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「ヨーロッパ縦断・徒歩の旅」PART 2 (2014年 6/13〜9/7) 公式通信全記録

2014年9月08日  18時00分

遠野まごころネットのボランティアの草分け・三好惇二さん。東日本大震災の記憶の風化を防ぎ、これまでの国際的な支援に感謝の意を表すため、2012年からヨーロッパを徒歩で縦断する旅をしておられます。挑戦2年目となる2014年の旅を、こちらのサイトでご紹介させていただきます。

三好さんの旗

この旗といっしょに旅をします

Miyoshi plan

予定のコースです。スイス・JTI Foundationの藤牧様からご提供いただきました。ありがとうございます。

1年目の旅の模様はこちらをご覧ください。

 

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 ※以下の公式通信は現地の三好さんから携帯メールでお送りいただいたものです。
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2014年6月14日 13:55受信(日本時間)
(スイス・ジュネーブ
〜ジュネーブ到着〜
公式通信1号:  6/13、13:34ジュネーブ到着トランスファ4時間待ちを含め22時間の長旅でした。昨晩よく寝て今朝は元気いっぱい今朝6/14午前6:30レマン湖畔です。今日午後3:30から日本人学校の中学生向けに震災のお話をします。これは、大槌助け合いセンター建設助成をして下さったJTIの藤牧大輔の紹介によるものです。昨年、校長先生から依頼されていたので約束を果たします。どんな反応があるでしょうか?三好/

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2014年6月15日 3:08受信(日本時間)
(スイス・ジュネーブ
〜日本人学校でのお話、無事終わりました〜
公式通信第2号:  この通信は日本時間の深夜になりますが、電源がある時に送ります。すみません。藤牧さんと待ち合わせて日本人学校へ昨年に続いて2回目の訪問。本日6/14、15:30、20分の予定が30分になりましたが、ジュネーブの日本人学校における中学生向けのお話を無事終わりました竹内校長先生の要望で、震災直後の”日本人のおもいやり”をテーマとして話ました。多田理事長の2011・3・12~3・18の体験、4/21からの私の具体的なボランティア活動の二つを話しました。生徒22人教員4人、校長先生、藤牧さんの28人が聞いて下さいました。予想よりもはるかに良く聞いてくれ、質問も、2人してくれましたその一つが「作業衣に付いたサンマの臭いは、どうして取ったのですか?」というもので、正にピッタリの質問でボランティアの自治活動についての話も出来ました。   いよいよ明日から徒歩の旅を始めます。今年は昨年に比べて明らかに体力の低下を自覚します。楽しく、のんびりと無理の無い歩きを心がけます。昨年同様、毎日ヨーロッパの人々にお礼が言えるとは限りませんので、旅の紀行のような通信も入りますので、あらかじめご了解ください。三好/

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2014年6月16日 0:05受信(日本時間)
(スイス・ジュネーブ → コペ
〜歩き始めました
公式通信第3号:  6/15、8:00ジュネーブを出発。晴れ、気温18℃、風が強いです。右手にレマン湖を望みながら歩きました湖に白波が立っています。ウインドサーフィン、パラセールサーフィン、ヨットが出ています。反応はすこぶる良く、マイカー、自転車、単車と手を振る、クラクション、なかには声までかけてくれました旗と笠の威力をマザマザと感じました。レストランに座っている人々もニッコリ笑っての反応です。今日は足慣らし、16km強、Coppet着、ホテルに入りました三好/

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(今回の写真はスイス・JTI Foundationの藤牧様からご提供いただきました。ありがとうございます)

 

2014年6月17日 18:33受信(日本時間)
(スイス・コペ → ロール
〜早速、良い知らせ
公式通信第4号:  6/16、Rolle町のレマン湖畔のホテルに泊まった所、女主人のJocelyneジョスリンさんが胸のバッジに関心を示されました説明して、私の旅の目的を話すと大いに感心されました。写真を見てくれますか?と言うと、見ると快諾。従業員も呼んでくれ、3人で熱心に見てくれました旗にサインを貰った後、ナント!!ジョスリンさんは、岩手県の沿岸被災者へと100スイスフラン13800円をカンパして下さいました!!ビックリ!!カンパは昨年も含めて初めてです。持って帰りますね。三好/

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2014年6月20日 0:11受信(日本時間)
(スイス・ロール → ローザンヌ → エシャラン → イベルドン
〜又また、良い知らせ
公式通信第5号: まず、Echallens町を出てすぐに車が停まり、写真を撮って良いか?と尋ねられ、OKと答えると車を駐車。カメラを持って来られる。後ろから見て、JAPANとOSLOに目を惹かれたらしい。写真を撮り終わると、まごころネットの旗を指して「何の旗か?」と尋ねられ、待ってました、とばかりに「時間が10分ばかり下さい」「OK」で、写真を広げて説明。きちんと見て下さり、サインを貰った。Annaさん(女性)でした。息子が日本に行ってみたいと言っているそうです。リンゴを差し入れ、嬉しい 続いて、Essertines村で、砂糖を使って作品を作っているGlucoseさんから声が掛かり、そこで働く英語が話せるGrzegさんと写真を撮る。「時間があるか」と尋ねる。これは通じなかった。しかし、写真を取り出すと、見て下さり、さらに、ナント!!又、又50スイスフラン(現在のレートで5900円)を岩手県の被災者へ寄付だ、と差し出される。モウ、なんと言ったら良いのか……!立て続けで感激のしっぱなし。これはエライ事になりそうな予感がしますまだ5日目ですよ!!風景写真は、Essertines村から2km位行った所です。三好/

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2014年6月20日 20:29受信(日本時間)
(スイス・イベルドン → コンシーズ
〜次々と
公式通信第6号: いや、もう嬉しい悲鳴!!Yverdon市を観光していると、24Heures紙の記者Le Bec Erwanさんが取材!!約1時間位話しました。20~30%しか質問はわかりませんでしたがコーヒーをご馳走になりました。続いてGrandson町で東京へ行ったことがあるDenis Vauclairさんから声が掛かり、これ又、40分位話しました。この人のは、ほぼ分かりました。Denisさんの背景はGranson城です。三好/

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(イベルドン訪問中の三好さんのことが、スイスの新聞24HeuresNeue Zurcher Zeitungに掲載されました。情報を提供してくださった奥友久美子様、メルキ能子様、ありがとうございます)

 

2014年6月20日 23:34受信(日本時間)
(スイスコンシーズ
〜いや、全く驚いています!
公式通信第7号: 予想外の反響に、私自身ビックリ3年経っているのですが……三好/

 

2014年6月23日 14:36受信(日本時間)
(スイスコンシーズ → ヌーシャテル → ラ・ヌーヴヴィル
〜昨年と本当に違います
公式通信第8号: 6/21、6/22は土、日とあって2つの湖畔は湖水浴、日光浴の人々で一杯!従って反響も凄い!まず初めはこちらから働きかけたニューシャテル湖畔のAnneさん(母)Nicolas君(中学生)、続いて声を掛けて下さったBieler湖畔のDoganさん、私の英語をフランス語で通訳して下さったBoncourayeさん、あと一人写真は見て下さった方がいました昨日のハイライトはB湖畔の家族とグループの11人、飲み物、食事を進めてくださる、私の話は聞いて下さる、宿泊をアイフォンで探して下さる、感激の嵐!!2人の若い女性が英語をフランス語に通訳してくれました。代表してSuryaさんがメッセージと署名をしてくださいました。旗の効果抜群!まだ、忘れられていません。是非、この事を被災者にお伝え下さい。三好/

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2014年6月25日 16:41受信(日本時間)
(スイスラ・ヌーヴヴィル → ゾロトゥルン
〜続々
公式通信第9号: 6/24Solothurn到着。今日はとても印象深い署名ですよ!ナント、クルド人Mmehmetメーメットさん、互いに全く言葉は通じ無いのに気持ちは分かるんですねー。続いてユースホステルに泊まったのですがドイツ人Rainerさん(写真を保存し損なったようです)、メキシコ人Omar君から貰いました三好/

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2014年6月25日 19:22受信(日本時間)
〜写真を送ります
公式通信第10号: 6/22、Neuchatel市のカテドラル(大寺院)を背景にしたのがありましたので送ります。自分の写真を送るのは余計かなと思っていましたのでおくらなかったのですがNeubhatel湖の美しい風景も送ります三好/

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2014年6月26日 7:38受信(日本時間)
(スイスゾロトゥルン → オエンジンゲン
〜もう、何と言って良いのか
公式通信第11号: 6/25、Oensingenに到着。 Attiswil村で昼食の為、レストランに入りました。多田一彦理事長への私信をメールし終わって、食事をする。ここまでは普通の展開。ただ娘さんの応対がとても親切でした(英語で)。で、お客さんの一人が「日本から来たのか」(プレートを見て)の質問から、がぜん、お客さん5人、レストランの2人を巻き込んで話が大いに盛り上がる。お母さんが子どもを連れて来ていて、子どもに地図を広げて、昨年、今年のコースを説明する。大人もグルッとテーブルを囲んで熱心に聞く。さっきのレストランの娘さんが子どもにドイツ語で通訳、5歳位の子どもさんは、目を丸くして私を見る。お母さんは子どもの為に地図を広げたのが嬉しかったのか?素晴らしい笑顔、大人は皆さん、ニコニコ(Biel/Bieme市以後スイス内のドイツ語圏)当然、私のお店を広げてお礼と署名を頂く。極付けは、食事代を払おうとしたところ、先の娘さんが「貴方にプレゼントする。スイスを歩いて旅をしてくれて嬉しい。しかもオスローまで行くのでしょう。」これに感激しなくて、何に感激しますか?昨年、今年を通じてレストランで差し入れがあったのは初めて!!娘さんはSabrinaさん、お客さんはAllesさん(注・正しくは「Altiswil Skender」さんとのことでした。訂正いたします)です。長距離トラック、マイカー、自転車、街で会う人からの点滅ライト、クラクション、親指の合図、手振り、声掛け、一緒に写真を撮らせてなど、とても多い日でしたもう一枚は今朝のSolothrum市の旧市街地とカテドラルです。三好/

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2014年6月27日 2:50(日本時間)
(スイスオエンジンゲン → オルテン
〜今日は失敗談と良い話
公式通信第12号: 昨日6/25のホテルはバスタブでした(シャワーがほとんど)「しめた!長袖を洗濯しよう」と胸ポケットの中から物を出したら、ナント、ルームキーが出て来ました。「アァー、6/24Solothrumで泊まったユースホステルのキーだ」ガックリ幸い鉄道沿いを歩いていますので、今朝6/26、電車、タクシーを使って戻り、ユースホステルに鍵を戻しました。謝ると”No Problem”と笑顔で挨拶され、ホッ…!娘が教えてくれたのですが、「失敗は笑い飛ばすのが一番!」おかげでスイス国鉄の近郊電車に乗りました自転車が載せられるようになっているのをご覧下さい今日6/26、Oltenに到着。今日は大型長距離トラックの運転士さんからのクラクション、親指、手振りの多い一日でした。勿論、乗用車からも有りました。さすがに、自転車はほとんど走っていませんでした、平日ですから。2組各2人がわざわざ、車を停めて待ってくれていました。背中のプレートを見て、待っていたそうです柳澤さんがおっしゃるようにインターナショナルで、男性2人はトルコ人で、「イスタンブールへ1983年に行った」と話すと大変な盛り上がりでした。短い時間でしたが。もう一組はスイス人の恋人同士、珍しい人が待っていたものです質問して良いか、どうぞ、皆さんに聞いて欲しかった!私の流暢な英語を旅に関する事なら、スラスラと話すことが出来ます  ただ、国道のわずかなスペースに停車しているので、店を広げる事が出来なかったのが残念。車がバンバン通過するので危険でした。Oltenの街に入ると若い男女5人が一緒に写真を撮って良いか、と声が掛かる。よほど笠が珍しいようです写真はトルコの人です。(写真に車が全く写っていませんが偶然です。念の為)今日は旅のお話でした三好

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2014年6月28日 6:25(日本時間)
(スイスオルテン → アーラウ
〜大歓迎
公式通信第13号: 6/27Aarauに到着。午後4時が約束なのでここから列車に乗る。昨年から要請されていたのですが、ジュネーブまでしか到達出来ませんでした。今年、ようやく要請に応える事が出来ました。遠野出身でTMNの支援者である奥友久美子さんが声を掛けて下さってナント!6人も駅に出迎えて下さいました喫茶店で歓迎のお茶会を開いて下さいました旅の話、どのようにスイス人は声を掛けてくるのか、スイス人の反応はどうなのか、2011・8月、2012・3月にチューリッヒで震災支援バザーをしたら、各400万円集まり、日本赤十字に送金した話、スイス人は、日常は質素なのに、自分が納得したらポンと寄付する気質、例えば、千円の品物なのに一万円出して、おつりは寄付する、といった具合です。大変盛り上がり私も来訪して良かった、嬉しかったです。右から、奥友久美子さん、Durrer美和さん、小山千早さん、松原美津紀さん、久富かおりさん、Marki能子さんです2枚目は今日歩いたAare川沿いの風景です。三好/

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2014年6月29日 3:50(日本時間)
(スイスチューリッヒ
〜ビッグニュースですよ!
公式通信第14号: 午前中。昨日も出席された松原美津紀さんが付き添ってサポートして下さいました。チューリッヒ湖畔でフリーマーケットがあり、中に入ると、さっそく幼い頃、日本に住んでいたというスイス人から声が掛かり、写真を見せてサインを貰う「よし、ここだ」横断幕を広げ、写真を並べる。14人の方が見てくれました。ブラジルの女性がサインしてくれました。(全て、松原さんが通訳)タイ人は、レストランを経営している、昼食に招待したいとのこと。残念ながら、午後はすでに約束があったので、丁寧にお断りした。残念そうな表情が印象に残りました。

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松原さんにチューリッヒ駅からOerlikon駅行きに乗せて貰って、午後の行事、メルキ能子さんの日本語学校を訪問。昨日の奥友久美子さんが駅で待っていて下さり、学校まで案内して下さるナント!13人の方が出迎えて下さる。休憩後、約1時間講演。熱心に聞いて下さる。メルキさんがドイツ語で通訳。その後、立食パーティ。内訳はスイス人9人、日本人4人の方々でした日本語学校の生徒さんなので、かなり流暢に話された。和やかな歓談が出来ました教室には、大槌町の被災に負けないぞ、の写真が8枚掲示されています。(TMNの男性宿泊棟に張ってあるのと同じ)今夜は、メルキさんのお宅に泊めて貰っています。写真は記念、通訳するメルキ能子さん、聞いて下さっている皆さん。

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メルキ能子さんの学校では、次の方々が参加されました。メルキ能子さん、夫のUrsさん、愛称Noさん(78歳)、ボッツィーニ直美さん、奥友久美子さん、浩美テスターさん、Estefaniaさん、Yvesさん、 Cedericさん、 Thomasさん、 Silviaさん、 Desyreeさん、 Charizzeさん内田春菜さん、角井資子さんの15人です。なお、寄付が約140スイスフラン(約16520円)が寄せられました。これは、メルキさんがTMNの口座に振り込んで下さいます。署名は、旗の方は埋まり、横断幕にして貰っています。まだ、旅の始まりなのに18組58人、250スイスフランの寄付ですこのチューリッヒの方々のお話では、スイスは規模が小さいがドイツは援助団体の規模が大きいから、署名も寄付ももっと多くなるのでは……、とおっしゃっています。ナンカ、歩くのが、そら恐ろしくなって来ました。高木さんの予測が的中しそうです署名の数からいえば、昨年を越えました。もう帰国しても良いですよね(冗談々)あと100km強でスイスを通過するでしょう。三好/

 

2014年6月30日 19:36(日本時間)
(スイスアーラウ → フリック → シュタイン
〜ライン河に出会いました
公式通信第第15号: たった今、6/30、12:30Steinの町を出たところで待望のライン河に出会いました対岸はドイツです三好/

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2014年7月1日 12:43(日本時間)
(スイスシュタイン → ラインフェルデン
〜お礼と訂正と報告〜
公式通信第第16号: Berlin絆の村瀬さん、ご指摘ありがとうございました。再度、旗を見直しました。6/25のお客さんの名前はAltiswil Skenderさんが正しいようです。旗に書いて貰った後、確認の為、ノートにもスペルを自分で本人に聞きながら書くのですが、それが出来ない場合があります。今後気をつけますが、間違いは是非、ご指摘下さい。人名は間違うとたいへん失礼になると思いますので。          6/30、Frickを出発、Rheinfeldenに到着。pm2:00頃まで雨、気温15℃寒いですライン河に出会ったものだから調子に乗って河沿いを歩いていたら、3kmも行き過ぎ90度南に曲がって本来べき国道に出ました。写真は晴れてからのライン河です。左の遊歩道が、私が歩いて行った道です三好/

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2014年7月2日 7:47(日本時間)
(スイスラインフェルデン → バーゼル 計360km踏破!)
〜またまた、寄付を頂きました
公式通信第17号:  7/1Baselに到着。これでスイスの縦断は終了です16日間360kmを歩きましたBaselに入る直前、Rene Studerルネ シュトデルさんと話しましたイタリア語圏のスイス人とのことです。パンを作る職人さんで、日本人の有名な職人さんに習っているのだそうです。日本語を独学しておられました。署名を貰って別れる時に20フランを被災者にと寄付されました。これでスイスにおける寄付総額は310スイスフラン(36580円)になりました。もう一枚はバーゼルのカテドラルです7/1、7/2と連泊し休憩します。ドイツの地図を入手しなければならないので。部分的にはメルケ能子さんに頂いていますが。三好/

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2014年7月3日 4:27(日本時間)
(スイスバーゼル
〜バーゼルでも
公式通信第18号: メルキ能子さんの紹介でバーゼル近郊にお住まいのコーリックひろ子さんが私の宿舎に訪ねて来て下さり、面会。1時間余り、ビールをご馳走になりながら、お話をしました。時には、涙ぐみながら熱心に聞いて下さいました。署名・写真を頂き、かつ寄付まで頂きました。更に、同じ村に住むChristoph Studingerさんから託された寄付も頂きました。スイスにおける署名は20組60名、寄付総額は、370スイスフラン+1000円(44660円)となりました明日7/3ドイツに向かいます。三好/

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↓5か国目・ドイツの旅スタート!

2014年7月4日 6:03(日本時間)
(スイスバーゼル → ドイツ・クラインケムス 計390.78km踏破!
〜一日目から!!
公式通信第19号: 7/2休憩、7/3ドイツに入り、Kleinkemsに到着。本日30.24km累計390.78kmです。モーテルかな?と思って入ったら会社のオフィスところが受付の女性が「ホテルを探しているのか?」から始まって、「いいから、中に入りなさい」そして別室に連れて行って「この日本人、ポルトガルからオスローまで歩いて旅しているだって、ちょっと検索してあげて」で、若い女性社員がカチァカチァとパソコンを操作。地図までプリンテアウト!!「喉が渇いていないか?」実は快晴32℃の下を歩いていたので喉がカラカラ。冷たい水を持って来て下さる。有り難く頂く。仕切りの無い一室に一人ずつ働いておられたが2人の男性も来られ、計4人の方々が写真を見てくださった署名も頂く。右からBernhard Klauserさん、 Yvonne Walliser(この方が連れて行ってくださった)さん、Martin読めない さん、Marina Scanさん(パソコンを操作)です。Bernhardさんの奥さんは、ポルトガル人だそうだ。「ロカ岬はユーラシア大陸の最西端なんだ」、と他の3人に話された。ことほど左様に話が盛り上がる。「ミヨシ、貴方ここで働いていきなさい」(デスクの下の椅子を出して座ってグラスの水を飲んでいたので)と冗談が出る位。「いや、私は十分働いて来たから、休日を大事に使いたい」「そりゃ、もっともだ」しかし、どう言ったらいいのか、会社の勤務時間中にこれほどの親切さ示し、余裕綽々たる態度に圧倒される。日本の会社でこんな事が出来るのでしょうか?そこから約12km歩いて探して貰ったホテルに泊まっています。しかも、村に入って約1km、歩いていた道の右に見つかるという幸運さ!!ついている時は本当についているもう一枚はスイス・ドイツ・フランス三国の国境標識です。三国の国旗がペイントされているのが分かりますか?三好/

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2014年7月6日 2:57(日本時間)
(ドイツクラインケムス → グリースハイム → ブライザハ 計443.46km踏破!
〜ひたすらライン河分流沿いに歩く
公式通信第20号: 7/4 Grießheimに到着。歩いたのは、28.33kmです。Weil-Marktからライン河は分流しドイツ側は幅50~60mの狭い方のライン川が流れています。川の流れに沿って自転車道があり、ひたすら歩きました声は多く掛かりますが、追い抜くかすれ違いなので、残念ながら店は開けず。結局、分かってはいるのですが、町や村を通過する道でないと、訴えは出来ません。一方、私の望みは可能な限りライン河に沿って歩くことです。しばらく、我が儘をさせて貰います。写真は分流して流れるライン川。

7/5Breisachに到着。今日は24.35km累計443.46kmです。今日もライン河分流沿いに自転車道を北上。11:00~15:30は静かに雨が降っていました。サイクリストが少なく、散歩の人が一人、ランニング一人、と大変静かな1日でした。それでも、自転車5人組が停まって「どこから」に始まってヤリトリはありました。今日はザックカバーをかけていたので、多分、笠を見ての反応でしょう。   ところで地図の話。この3日間ドイツの地図を使っているのですが、ホテルのある町を教えて貰っても地図の中に地名が無いおかしいなぁー」と思って調べるとナント!!30 万分の一でした。バーゼルで購入した時、ドイツが3冊に収まるのか、ちょっと疑問に思ったのですが、昨年使ったミシュランの地図と同じなので、あまり疑うことなく、買ったのが間違いそこでチューリッヒのメルキ能子さんご夫妻から頂いた20万分の一を出して今日から使っていますKarlsrlheまで、これで行きます。大きな街に着いたら買い換えます。メリキ能子さん、ありがとうございました      もう一枚の写真はライン河分流沿いといっても、時には、こんな森の中も歩きます三好/

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2014年7月8日 3:35(日本時間)
(ドイツブライザハ → ザスバッハ・アム・カイザーシュトゥール → ルスト 計490.4km踏破!
〜国際河川ライン河
公式通信第21号: 7/6 Sasbachに到着。今日は21.06kmです。朝Breisachをみながら通過したのですが、見事な城壁都市でした。全く知らないし、全く期待していない時にこういう街にぶっつかると、嬉しくなります。Breisachからライン河は分流が終わり国際河川の様子を見せます。(14;30頃から又、分流)客船、貨物船、クルーザー、モーターボート、水上スキーの往来がバーゼル以後初めて見られましたスイス、ドイツ、フランス、オランダの国旗を船尾に付けて航行しています。  

7/7Rustに到着。今日は25.88km累計490.4kmです。相変わらず、ライン河沿いを歩いていますこの3日間、説明板の河川図、古い写真、模式図等を読むと、この辺り、ライン河は、相当な暴れ河だったようです。事実、町のホテルへ行く為に毎日、ラインの流れを離れ、東(右折)に向い森の中を横断します。すると、沼、幅2~3mの水量豊かな川が何本かぶっつかります。おそらく沼沢地の感じだと思います。町は大体河から1~4km東に南北に連なっています。多分、スイス、ドイツ、フランス各国政府、州政府が河道改修を何十年も続け、今日の直線に近い流れになったと推察します。堤防が出来、それがサイクリングロードになっているのだと思います感心するのは、この5日間約100kmをライン河沿いを歩いたわけですが、ほとんど、ゴミが落ちていないことです。都市部の前後でもそうです。ペットボトル、アルミ缶等0。日本の川とは大変な違いです。もっとも、これだけ、船が航行するのですからビニール袋等が流れていては、スクリューに巻き付いて大変な事になるでしょうから各国政府が国民意識を高める努力をして来たのでしょうね。又、ライン本流も、沼、細流も水が澄んでいて底が見える。魚も見える。本流の中心部はどうか分かりませんが)歩いていて、実に気持ち良い。標識を見ると、どうも自然保護区になっているようです。白鳥、鷺、鴨27種類、魚17種類、ウナギ、ナマズ(この二種類は、顔が日本のものと同じ)が生息しているようです。白鳥が普通に数多く泳いでいるのが私には、新鮮!全く飽きないライン河沿いの道です三好/

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2014年7月9日 7:46(日本時間)
(ドイツルスト → ノイリート−イヘンハイム 計517.5km踏破!
〜今日はクイズです
公式通信第22号: 7/8、Neuried-Ichenheimへ到着しました。今日は27.14km歩きました一日中静かな雨。一日中降ったのは初めて。昨日、Rustへ行くのにライン河沿いにこだわった為に自転車道の案内標識を無視。更に河沿いに進んだら、”2km行くとこの道は行き止まり。サイクリストは注意!!”の表示板が出る。イヤな予感がする。というのは、ライン河沿いから右折して(東に進む)歩けば運河に突き当たる。この事は地図上既に知っていた。しかし、右折せざるを得ない。森の中に入り、細流を横切り沼を見る。かなり美しい。で此処までは良かった。運河にぶっつかる。「ヤッパリナァー」橋が無い進むべき北方を見る。カーブしていて見通せない。南方を見る。真っ直ぐな流れが見える。さて、右か左か?視野の片隅にうっすらと小さななものが左から右に移動する。南方を再度見る。はるか彼方に橋らしきもの。しばらく待つ。すると、又右から左にちっちゃい々ものが移動する。「多分、あれは橋だろう。動いたのは車に違いない」「北に進んで橋がなかったら万事休す。時刻は14:20、仕方ない、南に行こう(ということは、来た方向に逆戻りする事になる)」で、運河沿いに堤防を歩く。「水道橋かもしれないなぁ…」15分位歩くと、どうやら橋とハッキリ分かって来た。結局4.5km1時間半が無駄になる。なんの事はない、自転車道の標識が示した道に出て来たのだ!今日は、おとなしく自転車道に従って各村を繋ぐ道を歩く。各村の案内地図を見ると、想像したように、この付近は細流が入り混じり、沼が点在し、沼沢地の感じ。自転車道の標識は北、東、南のみ。西には一回も出ず。つまり、ライン河沿いの道は無いということだ。実際、村の案内地図は、ライン河沿いの道は一つも示していない。一回だけライン河沿いに点線路の表示が有ったが雨は降っているし、冒険は止めよう。今日はおとなしく自転車道を歩く、といった次第で6つの村を通過。しかし、全くライン河と縁が切れたわけではない。南南東から流れて来たElz川沿いの道であった。この川はライン河に注ぐ、支流だ。今日は特に無いので、皆さんにクイズ。さて、次の写真は何を示す標識でしょうか?一番左の+の印です。5は多分、時速5kmで、人の形は水上スキー可だろうと思います。Hの方は、道路沿いにあります。答えは次の公式通信で三好/

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2014年7月10日 21:07(日本時間)
(ドイツノイリート−イヘンハイム → フランス・ストラスブール 計544.5km踏破!
〜さすが、歴史のある街!!
公式通信第23号: 7/9一日中雨気温15℃寒いStrasbourgに到着。今日は26.95kmです今回の旅で唯一立ち寄るフランスの街です。歴史上、独仏が戦争の度に勝った方が領有した街です。現在はフランス領ですが、ドイツの地図にも大きく太字で書いてある街です。22号のクイズの答です+は、ライン河には、100m単位で白い角柱に黒字で1、2、3、4…とうって、立っています。1kmになると例えば191kmと大きな標識が河に向いて立っています。+の標識は500mの標識ですつまり191.5kmを示しています何故こういう表記をするのでしょうね?改めて正面の写真を送ります。なをどこを起点にした距離表記なのか地元の人も知らない。ロッテルダムに向けての距離なのは確かです。北上するほど増えるからです。源流からなら短く、バーゼルからなら長過ぎるのです。二つ目のHはバスの停留所でした写真はストラスブールのカテドラルです三好/

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2014年7月12日 4:42(日本時間)
フランス・ストラスブール → ドイツ・フライステット  計574.37km踏破!
旧東ドイツの人と出会いました
公式通信第24号: 歩くのを再開、7/11Freistettに到着。今日は29.88kmでした。累計574.37km。相変わらずライン河沿いを歩いています少しずつ、水草の繁茂が著しく、そこに木切れなどが引っかかり、やや、汚れが見られるようになりました。水草が繁茂するという事は水が富栄養化していることを示しており、船の航行には悪いでしょうね。各国政府としては、頭が痛いと思います。今日は珍しく、サイクリスト2人が休憩しているのに出会い、私も昼食を取ることにしました。もちろん、うまく行けば……という願いもあったのです…で、大当たりRalfさんが英語を話せたので、友人にドイツ語で通訳。私の旅の目的を話しました。旧東ドイツのAltenburgに住んでいて、そこを出発、ロッテルダムを目指している。出来れば、あと2週間で行きたい。自分は32歳、友人は34歳、自分が10歳頃までは国外に出られなかった。統一してドイツになって良かった。あんたの歩いてオスローまで行くナンテ、素晴らしい旅だ!!とまぁ、話が弾んで、私はサクランボを出し、二人はチョコレート菓子を出して交歓ドイツも第二次世界大戦後は多くの国が援助してくれた。困った時は、助けあって当たり前。テレビで見たよ。つなみの映像。このような写真を見ると、第二次世界大戦でドイツが空襲を受けたのとよく似ている、など話された。左がRalf Biewaldさん、右がTuio Pluischさんです。三好/

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2014年7月14日 16:36(日本時間)
ドイツ・フライステット → ヒューゲルスハイム → シュタインマウアーン 計618.63km踏破!
〜ハプニング!!そして感動
公式通信第25号: 7/12Hügelsheimに到着。今日は24.67kmです。さて、今夜の宿を探そうとして、アイスクリーム屋さんのバンの前に立っていた男性に聞くと、私は英語は少しだけだ、彼女に聞いたら、で彼女が対応。そこから、始まる小さな物語。写真を見せ、署名を貰い宿も教えて貰った。アイスクリーム屋のオヤジさんも写真には入ってくれる。(署名はして貰えなかった)彼女が言う「ところで、私はBaden-Badenに住んでいるが行く予定があるか?無いのか、それなら、一緒に行こう。明日、ここまで私の車で送ってあげるから。Baden-Badenは、そりゃ美しい街だから、是非見てほしい。せめて、コーヒーでもご馳走したい。」そこへ、男性の友達の別の女性がクローバーを摘みに行っていて、帰って来られた。で、その女性が二人から話を聞いて、私に取材し始めた。新聞か雑誌の記者かな、と思って尋ねて見ると「ゆくゆくは、植物や紀行に関するものを書いて本を出したい。今は自分のHPに小さな物語を書いてupしている。今日は、貴方の小さい物語を書くつもりだ。」て゛、写真を10枚近く撮る。署名もして貰う。ところが、ウッカリしてこの3人目の女性の写真を撮り忘れた一段落すると男性、最初の女性、後から来た女性の3人で、私の宿の相談を始められた。最初の女性が通訳してくれた。で、相談がまとまって「ユースホステルで良いか?素晴らしい環境にあるのだが」「いやぁー、嬉しい!一番泊まりたい所だ」。男性は、Dragan Gaiskiさん(30代後半か40歳代前半)、最初の女性がBabara Jedrzejczak(20歳代、ポーランド人)後から来た女性がInes Evalonja Donathさん(多分30代後半)です。さて、移動する段になって、BabaraさんがDraganさんの車に自転車を積み、私のザックも載せる。私はEvalonjaさんの車に乗りなさい、となった。道々、Evalonjaさんの話を聞くと、EvalonjaさんとDraganさんは知り合いだがBabaraさんは今日初めてライン河畔で会ったばかりだという。こうなったら、成り行きに任せよう。信頼出来そうな人達だからBaden-Badenに向かう。向かうに従って緑が濃くなる。ドイツで、最も有名な「黒い森」の中にある町に近づくのだから当然だ。YHに到着。手続きを済ませて、部屋に荷物を置くと待たせている3人の所へ引き返す。すると、一人分の夕食がテーブルに置いてある。「貴方の夕食だ」「えっ!?」夕食の時間帯は過ぎていたのにYHに掛け合って「この人は、歩いてオスローまで旅しているんだ。夕食を出してあげて」、となったようだ。Evalonjaさんも私に付き合ってスパゲッティを取り寄せ一緒に食事をする。YHの人にウィンクしたら出て来たので、そこら辺りはどうも阿吽の呼吸のようである。YHは宿泊客以外に食事を出すことは無い。夕食代も3人で払ってくれたようだ。食事が終わると、Evalonjaさんは帰宅。初めて会った同士の3人で街へ繰り出す。街の見所を2人が次々と案内して下さる。「是非見てほしい」、と言われただけのことはある。まず、緑の中にスッポリと街が入っている感じ。静かである。温泉の街なので、有名な浴場を見せて貰ったが豪華絢爛。街の中心のレストラン通りの灯りが美しい。最後に2人から飲み物をご馳走になる。Babjraさんはルフトハンザ航空のCAだそうだ。
7/13、Steinmauernに到着。今日は19.95km、累計618.63kmです。約束通り、9:30Babaraさんが車で来られ、昨日の河畔まで送って下さる。途中、まず、スイスの新聞記事を見せて下さる。次いでEvalonjaさんが書いた記事を見せて貰った。ジュース1l、熊のマスコット、菓子を差し入れ。有り難く頂く。河畔に着いて、いよいよ別れる段になって、両方共、少し涙ぐむ。外国の旅においてこれほどの親切を与えて下さった、これが泣かずにおられようか。車道と河の堤防が平行になっている。Babarさんが窓を開けて手を振る”See.you.Good.Luck””See.you”と、こちらも手を振る。全くドラマですねぇ~。午前中はライン河沿い、午後は沼沢地に入るので内陸部の自転車道を歩く。一度通り過ぎた夫婦が戻って来られた。ドイツ語のみ。身振りで「どの国から来たのか、どこへ行くのか」という質問は分かる。英語で答えるがどうも通じていない感じ。そこへ、ランニングの主婦と自転車の主人が通りかかる。最初の夫婦が何かを言った。すると、主婦が先に行っていた主人に「お父さん、英語、英語だってさ」主人が戻って来、そこに後から夫婦のおばあちゃんも来て、計5人になる。主人の通訳で話が始まる。もう、歩いてオセローまで行くことに5人とも、口をアングリ自転車道だが、店を広げる。熱心に見て下さる。そして、極めつけは、最初の夫婦が10ユーロ、ドイツのおばあちゃんが、を開けて日本のおじいちゃんに5ユーロを寄付岩手県の被災者に少しだけど寄付するとの事。泣けて来る。この優しさ、この思いやり。民族を越えて共感して下さるこのこころ写真1:左Draganさん、真ん中Babaraさん、右アイスクリーム屋のおやじさん。2枚目左からHelga Hereilingさん、Hans Kraftさん、Widigor一家の通訳して下さった夫、妻、おばあちゃん(私と同年齢)です。三好/

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2014年7月15日 8:24(日本時間)
ドイツ・シュタインマウアーン → カールスルーエ 計649.65km踏破!
〜1ヵ月経ちました。
公式通信第26号: 7/14Karlsruchに到着。今日は31.02km。累計649.65kmです。メルキ能子さんから頂いた地図は今日が最終日です。メルキさん、ありがとうございました。本当に助かりました。歩き始めて1ヶ月経ちました。7/14、15、16と連泊し、休憩します。地図を入手する必要がありますし。ドイツに入って12日間のうち、終日雨1日、午前中雨1日、にわか雨4日。このにわか雨がクセモノで、日本のようにある時間降ったら、その後は降らない、といかないのです降り始めた、雨具をつける。30分もしない内に晴れる。当然、雨具を脱ぐ。1時間もしない内に又降る。曇りなら用心して脱がないのに。なんと、これを4回繰り返した日がありました。さすがにゲンナリします 
クイズ2:日本の読者の方々に、このマークは何でしょう?三好/

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2014年7月16日 15:50(日本時間)
ドイツ・カールスルーエ 休息中!
署名をいただきました
公式通信第27号: 7/15、16とYHに泊まっています。スイス人Daniel Fermaud(61歳)と同室。親しくなったところで、やおら話を持ち出し、署名を頂きました今日は少し市内観光します三好/

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2014年7月17日 2:17(日本時間)
ドイツ・カールスルーエ 休息中!
〜中国の人も署名してくれました
公式通信第28号: 昨日7/15の夕食で同席した中国の先生と英語で話すことになりました一昨日7/14カールスルーエを私が歩いているのをいるのを見たのだそうです。それで同席したとのこと。「日本語を2年間学んだが、結局話す機会が無く、忘れてしまった。言語は使わないと話すことは出来ない。」相槌を打つ。今日7/16市内観光から帰って来て洗濯をしていたら、「ミルクを買いに行くが散歩しないか」とのお誘い。願ってもない機会。「生徒を引率。ドイツ語研修3週間、残り1週間はフランス、オランダともう一カ国観光する」のだそうです。「中国は、貴方が来た1983年頃と違って、高層ビルが建ち並ぶ街になってしまった。人々は田舎よりも都会に住みたがる。ドイツの人は違う。田舎に住むことを好んでいる。ドイツはカール・マルクスを生んだ国で、中国はマルクスが立てた社会主義の思想で国が運営されている。今、中国政府と日本政府は、仲が悪いが、普通の人は、私と貴方のように仲良くしているし、仲良くしたい。貴方は、子供は何人いるのか?何故、奥さんと一緒でないのか?」「子どもは2人。30歳の息子と27歳の娘の2人。妻は長い飛行を好まない。香港、カンボジアへは、娘と二人で行っている。1ヶ月もヨーロッパに滞在するとは、富裕層の子ども達なんですね。貴方の子どもは何人?」「そうです。富裕層の家庭です。私の子どもは16歳の娘が一人だけです。政府の政策で一人しか許されなかったから。日本国のパスポートは中国のよりも良い。日本のパスポートはどこの国でも行ける。中国のは、行ける国が限定されている」「ということは、中国政府は、中国の人々がどこの国でも行くことを嫌がっているのか?」「そうだ」「YHに帰ったら私の持って来た写真を見て貰えるか?」「良いですよ」となって、見て貰う。署名も恐る恐る申し出たら、心良くして下さった。中国の方が署名して下さった事に意義があると思います。

写真は今日7/16に市内観光をしていて見たカールスルーエのカテドラルです。初日に「古くて大きい代表的な教会を教えて」と頼んだのですが、旨く通じなかったようで、今日行って見ると小さいし、新しいように感じたので、自分で探して見ました。St.Bemhart教会です。

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2014年7月19日 5:19(日本時間)
ドイツ・カールスルーエ → リュルツハイム 計684.24km踏破!
いや〜、もう何と言ったらいいのか……!?
公式通信第29号: まず、20万分の1地図、カールスルーヘで入手しました7/17、Rulzheimに到着。今日は34.59kmでした。第一話、それは沼沢地に入った事から始まりました。案の上、道は行き止まり細い踏み跡が西に続いているのみ。そこへ、来る途中、道を尋ねた夫婦が来られました。(奥さんは英語が話せた)「貴方がライン河に行かれるように道を探すのを手伝う」すれ違ったわけだから、わざわざ、私を追いかけて来られたことになる。そこへサイクリストが通りかかる。ドイツ語で盛んにヤリトリ。「この人は英語が話せるそうだから直接聞いて」「ここは、沼沢地で大きな沼です。先に行っても橋がない。2km位引き返し、自転車のマークに従って大きく迂回し、進めばライン河に出会う」そこで夫婦と引き返す。道々、話す。夫が72歳、妻が75歳。「いや、とても、そうは見えない。ご主人の方が年上に見える」すると、軽くヒザを曲げて、スカートの裾をつまみ、貴婦人の礼式で「ありがとう」道端の花の名前を教えてもらいながら歩く。花の名前は、ご主人の方が詳しい、とのこと。やがて、夫婦の車が停まっている場所に来た。どうしたと思います?そうです当然ですよね旅の目的を話し、写真を見て貰いました。奥さんは、ナイーブな人のようで、津波直後の写真は息を飲んで見つめられました。そこへ、地元の主婦が通りかかり、奥さんと主婦が話し始め、主婦にも見て貰う。最後にダメ押し、そうです夫婦が20ユーロ、主婦が10ユーロ岩手県の被災者に寄付するとのこと。

第二話、陽も暮れかかった19:20頃、Hordtの町を通過していた。老婦人から声が掛かる。「コーヒーをご馳走したい。どう?」実は、次の町にホテルがあり、焦っていたが、思い直し、好意を受ける。若い女性も手招きしている。入った所が美容院。ウン?あとで分かるが老婦人と美容院の経営者と友達だった。冷たいおしぼり、ケーキ、コーヒー、サクランボ、リンゴ、菓子と出される。もう感激の極み…。そこで、またまた、説明。若い女性は、美容院の経営者の娘さんで英語が話せた。通訳して貰って、話は進む。さて、これでおしまいか?さにあらず。

第三話、ホテルのあるRulzheim町に来たのが21:05、遅すぎて、一つは宿泊拒否、一つは満室。ままよ、テンを張ろうと歩き始めたら、なんと美容院の女主人(経営者)が車から声を掛けて来られた。以下、ドイツ語と英語の会話しかし、互いに大事な所は互いに分かるんですよねぇー、不思議と「宿は見つかったか?」「まだ。一つは断られた、一つは満室。」「一緒に探してあげる。私はこの町に住んでいる。車に乗りなさい」遠慮なく乗せて貰う。2つ当たって貰ったが無し。三つ目は、なんか特別な設備らしい、だが電話したが留守。「貴方のご親切、ありがとうございます。町を出て、適当な所にテントを張ります」「そうか!キャンピングサイトでもいいのか、じぁー、そこに行こう。」めでたくCSに着く。21:50、当然、受付は閉まっている。通りがかったキャンパーに女主人が何か頼む。相手がCSの連絡先に電話する。応答なく、キャンパーが別の男性キャンパーを連れて来た。この人は英語が話せた。「とりあえず、あの草地にテントを張りなさい。明朝、オフィスが開いたら、事情を説明して料金を払ったらいい」ようやく話が決まるこの間、女主人は、一貫して他のドイツ人に働きかけてくださる。22:10、女主人は「気をつけて旅をしなさい」と言い残して帰られる。約1時間、私の為に走り回って、頼んでくれたのだ。全く、もう泣けて来る。

写真は一枚目右から、奥さんのBarbel Adamさん、地元の主婦の Ursel Baschさん、ご主人のWerner Adamさん。二枚目は右が呼び止めてくれたThea.Geigerさん、左が美容院の経営者の娘さんのMichaelaさん。三好/

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2014年7月19日 16:05(日本時間)
ドイツ・リュルツハイム → ゲルマースハイム 計702.56km踏破!
〜トルコの人、原発を語る。
公式通信第29号続き: 7/18、Germershimに到着。言い忘れましたが7/17にフェリーでライン河を渡り、左岸を歩いています。今日は、18、32km。累計702、56km。2日続きのピーカンで32℃。農民の方が車で追いかけて来て、水1lの差し入れ有り難く頂く。町に入る直前、ライン河畔のベンチに座っていた男性が手招き。隣に座ると「日本から来たのか?」の質問から始まり。Karsligil Sayrmさん、男性54歳でした。トルコ、ドイツ、イタリア、ウクライナ、ユーゴスラビア、英語の6ヶ国語を話せる人でした。ドイツに来て9年目。アンカラに住んでいた、とのこと。例によって、写真を見せる。大槌の写真を見た段階で、次のは、もういい。思い出してツライと言われる。どうやら、つらい思い出があるらしい。話が進むと、原発のことを盛んに話される。米、仏、英、日などは金儲けの為に原発をやっている。あのチェルノブイリを見よ、そして、福島の原発爆発。しかし、あまりこのことを話すと政府、警察がうるさい。実は、Karsligilさん、喉頭ガンで手術をして声帯が十分機能していない。時々、英単語が出るがほとんど身振り手振り。しかし、よく分かる。推測ですが、原発労働者だったのではないでしょうか?彼が言いたいことを代弁すると、私の肩を叩いて「そうだ」、と嬉しそうな表情を示される。貴重な話でした。三好/

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2014年7月21日 6:00(日本時間)
ドイツ・ゲルマースハイム → シュパイヤー → ハイデルベルク 計759.44km踏破!
〜日独親善に尽くしています
公式通信第30号: 7/19、Speyerに到着。ピーカンで気温32℃。暑かったぁ~水を2.5l飲みました今日はひたすら歩きました25.92kmです。7/20、ライン河を渡って、再び左岸に移りHeidelbergに到着今日は30.96kmで累計759.44kmです。降ったり止んだり。言い忘れたかもしれませんが、カールスルーヘ以北は両岸ともドイツ領(カールスルーヘ以北は、オランダ国境まで文字通りドイツのライン河)なので、ケルンまで、しばしば左岸、右岸を往来しますこれは、ライン河沿いに歩く為に、沼沢地を避けなければならないのと、観光船に乗る為、宿泊の関係です。今日は、西から東に横断する感じでひたすら歩きました昨日、今日と自転車道をほとんど歩いているのでサイクリストからの声掛けが多いです写真を撮っていいか、というリクェストも3回日独親善に尽くしています写真は7/19のもので沼沢地の例です。カヌイストの話に依ると、丁度私が雨に降られた6日間、スイス側(上流部)で相当な降雨が有り、ライン河が増水し、こういう沼沢地も水位が上がっているのだそうです。カヌーには最適なんだそうですそう言えば、沼沢地の大きい木の幹が地面から30~40cmの高さまで水に浸かっていました。つまり、池、沼、沼沢地は現在もライン河に繋がっているということです三好/

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2014年7月23日 5:31(日本時間)
ドイツ・ハイデルベルク → マンハイム 計787.68km踏破!
〜どこまで、行くのでしょうか?
公式通信第31号: 7/21、天気予報は雨。実際、午前4時頃、どしゃ降り。急遽、連泊に切り替える。午前10:40~正午過ぎまで、どしゃ降り午後2:00頃まで降る。良かったぁ~、連泊にして。普通の雨なら歩きますが、さすがに、どしゃ降りは勘弁してほしい

7/22、Mannheimに到着今日は28.24km、累計787.68kmです。マンハイム手前5km地点でCSの喫茶店で休憩、冷たい飲み物を飲みました大きい黒い犬がおり、初めて見る犬なので、そこから話は始まりますCSと喫茶店の経営者家族とその知人の家族と経営者の友人計6人と交流。妹が翻訳機能を使って日本語を数回示してくれました。5人は英語を話せたので、かなり私の意図は伝わったと思います右から主人のRolf Koller さん、姉のLiso Kollerさん、 妹のRene.Kollerさん、別の家族のお母さん Juge Saueさん、息子の Marco Saueさん、主人の友人 Klava Vellerさんです。(お母さんのJugeさんは、私を撮っていたので写っていません)飲み物の支払いをしようとしたら「俺からのおごりだ」、とおっしゃる。またまた感激さらに1 時間後Christinaさんが声を掛けて下さり、大変よく分かる英語で話が弾み、自転車道のベンチで見て貰いましたChristinaさんは、後ろ姿を見て話をしたかったが用事に行く途中で通り過ぎたが、今、帰り道で再び貴方に出会ったので声を掛けた、との事。嬉しいですね~65歳、日本はまだ行った事はないが、インドネシア、セイロンに行った。しかし、貴方、よくも、まぁ、2回に分けてとはいえ、ポルトガルからノルウェ-まで歩きますね~。おいくつですか?71歳!!50歳代かと思いました。(ここで笠を脱いで白髪を見せると納得されました)別れる時、またまた感激少ないけど岩手県の被災者に寄付します、と10ユーロを差し出して下さいました。高木さんの予測、チューリッヒの日本人の方々がおっしゃった事が事実になりそうな気配です寄付総額は350スイスフラン+1000円+65ユーロ(言い忘れていたかもしれませんが、カールスルーヘで通行人の夫婦の方が10ユーロ寄付されましたので)全く予想外の展開です三好/

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2014年7月25日 17:56(日本時間)
ドイツ・マンハイム → ヴォルムス → ハム 計842.51km・総距離数3100.31km踏破!
〜歩いたなぁ〜
公式通信第32号: 7/23、Wormsに到着(ライン河左岸)。今日は31.43kmでした。気温30℃、但し風は涼しい。マンハイム(右岸)と隣のLudwigshafen(左岸)が大きい街で分かりにくい道でしただいぶ無駄な距離を歩いた気がします。沼沢地を縫う県道(地図上の黄色道)と自転車道で左右に池、沼が点在し、一度だけ本流をさかのぼる貨物船がチラッと見えました。

7/24、Hamm(ライン河左岸)に到着今日は23.4km累計842.51km歩いた総距離3100.31kmです。ジュネーブの藤牧さんからメールで、「私と周りの人々でHPを追い掛けて、見ていますが、ジュネーブからの距離数になっていて、今年から見ている人にはも一つ……」というご意見を頂きました。それで今日から総距離数(昨年歩いた距離+今年の歩いた距離。)ちなみに今日の踏破距離で2008年佐多岬から日本海沿いに宗谷岬まで歩いた距離3111kmとほぼ同じ距離になりました。(ポルトガル・ロカ岬~ドイツ・Hamm間がほぼ同じ距離ということになりますライン河は写真のように、一段と増水しています。一枚目のは、パソコンの大きい画面で見れば、ベンチの脚が水に浸かっているのが分かると思います。三好/

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2014年7月27日 3:15(日本時間)
ドイツ・ハム → オッペンハイム → マインツ 計893.79km・総距離数3151.79km踏破!
〜1.5日に1回、写真を見せて、署名を貰っている事になります。
公式通信第33号: 7/25、Oppenheimに到着。今日は30.0km、累計872.51kmです。左岸は、地図上は沼沢地があるのですが、再びライン河畔に沿い歩けるようになりました。時々、独立した池、沼、小さな湖の感じの所の側を歩きますが、これ全てライン河の湾入です  Oppenheimに入る手前の小集落で声が掛かりました。Manfred Scarbataさんです。北ドイツのWolfsburg在住(ハンブルグとベルリンの間)との事。「今は、旅先だが、北ドイツに来たら、私の家に泊まりに来ないか。あんたの旅にいたく感じいった」とのご招待。コース予定図を見せて、「せっかくのご招待だが、受けられない。貴方のご好意には感謝します」、と言ってお断りをする。地図を見て納得されたようだ。残念そうな表情をされた。この後は、例によって例のごとく。真剣な表情で写真を見て下さいました。      

7/26、Mainzに到着。今日は、21.28kmでした。総距離3151.79km今年の累計893.79kmです今日もライン河畔沿いに歩きました。往来する船舶の数が格段に増えました。左岸を歩いていますが、丘陵地になり、遠く下流方向を見るとまるで崖状に見えます。右岸はまだ、平らなようですが、並木が続いて、見えません。左岸の丘陵地の斜面は見事なブドウ畑、計って見ると幹は直径5~6cmでしたワイン 作りの原料になるのでしょう。ワイン生産を示す看板が多く出始めました。ワインが好きな方には、たまらない風景でしょうが、私には、「ネコに小判」の風景ですしかし、ブドウ畑は美しい!三好/

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Miyoshi, latest

ここまでの足取りです。スイス・JTI Foundationの藤牧様からご提供いただきました。ありがとうございます。

 

2014年7月28日 23:57(日本時間)
ドイツ・マインツ → バッハラッハ 計900.64km・総距離数3158.64km踏破!
〜これぞライン河!!

公式通信第34号: 今日7/27は、Mainz滞在。但し、明日のことを考えてYHからライン下りの客船の乗り場まで4.1kmを歩いておきました累計は、897.89kmです。マインツは、ドイツの三大聖堂の一つと言われる大聖堂があります。偶然、日曜ミサの始まる11:30少し前にはいりましたので、信者でもないのに30分、聞いていました多分、CDだと思いますが開会の宗教音楽、「荘厳」の言葉がピッタリ!!初めて聞きましたが、圧倒的迫力!!  ミサは撮影禁止なので、せめてカテドラルの外観だけでも。

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7/28、Bacharachに到着今日は2.75kmです。累計900.64km総距離3158.64kmです。ライン河に来て、ライン下りをしないわけにはいきません。歩く旅とはいえ、これはHPの読者にも納得して貰えると思いますそこで、バッハラッハのYHに泊まる為に(古城のシュタールエック城にYHがあるので)マインツ~コブレンツ間を乗船することにし、今日、半分を終わった所です。標高150m位の丘の上に建っていますから眺めは抜群。私の旅のハイライトの一つです三好/

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2014年7月31日 5:47(日本時間)
ドイツ・バッハラッハ → コブレンツ → ノイエンドルフ → アンダーナッハ 計932.4km・総距離数3209.31km踏破!
〜これぞ、歩く旅の醍醐味

公式通信第35号: 7/29、Neuendorf(Koblenzの北の郊外)に到着今日は、8.85kmで累計909.49km(+船旅95km)です。コブレンツに13:10着。楽しい船旅は終わりました。コブレンツは、ライン河とモーゼル川の合流点、メッテルニヒの生家(オーストリア帝国の宰相、ナポレオン没落後の欧州再編成のウィーン会議を主催。「会議は踊る」の言葉を残した。なかなか、国境、領土がきまらなかった、事を皮肉った言葉)、聖母教会の三つを見学して通過。但し、ものすごい雷雨で1時間半位雨宿り再び、ライン河沿いに歩いていたら、声が掛かりました。齋藤晃義さん26歳です。今日、私は”負けないぞ、岩手”のTシャツを着ていましたので、齋藤さんの目に留まり、こうなった次第。コブレンツは日本人は非常に少ないそうで、とても懐かしく感じたんだそうです。ドイツに来て2年目とのこと。プロのサッカー選手でコブレンツにあるチームに所属。レギュラーの選手です。この後はいつもの通り。質問が出て「海外にいると日本の事がよく分からないのですが、福島の原発はどうなりましたか?(ドイツの前はオーストラリアに在住)」で私の知っている範囲で答えました。撮影が終わり、お礼を言って一旦、別れました。で、歩き始めて10分位すると、向こうから両手を振りながら、若い女性と近付いてくる。よくよく見るとさっき別れたばかりの齋藤さんではないか!!「この女性、僕の彼女なんです。三好さんの話を聞いて、凄く僕のテンションが上がって、彼女にも、是非、写真を見て欲しかったので、連れて来たのです」嬉しいですねぇー!でライン河畔のベンチに行って、2回目の説明。Fiona Mullerさんでした。日本語専門学校に2年、日本語研修の為に1ヶ月来日実にプロナウンス、アクセントが良い日本語を話す女性でした。終わって、「お茶でも、飲んで行きませんか?」「いいですよ。今日はあとホテルかCSを見つけて泊まるだけですから」「CSなら、すぐそこにあります。ホテルは、と……、いっそのこと、僕の所に泊まっていきませんか?」「いや、彼女がいるのに、遠慮します」ところが、二人で「遠慮しなくていい」と勧めて下さったので、泊めて貰うことにする。Fionaさんが手料理でドイツの肉料理を作って下さった。これが実に美味しかった。肉もさることながら、ソースが美味しかった!!!

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 7/30、Andernachに到着今日は、22.91kmで総距離は3209.31kmです。昨年実績は2254kmでしたので訂正します。今年932.4km(+船旅95km)です。雨具を脱いでいたら声が掛かりました。珍しくすれ違う夫婦のサイクリストでした。今までの例では、追い抜く方がほとんどだったのですがまずは、旅の話から。「よう、まぁ、歩いてオスローまでいくねぇー」「脚は大丈夫なのか?」たまたま、ベンチがあり、町内の通りで広かったので「時間がありますか?15分位貰えますか?」OKと言われたので、旅の趣旨から説明し、写真を見て貰う。「福島はどうなっているのか?どの位の距離まで避難しているのか?持参した新聞の原発を中心にした同心円の距離の記事を見せて説明。フランスの方だが、大変、原発で避難された人々に共感された。フランスは原発大国だが、個人の意見は、また、違うらしい。別れるに当たって「少ないが、被災者に寄付する」、と5ユーロを出された。ありがたく受け取る。「帰国したら、岩手県の被災者に必ず渡します」夫のYvonさんと妻のChristinaさんです。三好/

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2014年8月2日 4:44(日本時間)
ドイツ・アンダーナッハ → レマーゲン-ローラントシェック → ボン 計985.37km・総距離数3239.37km踏破!
〜レマゲン鉄橋とベートベンの生家。

公式通信第36号: 7/31Remagen-Rolandseckに到着。今日は32.63kmで累計965.03km(+船旅95km)です。久しぶりの快晴、こうなると、気温は25℃、風は涼しいし、快適に歩きましたなかなか、外国映画の現場には立てないものですが、1970年代に米映画「レマゲン鉄橋」を見ているのですが、その現場に来ました。第二次世界大戦の1945年5月7日、ベルリンに迫るアイゼンハウワー将軍指揮するアメリカ軍がなんとか水の中にはいらずにライン河を渡りたいと考え、目をつけたのが、この「レマゲン鉄橋」だったのです。ドイツ軍との間に激戦が展開します。現在、両岸の橋の塔のみ残っていて、EU旗、ドイツ国旗、アメリカ国旗が翻っていました。左岸の塔の中が戦争記念館になっていましたので、見学しました。写真を見ると、映画がけっして誇張ではないことが分かりました。激戦だったようです。現在、橋はかかっていません。写真は、左岸の橋の塔の銃眼から対岸(右岸)の橋塔を見ているのですが。また、山の上に両軍の戦死者を慰霊する大きな十字架が立っているのが分かるでしょうか?パソコンの大きな画面なら見えるでしょう。  

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8/1、Bonnに到着。今日は、20.34kmで、総距離は3239.37km、今年は985.37km(+船旅95km)です。ボンは、旧西ドイツの1949~1999年までの首都でした。森の中に街が有る感じで、ライン河畔は勿論、中心街に入っても街路樹が多いです。作曲家ベートベンの生まれた街で、生家が有志の方々のおかげで保存されております。オランダ・アムステルダムのアンネ・フランクの隠れ家と同様、さすがに、民族を越えて、見学者が訪れていました。ベートベン自筆の楽譜、手紙も展示されていました勿論、彼が作曲した曲も小さい音で流れていました写真は、ベートベンの生家の正面です。真ん中の赤っぼい壁の家。      明日8/2、ベルリンに行きます。絆・ベルリンの方々、多田一彦共同代表、細川さんに面会する為です。多分、8/4から歩く旅を再開します。三好/

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 2014年8月4日 6:19(日本時間)
ドイツ・ベルリン訪問中
〜歓迎レセプション

公式通信第37号: 今日8/2にベルリンに到着。多田共同代表、山田頼子が駅まで出迎えて下さいました細川さん、高校生派遣団と合流。pm6:30から絆・ベルリン主催の歓迎レセプションが絆・ベルリン会長福澤啓臣さん宅の広い庭で開かれました。絆・ベルリン及び関連団体の女性の方々が大奮闘され、料理を作って下さいました高校生6人による英語でのプレゼンテーションが映像を交えて行なわれ、見事でした50人位の参加者があり、日本大使館の一等書記官(参事官)の増子則義さんも挨拶されました。多田共同代表、細川引率責任者に続いて私も紹介されました。立食パーティも賑やかに楽しく続きました花巻市出身の梅坂Kokiさんがベルリンで日本料理店を出されていて、焼き鳥、エビフライ、餃子の差し入れがあり、頂きましたナント!!梅坂さんは、多田共同代表と同じ高校で一期下、しかも同じサッカー部で活動した仲、という事がわかり、互いの奇遇に驚いておられました。8/2午前中はワークショップの発表を聞きました。ドイツ側2人、日本側4人の発表を聞きました。ドイツ側のドイツの学校制度、徳島市に留学した体験が面白かったです。山田頼子先生の言語と仕草のお話が凄く面白かったです。午後は自由時間になったので、市内見学に行きました。距離・累計・総距離に変化なし。三好/

(補足:現在、『翼』独日高校生交流プロジェクトの第二回派遣生6人が多田理事長と細川スタッフに引率されてベルリンを訪問中です。三好さんは8人に会うためわざわざベルリンに立ち寄ってくださいました)

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2014年8月5日 16:56(日本時間)
ドイツ・ベルリン訪問中
〜大使館でのプレゼンテーション

公式通信第38号: 8/4、日本大使館における高校生派遣団のプレゼンテーションに出席。絆・ベルリンの福澤会長さんが強く推薦して頂き、実現出来ました。感謝、感謝です。普通、事前に出席名簿を提出して、審査を得ないと館内に入れないのです。それを2日前にベルリン入りした私を名簿に入れるのは、相当大変だったと推測します。ありがとうございました。日本大使館は、凄く大きな建物で、ビックリ高校生のプレゼンテーションを聞くのは2回目ですが、今日の方が落ち着いて話しており、英語の発音も明瞭でした特に、最後の一人ずつ述べた今後の復興のあり方は、良かった!5人は、日本語で1人は英語と日本語で述べました。福澤会長さんがそれを総括してドイツ語に通訳されました歓迎会を準備してくださった多くの方々、3日間泊めて頂き、様々なサポートしてくださった福澤会長さんと奥様、8/4の夕食会に招待してくださったブローゼご夫妻に厚くお礼申し上げます。ありがとうございました多田共同代表、細川引率責任者ともお会い出来て良かったです。今日8/5ボンに帰るため、今、ベルリン中央駅で列車を待っているところです。2枚目のは、ベルリン南駅で派遣団とお別れの場面です三好/

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2014年8月7日 16:19(日本時間)
ドイツ・ボン → ボルンハイム → ケルン 計1025.36km・総距離数3279.36km踏破!
〜ケルンに到着。折り返し点です

公式通信第39号: 8/5、ベルリンからボンへ帰って来ました。16:00に出発。Bornheimに到着。今日は10.49km、累計607.18km(+船旅95km)です。こういう時は、日が長いとありがたいです1kmでも多く歩いておく、というのが日本縦断(日本海沿い)の時の教訓です 

8/6、Kolnに到着。今日は29.5kmです。総距離3279.36km、今年の累計1025.36km(+船旅95km)ですようやく、1000kmを越えました。49日目です。昨年より、ゆっくり、楽しく歩くことを重視していますので、私自身は納得しています。相当なペースダウンですが今日は、原爆記念日です。同じ敗戦国のドイツを歩いているせいか、”平和”とは何か、ひときわ、考えさせられます。”平和”のありがたさをしみじみと感じます。”平和”だからこそ、こうして外国を歩くことが出来るのです。平和と復興、自分で出来る事は微々たるものですが、今後も力を尽くしていきたい、と改めて思いました。写真は、ケルンの大聖堂です。三好/

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2014年8月9日 7:16(日本時間)
ドイツ・ケルン → ブルシャイト-ヒルゲン → ヴッパータールヘッキングハウゼン 計1088.78km・総距離数3342.78km踏破!
〜後半の滑り出しから順調。

公式通信第40号: 今日8/7、ケルンを出発、BurscheidーHilgenに到着。今日は32.8km、累計1058.16km(+船旅95km)です。折り返し点の初日からありました。午後2時頃、喫茶店で休憩した時、男性が「良い旅をしているねぇ~。これで、冷たいものでも飲みなさい」、10ユーロ差し出される。ありがたく、受け取る。これは、ザックを置く時に必ず、プレートが見えるようにしているので、ビールを友人と飲んでいた男性がカンパをして下さったわけです。順番が逆になったが「写真を見てくれますか」、とことわってから店を広げた。隣りに4人グループがいて、その内の2人もよって来て、見て下さった。Hinzeさんです。別れる時、「貴方から頂いた10ユーロは、帰国したら、岩手県の被災者に渡します」、と告げたら、頷いておられました。  

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8/8WuppertulーHeckinghausenに到着、今日は30.42kmで総距離3342.78kmになります。今年の累計は1088.78km(+船旅95km)です。この2日間、雨に遭って大変です。気温は25~29℃なのに、積乱雲が発達し、が鳴り、なんか、日本より気温が低いのに、と違和感があります。今日は通過した普通の町Luttinghausenの街角の写真を送ります。この写真1枚でも色々な事が分かります。まず、街の中に木が多く、庭もほとんど、芝生に覆われていますので緑が溢れている。従って、遠くから「あそこに町があるな」と分からない。1km~500m位近づいて初めて分かる。二つ目、右から歩道、駐車スペース、車と自転車の走行車線の構成になっています。これは、私が通過した町は共通しています。但し、右から歩道、自転車道、駐車スペース、車のみの走行車線という町もあります。三つ目、高いビルが無い。わざと高層ビルを外して撮影しているのではありません。大きな市町に行っても同様です。但し、さすがにケルン、ベルリンには、高層ビルが有りましたが。三好/

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2014年8月11日 6:31(日本時間)
ドイツ・ヴッパータールヘッキングハウゼン → ゲーヴェルスベルク → シュヴェーアテ 計1138.07km・総距離数3392.07km踏破!
〜8/10は、ひたすら歩きました

公式通信第41号: 8/9、Gevelsbergに到着、今日は19.8km、今年の累計1108.58km(+船旅95km)です。今日、靴を買い替えました。足が馴染むまでは、ペースダウンですケルンを出て3日目ですが、地方色豊かになりましたツーリングするサイクリストが、ほとんど見られ無くなりました。町から町への運動としてのサイクリストは出会いますが。いかに、ライン河沿いが国際的に観光名所であったか、河を離れてみて、良く分かります。この2日間、国道沿いを歩いているせいか、車からのクラクション、親指での合図が多く、路線バスのドライバーからも親指の合図を送ってもらいました。これが格好良いんですわ!!金髪、きれいにわけている、サングラス、薄い水色の長袖カッターシャツ、2輌連結の大型バス、窓からスッと出された片手の親指ニッコリ笑っているのが口元で分かります。絵になるんですよねぇ~皆さんに見せたい位相変わらず、写真を撮って良いか、一緒に撮らせて、ザックのプレートも撮る人、と賑やかです

8/10、Schwerteに到着。今日は29.49kmで、総距離3392.07km、今年の累計1138.07km(+船旅95km)ですケルンを出て、初めての地方における日曜日。コブレンツ郊外で会った齋藤さんが言っていましたが、本当に町を通過しても人が歩いていませんね。風が吹いて、プラスチックの容器がカラッカラッと音をたてて転がると、建物はズラッと立っているのに無人の町を歩いている感じ。黒沢明監督の「用心棒」の最初のシーンを思い出しました。パン屋さんとガソリンスタンドが開いているのみ。キオスクが2軒開いていました、29kmの区間でですよ!あとは、見事に閉店。町の教会は10:30から祈りの時間が始まるようです。さすがキリスト教(今日見たのは、多分プロテスタント。内部装飾がない、ステンドグラスも簡素)高齢者が多いけれども、男女各年齢層が揃っている。30才代がいない感じがしました。ケルン以後、緩い傾斜の上り下りが始まり、1日に最低4~5回は有ります。大地がウネウネとうねっている丘陵地の上に集落があるからです。  

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岩手県の高校生をドイツに招く援助してくれているのはBosch財団でしたよね?そのBoschの広告を町の電気器具屋さんで見たので送ります。1枚目、坂の様子です。分かりにくいですかねぇ-?左の道が上がっているので、右側の車道が下り坂になっているのが分かるかもしれません。三好/

 

2014年8月13日 5:41(日本時間)
ドイツ・シュヴェーアテ → ベーネン → ハム 計1189.70km・総距離数3443.70km踏破!
〜ついに100人の署名到達

公式通信第42号: 8/11、Bonenの手前2km地点に到着。今日は27.5km、累計1165.57kmです。平日になった途端に賑やかになりましたまず、パトカーが横に停車。「日本から来たんだね。何日、ドイツを旅しているんだい?もう退職しているのか?歩いてオスローまで行くのか?」2人の警察官が興味深々、交互に質問。一車線の県道だから、追い越し出来ず、後ろに3台の車が停車。そこはパトカーの特権?続いては、3人の方が時間はとびとびだったが、停車。「乗っていったら」お礼を言って、丁寧に断る。歩くことにこだわっているので、せっかくのご好意に応えられないのが残念小さなお店の前で家族5人連れに会う。丁度、私は昼ご飯、家族の方は、子ども3人がアイスクリームを買ってもらって、食べている。そこから、夫妻と話が始まる日本から来たのか、どこへ行くのか」などなど。こちらから、写真の話を持ちだす。この夫妻は、どうも、初めて日本の津波の事を知る感じだった。奥さんが署名して下さった。Kerslin Beckeさんです。夫(お父さん)が、子どもに写真の説明をしておられた。奥さんが英語を話された。

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今日8/12、Hammに到着。今日は、24.13kmでした。総距離3443.70km、今年の累計1189.70km(+船旅95km)です。今日は、珍しく町を勘違いしてHamm○○の表示が出たので右折したが、予測と違って、鉄道線路を3回もわたったり、くぐったりした。Hammのみ目がいって○○を見なかったのが間違い。行政区の表示の仕方が日本とちがうのは分かっていたのに、4km位手前で右折してしまった。2時間のロス。時には、こういうミスも有りますやがて本来の予定コースに復帰。Hamm市は、ベルリンへ行く時に新幹線が停まった駅なので覚えていました。ケルン以後、一番大きい街です。迷う前に、M.Langeさんに会う。丁度、私が休憩して、座っていたところに通りがかったのです。プレートを見てから話が始まる珍しく、カタコトの英語でした。カタコト同士なので、かえって親近感が湧いて、互いに結構通じましたLange青年でとうとう100人目になりました三好/

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2014年8月15日 7:55(日本時間)
ドイツ・ハム → ベックム → ギュータースロー 計1241.27km・総距離数3495.27km踏破!
〜地方紙の取材を受けました。

公式通信第43号: 昨日8/13、Beckumから4km地点に到着。昨日は、26.53km歩き、累計1206.23kmになりました。ケルンから226kmを歩きましたが、昨日位から一段と地方色が濃くなりました。牛・馬の牧場が続きだした事、町と町の間隔が10~15kmになり、今までの3~5kmからウンと長くなりました。水・食料を気をつけないと腹ペコで歩くことになります。また、テント泊が増えそうです。

今日8/14、Guterslohに到着、今日は35.04kmで、総距離は3495.27km、今年の累計は1241.27km(+船旅95km)です。「何も無い日」というのは、無いですねぇ~。これだけ、地方に来たのだから、「今日は、何も無いだろう」、とあたりの景色、牛、馬、その子どもを見ながら歩いていました。9:40頃、車が反対車線に停まり、60才代の男性が降りて来ました。「お~ぃ」、で私が渡ると「あんたの旅は、たいしたもんだ。旅のタシにしてくれ」、と20ユーロ差し出された。次からが分からない。「あんたの旅…この地方の新聞…知っている」の3つしか分からない。男性はオランダ人、「俺の英語がへたで、あんたに分からせる事が出来ない、すまんなぁ」「いや、私のリスニングがへたなのと、単語を知らないからです。貴方のせいではありません。」いったんは、お礼を言って別れる。ところが20分後位にまた車が停まり、キャノンのカメラを持った若い女性が降りて来て、声を掛けて来ました。(へぇ~、わざわざ、車、停めてまで写真撮るの……。今までも、車を停めて写真を撮った人は0ではないが、非常に少ない。まして、若い女性はなかった。自転車の若い女性は数多くあったが)「取材させて下さい」「えっ…?いや、良いですよ……」(この女性、どうして、私の事を知ったのかなぁ~?)数分後にさっき、別れた男性が再び、車でやって来た。取材されている私を見て、ニコニコしている。(あぁ、そうか。さっきのは、あんたの旅は、面白いから、この地方の新聞を知っているから取材を受けないか、という意味だったのだ)取材を受けた後は、今度は、こちらの番、男性がBen Jansenさん、新聞記者の女性がJessica Willeさんです。改めて、Benさんに「貴方の下さったものは、帰国したら、岩手県の被災者に寄付として渡します」、了解を求める。新聞の名前を聞くのを忘れました。多分、OeldeかHammを拠点にした新聞だと思います。もう一枚は、高木さんから要望があったプレートの写真です文字は同じですが、昨年のはボロボロになったので新しいのに付け替えています。右下の熊のマスコットは、バーデン・バーデンに誘ってくれたバーバラさんからのプレゼントです三好/

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(この日のインタビューは、地元紙Die-Glockeに掲載されました)

 

2014年8月17日 17:09(日本時間)
ドイツ・ギュータースロー → ビーレフェルト-ブラックヴェーデ → ヘルフォルト 計1295.72km・総距離数3549.72km踏破!
〜親子でわざわざ。

公式通信第44号: 今日8/15、Bielefeld-Brackwedeに到着。今日は23.47kmで、累計1264.74km(+船旅95km)になりました。午後3時頃、青年から声が掛かりました。ついで女性からも。Felix青年とお母さんのAukeさんでした。交互に「良い旅をされていますね。何時から、どこから、何処へ、何故、歩く旅なのですか」と質問される。答えた後、「時間有りますか?」「有るよ」、あとは何時もの通り。最後にAukeさんが「今日は、何処に泊まる予定ですか?」「Bielefeldの予定です」「それなら、私はホテルを持っているので、貴方を招待したい。どうですか」「実は、すでに、YHを予約しているのです。貴方の親切に感謝します」、とお礼を言ってお断りする。「そうですか。このも、良い旅をして下さいね。Good Luck!」の言葉とともに別れた。二人の行方を見ると、道路の反対側の駐車スペースに停めた車に行かれる。ということは、私の後ろ姿を見て、わざわざ、車を停めて、私に声を掛けたことになる。反対車線に停めて、声が掛かるのは、何度かあるが、わざわざ駐車スペースに停めて、声を掛けられたのは初めてだ。それだけインパクトがある事になる。そんなに歩く後ろ姿に何か惹きつけるものがあるのでしょうか?

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8/16、Herfordに到着、今日は30.98kmでした。総距離3549.72km、今年の累計1295.72km(+船旅95km)です。ドイツは、1800年代後半から3B政策(ベルリン→ビザンチュウム→バグダッド)でトルコと友好を深めた結果、トルコ人が多いのですが、トルコ人はまた、極めて親日家です。それで、トルコ人の方がよく声を掛けて来て、写真を撮られるし、一緒に撮られます。今日もありました。大変、ニコニコと笑顔で応対されました。別れる時、どのトルコ人も「体に気を付けて、良い旅をして下さい。Good Luck!」、と言ってくれます三好/

 

2014年8月19日 5:19(日本時間)
ドイツ・ヘルフォルト → バート・エーンハウゼン → ミンデン 計1339.83km・総距離数3543.83km踏破!
〜ケルンから12日間、323km歩きました

公式通信第45号: 8/17、Bad Oeynhausenへ到着、今日は20.48kmで、累計1316.2km(+船旅95km)です。今日は風が強いせいもあって、寒い位です気温は午後2時頃でも16℃です中部ドイツの農村地域を歩いています。     

8/18Mindenに到着。今日は23.63km歩きました。総距離は3543.83kmになり、今年の累計は1339.83km(+船旅95km)になりました国道(私がそう言っているだけで、地図上は赤色B61号)の横に自転車道兼歩道が併設されているので、そこを歩いています。時々、自転車の人はきますが歩く人は0。車と私だけというのがほとんど。寂しいと言えば、これほど寂しいことは無い、と言ったところです。この3日間、寒冷前線の通過で、風が強く、1日の内に天気が目まぐるしく変わり、雨具の着脱に、さすがにウンザリしてきました。ドイツは、言うことは無いのですが、バーゼル出発以来、天気が目まぐるしく変わるのだけが泣き所ですね。8/19は休憩日にします。ケルン出発以来12日間、323km歩きましたので、疲れているかもしれないので。自覚症状は無いのですが、「疲れた」、と感じる前に用心した方が良いでしょう。写真は、Mindenの旧市街地です三好/

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2014年8月19日 23:39(日本時間)
ドイツ・ミンデン 休息中!
〜3回目の取材を受けました

公式通信第46号: 今日8/19は、休憩日です何もないはずなのに、有るんですよねぇ~。ホテルの前でタバコを吸っていたら、ホテルの主人Siggiさんが私を呼んで受話器を渡しました。「Mindenに知り合いなんていないのに(ベルリンなら、つい、先日知り合いになった人はいるけど……)」、で受話器を受け取ると、「取材をしたい」、との申し入れ。承諾の返事をする。「しかし、どうして私の旅の事を知ったのかなぁ~」、不思議に思う。約束の午後1時30分になっても音沙汰が無い。ホテルの主人には「部屋にいるから」、と告げていたのだが、20分過ぎて、念の為、フロントに降りてみたら、すでに来ておられた。「ごめんなさい、待たせて」、と謝る。Mindener Tageblatt新聞社のJan Henning Rogge記者でした。分かりやすい英語で質問されたので、答えもスラスラと出来ました「何時、何処から出発し、何処まで行く予定なのか。仕事は何をしていたのか。何故、歩く旅をしているのか。ヨーロッパは初めてなのか。何故、ヨーロッパを選んだのか。ドイツの印象はどうですか?とりあえず、明日は何処まで行く予定か?」等々でした。取材が終わったら、今度はこちらの番最後に「どうして私の旅の事を知ったのか?」と質問すると、「ホテルの主人Siggiさんが教えてくれた」との事。別れる時に「どうか、ドイツの良い旅をして下さい。貴方の旅は、きっと読者の関心を引くと思います」、言われた。8/15のDieーGlocke新聞社の名前も知っておられました。それならば、とHenningさんが帰った後に、Siggiさんに見て貰う。1日に同じ場所で、2人から署名を貰えるとは幸運でしたしかし、なんですねぇ~、機会がむこうから飛びこんで来る感じですねぇ~写真は、最初のがHenningさん、次がホテルの主人Siggiさんと愛犬のマーローです三好/

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 (この日のインタビューは、Mindener Tageblatt紙に掲載されました)

 

2014年8月22日 4:29(日本時間)
ドイツ・ミンデン → デーレン → エストルフ 計1392.13km・総距離数3646.13km踏破!
〜何も無い日もありました。

公式通信第47号: 8/20、歩くのを再開。Döhrenから0.8km地点に到着。今日は27.24kmで、今年の累計1367.07km(+船旅95km)です。今日は、ひたすら歩きました。ドイツの天気に泣かされ、2回、雨具の着脱。Weser川とその運河沿いに歩きました。当たり前の事ですが、ドイツはライン河だけではないと認識しました。この川も貨物船が航行しています。川幅は80m位です。

8/21、Estorfに到着。今日は25.04kmでした。総距離3646.13km、今年の累計1392.13km(+船旅95km)です。今日は、多分、初めて何も無い日でしたひたすら歩いた1日でした。低い丘陵状の山並みもわずかに西に見えるだけで350度位、真っ平ら。平原と言って言いのかどうか?何故なら、地平線は見えないのです。スペインの場合、地平線が見えたのです。多分、30~40km先は森なのでしょう。それで地平線にならないのかな、と思っています。正しいかどうか、分かりません。今日もWeser川を見ながらと川から全く離れたりして歩きました。地図を見ると、この川もかなり蛇行しています。ブレーメン方向に流れて行くようです。三好/

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2014年8月23日 6:31(日本時間)
ドイツ・エストルフ → ザムトゲマインデ・アイストルプ 計1422.18km・総距離数3676.18km踏破!
〜女性警官とツーショット、そして4回目の取材!

公式通信第48号: 今日8/22、Eystrupに到着。今日は30.05km歩き、累計1422.18km(+船旅95km)です。今朝7:00気温10℃晴れている時、20℃、雨が降り出してからは16℃でした。涼しいと言うより、寒いです。晴れていても、風が有りましたから体感温度は20℃以下でしょう。夏と言うより、ドイツは、もう秋ですね実際、セーターやハーフコートを着ている人もいます。Tシャツの人もいますが。今日は、面白かったですよ向こうからパトカーが来ました。「あっ、これは停まるな」、と思ったら、駐車帯に停まり、男女の若い警察官が降りて来ました。二人共、笑顔で近づいて来ました。もっぱら、男性が質問、女性の方は、ニコニコしながら、聞き役と驚く役。「日本から来たのか?何時から、何処から出発し、何処まで行くのか、ドイツはどんな印象か?何故、歩く旅なのか?」「え!!ジュネーブから歩いて来たの!!1392kmも歩いて来たの!!え!!ポルトガルからすでに2254kmも歩いているの!!……(絶句)」決して誇張して書いているのではありません写真を撮って良いか」「Of couse」「最初、2人を撮るから、次に女性と撮って貰えないか」「All Right」で、ツゥーショットになった次第ここで、面白かったのが、「ちよっと待った」、と言って、運転席から自分の携帯を取って来て、私の携帯で撮った後、自分の携帯でも撮りました 別れる時、「良いドイツの旅をして下さい」、と二人共言ってくれ、握手して!?別れました。昨年のポルトガル、スペイン、フランス、今年のスイス、ドイツと、どうして、こんなにヨーロッパの警察官ってフレンドリーなんでしょうか。日本のように、上からものを言う、高圧的な所がまるで無いですよねぇ~ 

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  続いて、これも向こうから来た車が駐車帯に停まり、女性が降りて来ました。「何処の国から、日本から来たのか」から始まって、質問の連発。一通り、説明が終わると、「貴方の旅は実に面白い。これは、新聞に載せて、多くの人に知って貰うのが良い。これから新聞社に電話するが、時間はあるか」で、取材を受ける事になりました。取材後は、何時ものパターン女性がHeike Schmidtさん、Die Harke新聞社(本拠地Nienburg市)、Sebastian Stuben記者です。なお、Heikeさんとは、一度別れたのですが、国道で、長男、次女と一緒に待っていてくれて、差し入れをして下さいました!三好/

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 2014年8月25日 4:39(日本時間)
ドイツ・ザムトゲマインデ・アイストルプ → フェルデン → ローテンブルク 計1473.18km・総距離数3727.18km踏破!
〜寂しい行程でした。

公式通信第49号: 今日8/23、Verdenに到着。今日は23.2kmでした。今年の累計は1445.38km(+船旅95km)です。8/22に取材を受けた、Die Harke新聞の現物を入手しました。大きい紙面、写真も1頁のも合わせて4枚も掲載。早速、反応が出ました。ホテルを出て20分後、化粧品店の女主人が「ちよっと、ちよっと」と呼びかけてこられ、一度屋内に入って、新聞を持って出てこられ、「これ、貴方でしょう。良い旅しているねぇー。この後も良い旅をして下さいよ」さらに1時間後、反対側に車が停まり、「ミスター!」と呼びかけてこられた。お父さんと息子、娘の3人が渡って来られる。お父さん「貴方、今朝の新聞に大きく載っていた日本人でしょう。良い旅、良い事をしているねぇー。一緒に写真を撮って貰えるかな」、でお父さん、娘さんと3人で収まる。今までの3回は、その新聞のエリアの最後の方で取材を受けたので、記事が載った時には、そのエリアを出てしまっていましたが、今回はエリアの真ん中位で新聞に載ったので反応があったのでしょう。事実、午後2時頃には、次のVerden市の範囲になりました。よく分からないのですが、どうも大きい市単位に地方新聞が有るようです。Minden市中心、Nienburg市中心、という風に。写真はVerdenの大聖堂。

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今日8/24、Rotenburgに到着。今日は、27.8kmでした。総距離3727.18km、今回の累計1473.18km(+船旅95km)です。ハンブルグまで73kmとなりました。今日は、今までで、最も寂しい行程でした。日曜日というせいもありますが、自転車で対向4人、追い抜き3人、集落で見た人2人、27km歩いて4集落(2軒~多分10軒位、森に囲まれていて、よく見えない)の状態。車とリスと私だけ。しかし、道は素晴らしい。国道横で、車の音はうるさいけれども、森の中、または、両側に大きな木の並木が延々と続く。良い事ばかりではありませんが、森の中の道は良いですよ青森県の奥入瀬、八甲田、八幡平位ですか、こういう雰囲気のある道は。北海道でも、両側が森、または並木というのは、なかなかありません。写真は、今日の行程。左の小さい自転車道兼歩道を歩きました三好/

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2014年8月27日 14:33(日本時間)
ドイツ・ローテンブルク → ヴュンメ → ネンドルフ 計1531.88km・総距離数3785.88km踏破!
〜機会はやって来ます

公式通信第50号: 今日8/25、Wummeの手前2km地点に到着(ハンブルグまで53km地点)。今日は28.15kmで、累計1501.33kmになります。今日のRotenburgで、長く歩いたB215号とお別れ、B75号になりました。車のクラクションが4回鳴ったことが今日の出来事。淡々と歩きました。相変わらず、車の音はしますが、素晴らしい森と並木の自転車道兼歩道です。しかし、自転車も人もほとんど出会いません。

今日8/26、Nenndorfに到着。今日は30.55kmで、総距離は3785.88km、今年の累計は、1531.88km(+船旅95km)です。歩いて行くと、赤い車が駐車していた。近づくと母娘が降りて、私の方へ。「貴方の旅は、アメイジングです。少しだけど、プレゼントしたい。」、袋を差し出された。(これは、並々ならぬ好意である。すでに1回、私の後ろ姿を見て、プレゼントを準備して、待っていた事になるから)いつものパターンからはじまりましたが、「それなら、家が近いから、来ませんか」、と今回は、自宅に招待され、コーヒーをご馳走になり、充電、水の補給もして貰いました

乗馬を経営しておられる母Maja Hornbogenさん、娘のSelinaさんですSelinaさんは、高校卒業記念にネパールへ一人で、つい、この間3週間旅行してきたばかり、との事。大きい家、広い牧場、二人でやっているとは、感心する。三好/

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2014年8月29日 4:21(日本時間)
ドイツ・ネンドルフ → ハンブルク 計1575.82km・総距離数3829.82km踏破!
〜一日中掛かりました!

公式通信第51号: 今日8/27、南エルベ河を渡りHamburgに到着。今日は28.8kmでした。今年の累計は1560.68km(+船旅95km)です。Harburg(ハンブルグではありません。どうもハンブルグ特別市の中の一つの行政区?)から、ルートを探すのに四苦八苦。地元の人も「渡る橋は無い」という始末。ジュネーブの藤牧さんから、気をつけて、とメールを貰っていたので、ありがたかったです。実際、北エルベ河の堤防に上がって眺めても橋が無い!鉄道専用、車専用のみ。ランニングしている人が橋を渡るのが見える。これが中洲に渡る橋。市の中心から4km位上流に有るようです。

今日8/28、ハンブルグ港に到着。今日は15.14km、総距離は3829.82km、今年の累計は1575.82km(+船旅95km)になりましたもはや、こうなると、執念ですねぇ~。別に電車に乗って一駅で降りれば、簡単に北エルベ河は渡れるのに。誰も見ていないし、帰国後「北エルベ河ヲ橋デ渡リマシタ」、と言ってもバレないでしょう。しかし、「天知る、地知る、己知る」です。人に聞き
まくり、教えられた橋に行って確かめる。なかには、鉄道線路橋の横に人道が有ると言う。これは、いくら何でも、信用できない。見える橋は、片っ端から行ってみました。路肩に上がって確かめました。全部ダメ鉄道専用、車専用道路。もう、泣きたくなる。しかし、天は見捨てません!果物屋のご主人、そして、主人が呼び止めた英語を話せる青年、さらに進行中に会った英語の話せる若い女性、3人の話が一致。住宅街の中の何の変哲もない道を進む。「こんな所を進んで有るんかいな」、という道。ヤガテ、教えられた高架道路と鉄道の下をくぐる短いトンネルが視野に飛び込んで来ました。トンネルをくぐる。自転車がスッーと横切った。「有った!!!!!!」写真は、北エルベ河とハンブルグ港の運河沿いの商社・倉庫街です三好/

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2014年9月1日 18:36(日本時間)
ドイツ・ハンブルク → クヴィックボルン → バート・ブラームシュテト → アウクルーク  計1655.67km・総距離数3909.67km踏破!
〜雨の中でテント泊2日。

公式通信第52号: 今日8/29、Quickbornから1.6km地点に到着。今日は30.62kmで今年の累計は1606.44km(+船旅95km)です。一日中、もくもくと歩きました。

今日8/30、Bad Bramstedtから4km地点に到着。今日は31.5kmでした。今年の累計は1637.94km(+船旅95km)です。今日は、曇りと雨のせいか、なんか一段ともの寂しい風景となって来ました。2008年に日本海沿いに北上した北海道の初山別~遠別間を思い出させます。違うのは、進行方向左手に日本は日本海が見ながら、ドイツは、平原であることです。右手が未開拓地であることは、同じです。

今日8/31、AukrugのBamgfeldに到着。今日は、17.73kmでした。今年の累計は、1655.67km(+船旅95km)で、総距離は3909.67kmになります。船旅の95kmを足すと、4004.67kmになり、ついに4000kmを突破しました8/29、30は、雨が降る中のテント泊になり、なかなか厳しい状況です。8/29は予定地点にホテルが無い!(廃業してビーチバーになっていました)8/30は、1つは、火事で廃業、1つは、夏休み休暇で9/4まで閉鎖、3つのホテルは、予約していない人は、宿泊お断りと言われました。やむを得ず、夕食を取って、午後6時に雨の降る中、町を出発。なかなかテントを張る所が見つからない。ドイツの雨は、2時間位で止むので、雨は気にしなくて大丈夫。事実、午後7時頃に大きな虹を見て、テントを張る所も見つかり、ヤレヤレところが、午後9時頃から、また雨が降る全く、もう……。さて、朝起きて、時計を見ると9:35、エッー!!!雨の中でもグッスリ眠るもんですねぇー。しかし、これは疲れている証しでもあります。今日はなんとかホテルに泊まりたい、と思っていました。運も旅する力の一つ!午後5時過ぎ、右折500m、Gasthof Zimmerの文字、ベッドとのマーク。Gasthausがホテルと同じ意味と知っていました。Gasthofって、ウーン……。Zimmerは、客室かお客さんの意味だったよなぁ。マークを信用して行って見るか。小さい村です。こんな所に本当に有るんかいな?アリマシタ!!!ようやく、電源を確保したので送信します。ハンブルグ以北は、多分厳しい旅の状況になると覚悟していましたので、まぁ、こんなものでしょう。したがって、これから8日間の送信は、電源の有無で決まりますので、了解して下さい。写真は、北ドイツの寂しい平原と途中の町のお祭りの風景。三好/

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2014年9月4日 19:30(日本時間)
ドイツ・アウクルーク → シュパナン → Sargbruck → イトシュテット 計1749.65km・総距離数4003.65km踏破!
〜奇跡が起こりました
公式通信第53号: 今日9/1、Spannanに到着。今日は29.56kmでした。今年の累計は1685.23km(+船旅95km)です。昨夜、ホテルに泊まり熟睡しました。淡々と歩いた1日でした。今日もホテルは、当たらず一つは、閉鎖。一つは、受付が午後5時までらしい。外の電球は点いているのに無人。で、屋根の有るバス停でテントです。

今日9/2、Sargbruckに到着。今日は30.66kmで、今年の累計は1715.89km(+船旅95km)になります。ハンブルグ以後は、ひたすら歩いています。歩く旅ですから当然ですけど今日は、久しぶりの快晴で、北ドイツの印象がまるで違います。美しい牧草地、森。落葉が始まっています。

今日9/3、Idstedtに到着。今日は、33.76kmでした。総距離は4003.65kmになりました今年の累計は、1749.65km(+船旅95km)になります。ついに、歩いた距離が4000kmを越えました今日も晴れて、3日間連続の晴れは珍しいです。クラクションが鳴り、車が一台停まりました。母と息子で、息子さんが、ハンブルグで、私を見たのだそうです。「写真を撮っていいか?」「どうぞ」そして、今回の旅を強烈に印象づける事が起こりましたIdstedt村に到着したものの、ホテル無しが分かり、「今夜もテントだなぁー」、と思っていたら、声が掛かりました。「泊まる所を探しているでしょう?私の家に泊まって行きなさい」「えっ?!」Claudia & Peter Roederさんご夫妻です。何かの用事で、出掛けられ、その往復の時、2回、車から私を見たのだそうです。家の前を通りかかったら、すぐ声が掛かりましたもう、どう言ったらいいんですかねぇー……。見ず知らずの外国人ですよ!私は。歩いている姿で信頼出来る人物と思って下さったのでしょうか?ウーン……。感激もひとしお!!もう一枚は、北ドイツの麦藁葺きの民家です。三好/

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↓6か国目・デンマークの旅スタート!

2014年9月6日 5:45(日本時間)
ドイツ・イトシュテット → オイーヴァセ → デンマーク・パドボー  計1793.03km・総距離数4047.03km踏破!
〜ついに来ました
公式通信第54号: 今日9/4、Oeverseeに到着。今日は18.67kmで、今年の累計は1768.32km(+船旅95km)になります。Peterさんご夫妻の仕事、パペット(人形)を作る工房を見せて貰いましたイメージキャラクター・アニメーション・人形劇の人形を制作されていました。ドイツ全域、エジプト、ベトナムからの注文で、制作しているそうです。話し込んで、こちらの署名もしてもらっていたら、出発が11:20になりました。今日の道は、サンチャゴ・デ・コンポステーラ(スペインのキリスト教の聖地に向かう巡礼の道)でした。静かな、小さい集落、村を通る良い道でした       

今日9/5、デンマークのPadborgに到着しました今日は24.71km歩きました。総距離4047.03kmで、今年の累計は1793.03km(+船旅95km)です。13:55、ドイツ最後の町Flensburgを通過。やがて、かなたに国旗が翻っているのが見えて来ました。16:10国境に到着デンマークに入りました感慨ひとしおです。写真は、国境のプレートとドイツ側の風景です。三好/

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↓7か国目・ノルウェー到達。そして2年目の旅、無事ゴール!

2014年9月8日 15:52(日本時間)
デンマーク・パドボー → ティングリウ → フレズレクスハウン → ノルウェー・オスロ 
 計1815.34km+船旅95km・総距離数4164.34km踏破!

〜ついに、オスローに到着
公式通信第55号: 今日9/6、Tinglevに到着しました。今日は、17.37kmでした。今年の累計は1810.40km(+船旅95km)となります。次の駅まで20kmある事が分かり、おまけに雨が降り始め、これ以上歩くことは止めにしました。デンマークの短い旅の印象は、”平ら国”だなぁ~、という感じです。丘陵地も見えません。乳牛がさすがに多くなりました。Tinglev駅から列車に乗り、21:32オスロー行きフェリーが出るFrederikshavnに到着しました。

今日9/7、18:00オスロー港に入港。今日は、4.94kmでした。総距離4164.34km(船旅の95kmを含む)となりました今回の累計は、1815.34km(+船旅95km)です。最後まで粘り、まず船のスタッフに私の旅の目的を話し、歩いて来た地図を見せて署名を貰いました。Glenn Bomanさんです。続いてオスローのYHで同室になった西アフリカ大西洋岸のガンビア国の Benjamin Jahさんです。

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 2年に渡って180日間の”歩く旅”も本日をもってゴールとなりました。スイス・ジュネーブ、チューリッヒ、ドイツ・ベルリン在住の日本人の方々、日本でTMNのHPを読んで激励のメールを下さった方々、多田共同代表、今年のメインサポーターの柳澤さん、細川さん、昨年のメインサポーターの高木さん、長期間の支援ありがとうございました。

HPの読者に補足説明をしておきます。あと2週間あれば、デンマークも全て歩くことが出来るのですが(体力も費用も現時点では十分有ります)EUは、観光ビザを3ヶ月しか認めておりません。昨年もそれで最後の1週間を苦労しました9/10までにオランダ・アムステルダムに到着しなければなりません。ここから帰国便に搭乗するからです。外国を個人で旅行する場合、移動する場合の列車や航空便の切符を入手するのに、とても時間がり十分余裕をもってやらないとえらいことになりますそれで今回もどこで打ち切るかの判断をしなければならなかったのです。写真は、デンマーク・ノルウェー間の海峡とオスロー港到着時です背景の船は、デンマークから乗って来た船です。三好/

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(三好さん、おつかれさまでした!)

 

「陸前高田市広田町大野地区のコミュニティ施設設営事業」は 「平成23年度(復興支援)被災者支援拠点づくり活動補助事業」の 助成金の補助をいただいています。