本当につらかった。(うちの)メンバーに専門家はいない。でもまとまりがある。普通の人の力が10だとしたら、自分たちは5や3かもしれないが、ひとつのものに向かってみんなで考えて動ける。まとまることで新たな力が生まれる。

(取材・文:高崎美智子)

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「陸前高田市広田町大野地区のコミュニティ施設設営事業」は 「平成23年度(復興支援)被災者支援拠点づくり活動補助事業」の 助成金の補助をいただいています。