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第4回構成員会議~釜石市箱崎地区隊長 船田浩二さんからの報告

2011年12月24日  15時33分

箱崎でお世話になっていて、7か月携わらせていただいる。箱崎半島でまごころネットが関わっているのは、箱崎、根浜、桑野浜、白浜、仮宿の5つがあり、箱崎町を拠点にボランティア活動を続けている。

コミュニケーションのはじまり

活動当初は、住民の方と腹を割って話をする機会はなかった。特に箱崎では震災直後に窃盗の被害を受けて、集落外の人に対して警戒心が強くなってしまったようだ。どの地域でも同じだと思うが、コミュニケーションがとれるようになるまでは大変だった。ひたすら公共の場所、道路や側溝の清掃をして住民の方に認知をしていただきたい、という思いで誰とも会話をせずに2~3か月の間作業をしていた。そうこうするうちに、1人が声をかけてくれるようになり、2人3人と増えていった。

みなさんが心を開いてくださったと感じられた転換期は新盆の頃。お墓と参道の一斉清掃を行った時で、釜石の仮設住宅にお住まいの方がお墓参りに見える前に、草取りを含めた墓地清掃や駐車場整備をした。それからは毎日びっくりするほどボランティアの世話をしてくれるようになった。今では昼食の炊き出しや差し入れをしていただいたり、家に招かれて食事をご一緒することもある。 「みなさんがいないと箱崎は活気がない」 「黄色いビブスを見ると元気が出てくる」 「何もしなくてもいいからここにいてください」 と言ってくださる方が多い。

丁寧な作業が前向きになるきっかけに

とてもありがたいが、残念ながら日に日にボランティアの数は減っている。元々デリケートな地区でもあるので、箱崎では最大数を50~60人に制限して小規模編成でやってきたが、このところは10~15人に激減。加えて、箱崎では一つ一つの作業をとても丁寧に進めるため作業終了まで時間がかかり、一つの仕事に半月~1ヶ月かかる時もある。丁寧にやろうとみんなで決めているので、同時並行で複数の現場を進めなければならないため、ボランティアの数がたくさん必要になる。そのため今では人数制限は付けずに100人でも200人でも、箱崎に来ていただきたいと思っている。

清掃が終わった後には、家主の方は「またここに家が建てられるのではないか」「またここに住みたい」と言ってくださる。実際には一度波を被った場所には家は建てられず、家の基礎は近い将来に重機で取り払われてそこは更地になるだろう。しかしボランティアの清掃後には、震災に打ちのめされた方が前向きになれる。それくらい綺麗に仕上げる。

箱崎全体のためにやれることをやろう

ボランティアの本分ではないかと常日頃みんなで話し合っているが、箱崎では作業内容によって瓦礫部隊とその他にグループ分けする必要はないと思っている。箱崎には仮設住宅が4つ、白浜には1つ、箱崎半島で合計5つあり、まごころネットではケアのために毎日伺っている。朝集合したボランティアには必ずこう言っている。 「被災者の方のニーズによっては今日は仮設に行ってもらうこともあるかもしれない」 「瓦礫作業をやらずに、祭りがあるので祭りの手伝いをしてもらうかもしれない」 「祭りでただ立っているだけかもしれないが、ギャラリーとして参加をする」 このように、箱崎では臨機応変に何でもやりましょうと声をかけさせてもらっている。幸い来てくださるボランティアはこの考えに共感してくださっていて、「瓦礫で来たのだから他のことはやりたくない」と言う方は一人もいない。淡々と、箱崎全体のためにやれることをやろう、という雰囲気になっている。

関係性の変化

長くお付き合いしていると、ボランティアと地元の住民の方の関係性が良好になってくる。同時に、課題でもあるがお互いの馴れ合いのような、言葉は適切ではないかもしれないが、わがままではないかと思えるニーズが時々みられる。 ボランティアも、相手が被災された方が厳しい現実をくぐり抜けてきた方という認識や、ボランティア活動の初心を忘れて、瓦礫現場で基礎の上にどかっと座ったり、大声で高笑いしたり、走り回ったりすることが時々みられる。 ボランティアの意識の問題はまごころネットの中で解決できることだが、問題は被災者の方の災害とは一切関係のないニーズに対してどうすればいいのか、どこまで応えればいいのか、といったことに悩んでいる。しかし相手が弱者だから被災者だからと腫物に触るような付き合い方ではなくて、同じ人間としてある程度こちらも物を申すという態度でいいのではないかとみんなで話し合っている。そのためには築き上げた信頼関係が必要だと思う。

第2ステージへ~肝の据わったボランティア

最近の私は、断り役に徹している感じ。「もしかしたらご自分たちでできるかもしれませんね」と返事しておき、後で根回しをする。例えば町内会長さん、地区会長さんがそれぞれいらっしゃるので、それぞれに問題意識を持ってもらうために、世間話程度で話を持ちかけるなどしている。町内の老人クラブで対応できるよう促すなど、当たり前の人間関係でお付き合いできるように。

もし災害と関係のない問題というものがあるならば、その問題意識を住民のみなさん自身に持っていただこう、という第2ステージになっている。毎日現場にいないと分からないことだが、細かくステージは変わっている。目に見える形では現れないが、なんとなく変わっていく。 最近の私たちの統一した意見だが、箱崎はこれからが地元の人たちと本物の人間の付き合いができていくのではないか、お互いに腹を割って話していけるのではないかと思っている。

それにつれてボランティアとはステージも変わってくる。 地元の方も言いたいことを言ってくるかもしれないが、その時に嫌なことを聞いちゃった、見ちゃった、だからもうここからは撤退したい、と言うのではなくて、その状態を全部丸のみした状態で、それは同じ人間なのだから当たり前だと受け止められるような、肝の据わったボランティアがこれからは必要なのではないか。そういうことがあっても、箱崎全体では復旧復興の手助けが必要だから、やらなければいけない。

箱崎は狭いエリアなので、こういった展開をみんなが実感として感じられる。私は箱崎に携わることができて、とても良かったと思う。一緒に頼もしくやってくれている仲間にバトンを渡しながら、箱崎を盛り上げていきたいと思う。

今までも、これからも

年末年始は華々しい行事は一切やらない。いつも通り談話室にいて、談話室に行けばいつでもまごころネットの誰かがいる、という体制を整える。談話室に来れない人のお宅には、いつも通りおしかける。ドアをノックして上り込んで、出張カフェをやる。今までもそうやってきたし、これからも変わらずそれをやっていこうと思う。華々しい行事は必要ないかと思う。地味だがずっと今まで寄り添うという活動をしてきたし、これからも変わらずそれをやっていこうと思う。

(釜石市箱崎地区隊長 船田浩二)


船田さんは「MFA」の代表で登山ガイドです

船田さんのお仕事は登山ガイドですが、6月からは復興作業のために休業されています。船田さんのウェブサイトはこちらをご覧ください。

マウンテニアリング フォー オール(MFA)
代表 船田浩二

マウンテニアリング フォー オール(MFA)は、身体の不自由な方でも参加できる新しいタイプの登山学校です。1994年の創設以来、一貫して障害者登山を支援しています。しかし福祉やボランティアといった考え方で活動しているわけではありません。障害者、健常者の枠にとらわれることなく、人として山と向き合うことを大切にしています。実際、私たちはこれまでの経験から、自然の中で両者を区別することがいかに無意味であるかを学びました。人の都合で自然をとらえることは不可能です。いったん山に入れば、自然が主役です。この動かしがたい法則の中で、私たちはどれだけ自分の可能性を見出すことができるのでしょうか?
MFAがそのお手伝いをいたします。

サイト内の参考記事

2011年10月19日 ガレキの撤去と清掃活動は、被災された方々の心のケア(船田浩二)
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「陸前高田市広田町大野地区のコミュニティ施設設営事業」は 「平成23年度(復興支援)被災者支援拠点づくり活動補助事業」の 助成金の補助をいただいています。