4月19日に開始した瓦礫撤去(通称:サンマ隊)、そして2か月半前の種まきを経て、ご覧のとおり上長部地区に立派なヒマワリの花が咲きました。
大勢のボランティアの奮闘と戸惑いを振り返りつつ、ヒマワリの開花にホッと一息。
サンマ回収からヒマワリ開花まで~上長部地区
2011年9月04日 17時36分
2011年9月04日 17時36分
4月19日に開始した瓦礫撤去(通称:サンマ隊)、そして2か月半前の種まきを経て、ご覧のとおり上長部地区に立派なヒマワリの花が咲きました。
大勢のボランティアの奮闘と戸惑いを振り返りつつ、ヒマワリの開花にホッと一息。
2011年8月29日 15時55分
先日8月26日(金)三休プロジェクト様よりいただいている冷凍車の初出動 被災地に冷凍唐揚げを届けました。
2011年8月19日 10時52分
「6.18ヒマワリプロジェクト始動」でご紹介した陸前高田市米崎町の一角に、大輪のヒマワリの花が咲きました。2か月前に瓦礫撤去と種まき作業で伺った地域ですが、先日陸前高田市担当の隊長さんが近くを通りかかったところ、見事な花々が並んでいるのを目にして、驚きと喜びの表情で事務局に報告してくださいました。
2011年7月19日 18時22分
未曽有の被害を受けながらも復興に向けて一歩ずつ着実に前に進み始めた大槌と陸前高田。これらの被災地を応援するオリジナルTシャツができました。Tシャツをデザインしてくださったのは岩手県出身のデザイナー、永江達志さんです。 (さらに…)
2011年7月18日 14時21分
農援隊スタッフとして活動中の及川真由美さんが陸前高田市の上長部(かみおさべ)地区について報告してくださいました。この地区で瓦礫撤去や水田の清掃作業などのボランティア活動に参加し、ようやくまいたヒマワリの種がその後どうなったのか気になっている皆さんも多いと思いますので、現在の様子をお伝えします。
陸前高田市の上長部地区では、被災直後からボランティアの皆さんが流出したサンマや瓦礫の撤去、ヘドロのかき出し作業を着実に続けてきました。こちらの田んぼには今、生命力に満ちあふれたひまわりが無事に発芽してすくすくと育っています。
2011年7月09日 19時18分
陸前高田市の国道45号線沿い、神田ぶどう園の少し先に6月8日、ラーメン店「仙華園」が仮設のプレハブで約3か月振りに営業を再開したました。市内の飲食店としては復興第一号となります。同店は震災前、海岸の近くで営業をしており、昨年開店10周年を迎えたばかりでした。
2011年6月23日 09時15分
明治38年から100年以上もの歴史を持ち、陸前高田市で知らない人はいないといわれるほど昔から親しまれている「神田葡萄園」がジュースの製造を再開しました。この神田葡萄園はまごころネットがボランティア活動をさせていただいた場所で、名物の「マスカットサイダー」は全国的にも支持を受けています。今回の震災で設備が壊れてしまったり、ジュースが流れてしまってしばらくの間営業ができない状態でしたが、今月に入ってからボイラーを試運転させたりと再開に向けて頑張ってきました。そして現在では全ての商品が販売できるようになったわけではありませんが、あのマスカットサイダーを製造できるまでになりました。
2011年6月20日 16時41分
5月の連休で一区切りをつけたサンマ作戦(腐敗海産物除去作戦)の第2弾です。陸前高田市上長部地区の水産加工工場からの800トンのサンマ、サケ、イクラ等の海産物の流出物対策、終了したと報じたのですが、現実はそんなに甘いものではありません。現在も多量の土砂や瓦礫とともにサンマは埋もれており、原型こそ留めていないものの色の変わった土、多量のハエ、鼻を衝く異臭として日々地域の住民を悩ませています。
2011年6月18日 11時55分
陸前高田市米崎町で、ある一軒の個人宅の畑を総勢50人のボランティアで訪れました。この家に住むのは今月18日に誕生日を迎える吉田愛子さん(66)とその夫、吉田信さん(69)の二人。吉田さん夫妻が住む家は海から2キロメートル程離れたところにあるにも関わらず今回の震災で被害を受けてしまいました。1つの畑でキュウリを、もう1つの畑でリンゴを育てていましたが、今回の震災でキュウリを育てている畑が海水、泥水、それに瓦礫まみれになってしまったのです。家の中は背丈ほどの水位まで浸水してしまい、玄関の前には大量の瓦礫があったため、しばらくの間は家に入ることもできませんでしたが、現在は多くのボランティアが家や畑を掃除して、大部分の瓦礫が片付きました。
2011年6月05日 09時57分
3・11の大津波からもうすぐ3カ月。都市部の被災地では瓦礫の撤去が進んだこともあり、大震災についての在京の大マスコミの報道が、すっかり福島第一原発事故関連に偏ってきた感のある現在でも、岩手の三陸沿岸ではまだまだ目を覆いたくなるような惨状が、あちらこちらに広がっています。