ご参加いただいた方ならよくご存知のことですが、まごころの現場活動は朝7時20分のラジオ体操ではじまります。
いつもはCD演奏の「ラジオ体操第1」ですが、1月11日の水曜日は、なんと特別に生演奏・しかも「ラジオ体操の歌」付き。
キーボードで演奏をしてくださったのは、北海道から来られたボランティアの桜井朝子さんです。
(さらに…)
2012年1月11日 15時44分
ご参加いただいた方ならよくご存知のことですが、まごころの現場活動は朝7時20分のラジオ体操ではじまります。
いつもはCD演奏の「ラジオ体操第1」ですが、1月11日の水曜日は、なんと特別に生演奏・しかも「ラジオ体操の歌」付き。
キーボードで演奏をしてくださったのは、北海道から来られたボランティアの桜井朝子さんです。
2011年8月20日 09時27分
2011年8月13日 09時00分
大槌町の江岸寺(こうがんじ)さんでの墓地清掃は、8日間の作業を経て12日に終了しました。写真の横断幕は、一緒に活動させていただいた地元業者の岩間建設さんがお持ちくださったもの。大槌町がモデルと言われるテレビ人形劇「ひょっこりひょうたん島」のテーマ曲の歌詞が、力強いメッセージとして現れました。
『苦しい事もあるだろうさ 悲しい事もあるだろうさ だけど…僕らはくじけない!』
2011年8月10日 19時03分
沿岸部、大槌町にある曹洞宗江岸寺に立ち並んでいる墓石。ここにある墓石の多くが震災の影響で損壊してしまいました。現場には多くの墓石の破片や壊れた仏像などが散乱し、とても目を当てられるものではありませんでしたが、「多くの先人たちが眠っているこの場所をもう一度、綺麗な墓地にして故人に安らかに眠っていただこう」と墓地の清掃活動を始めることに。活動5日目となる今日は大槌町のボランティアセンターの方々と手分けして作業を行い、泥出し・瓦礫の撤去・損壊した墓石の片付けなどを行いました。
2011年8月02日 18時06分
今日は、大槌町の墓地の墓参道整備に行っているボランティアさん達を取材に行って参りました。 この沿岸地域では8月7日からお墓参りが始まるそうで、そのための整備です。
蓮乗寺さまの墓地では5名ボランティアの皆さんは一生懸命落ち葉やゴミを拾ったり草むしりをしていました。
2011年7月18日 14時21分
農援隊スタッフとして活動中の及川真由美さんが陸前高田市の上長部(かみおさべ)地区について報告してくださいました。この地区で瓦礫撤去や水田の清掃作業などのボランティア活動に参加し、ようやくまいたヒマワリの種がその後どうなったのか気になっている皆さんも多いと思いますので、現在の様子をお伝えします。
陸前高田市の上長部地区では、被災直後からボランティアの皆さんが流出したサンマや瓦礫の撤去、ヘドロのかき出し作業を着実に続けてきました。こちらの田んぼには今、生命力に満ちあふれたひまわりが無事に発芽してすくすくと育っています。
2011年7月15日 12時22分
13日、大槌町の「まごころ広場うすざわ」で東京から来訪した岡淳(おかまこと)さんを含む4人のメンバーによるジャズライブが開催されました。
岡さんたちは被災地にジャズを届ける“JAZZ for 東北”というプロジェクトのもとで、7月12日から3日間にわたって岩手県釜石市と大槌町、宮城県南三陸町で演奏活動を展開。まこごろ広場でのジャズライブは6月6日に続いて2度目となります。
この日のまごころ広場の気温は36度。じっとしていても汗が滴り落ちる厳しい暑さのなかで、4人のメンバーは「チュニジアの夜」や「星に願いを」など合計 10曲を披露し、大槌の青空にジャズの音色が響きわたりました。そして1時間半にわたる熱演を締めくくった曲はチャールズ・チャップリンの「スマイル」。
集まった地元の方々のなかにはメロディに合わせて体でリズムを取ったり、笑顔で拍手を送る女性の姿も見られるなど、まごころ広場はなごやかな雰囲気に包ま れました。演奏終了後にまごころ広場の冷たい麦茶をメンバーの皆さんにお出ししたところ、「夏休みの味がする」と喜んでいらっしゃったのが印象的でした。 岡さんは7月下旬にも再び東北支援のためのジャズツアーを計画しているそうです。
2011年6月25日 17時29分
まごころネットで夏至日にキャンドルナイトが開催されました。夏至とは一番昼が長く、夜の短い日。初夏である6月の22日前後を指します。夏至をある節目とし、それぞれが願うこと。それは世界平和、地球環境の保護、誰かの幸せなどなど。一人が何かを想い願って、世界中で誰かも同時に願う。キャンドルナイトはそんな時間です。
まごころネットでは20:00から21:30頃までの約1時間半の間、玄関先で電気を消してロウソクの灯りの中で夜を過ごしました。 (さらに…)
2011年6月20日 16時41分
5月の連休で一区切りをつけたサンマ作戦(腐敗海産物除去作戦)の第2弾です。陸前高田市上長部地区の水産加工工場からの800トンのサンマ、サケ、イクラ等の海産物の流出物対策、終了したと報じたのですが、現実はそんなに甘いものではありません。現在も多量の土砂や瓦礫とともにサンマは埋もれており、原型こそ留めていないものの色の変わった土、多量のハエ、鼻を衝く異臭として日々地域の住民を悩ませています。
2011年6月18日 11時55分
陸前高田市米崎町で、ある一軒の個人宅の畑を総勢50人のボランティアで訪れました。この家に住むのは今月18日に誕生日を迎える吉田愛子さん(66)とその夫、吉田信さん(69)の二人。吉田さん夫妻が住む家は海から2キロメートル程離れたところにあるにも関わらず今回の震災で被害を受けてしまいました。1つの畑でキュウリを、もう1つの畑でリンゴを育てていましたが、今回の震災でキュウリを育てている畑が海水、泥水、それに瓦礫まみれになってしまったのです。家の中は背丈ほどの水位まで浸水してしまい、玄関の前には大量の瓦礫があったため、しばらくの間は家に入ることもできませんでしたが、現在は多くのボランティアが家や畑を掃除して、大部分の瓦礫が片付きました。